第3話 殺人容疑者になったが関税を払いたい(中編)

 取り調べが進むにつれて、マティアは簡単に晴れると思っていた疑いがなかなか解かれないことを知った。むしろ、衛兵たちは彼女を犯人にしたがっていた。

「青猫亭に調べを出してよ。ペルサ側の依頼人がわかるはずでしょ」

「この街の事件はこの街で裁く。ペルサには関係ない」

「あたしにだって関係ない」マティアは叫んだ。「この税金泥棒!!」

「俺たちは税金なんかで雇われてない。俺たちを動かすのは崇高な理念とヘンリー・ジャック市長への忠誠心だけだ。残念だったな」衛兵が笑う。

「なら、やっぱり市長の私兵なんじゃない。税金泥棒の千倍悪い。街のためには働かないのね」

「殺人犯のくせに、でかい口を聞くんじゃない」マティアの肩に重い衝撃が走る。後ろの衛兵が蹴ったのだ。

鼓動が早まってきた。税金で雇われてない奴らに、税金を払う市民への敬意があるわけがない。むしろ、市長とやらに雇われているという間違った選民意識が、市民たちへの軽蔑を生んでいるのだ。

 選民意識。

 頭が痛くなってくる。

 前世のあたしも、まさに、選民意識に凝り固まっていた。税金を払う市民たちを、ただ国に納めるために金を作る存在としか思っていなかった。人が食べるために実をつける、畑の作物そのものみたいに。その結果があの無残な最期。

 もしかして、これは運命の復讐なんだろうか?

 俯くと、もう一度軽く背中を蹴り上げられ、マティアは机に突っ伏した。暗くなった眼の前に、またあの蠱惑的な瞳が浮かぶ。


 もう朝になっている。取り調べを受けている間に、拘置所の檻の中には酔っ払いがひとり収容されていた。

「姉ちゃん、何したんだ一体」酒臭い息を吐きながら、五十がらみの酔っ払いは尋ねる。声が嗄れていて、普通にしゃべっていても吐いてるみたいだった。

「いまは何もしてない。だけど、毒薬を密輸した疑いを掛けられてる」

「おおごとじゃねえか。あんた、よく平気な顔してるな。飲まなきゃやってらんねえだろ」

「ここ、酒税は低いんだっけ?」

「低いぞお、酒飲みにはいい街だ」答えてから、酔っ払いは首を傾げた。酔いが醒めてきているらしい。「いや、そうじゃねえだろ。あんた、このままじゃ市長のお城につれてかれて首吊りだぞ。罪に厳しく、がモットーだからな」

「だからあんたみたいな、ただの酔っ払いまでつかまっちゃうのね。あんた程度、ペルサではそこらの街角に落ちてたわ」

「それはそれでどうなんだあ」倫理的な酔っぱらいは頭を抱える。そうして顔を伏せたまま、不意に低い声で早口になった。

「まあ、悪い姉ちゃんには見えないから教えてやるが、ここの市長はいずれ自治権が欲しいんだ。自分の市民を団結させるには、まずは税金を下げること、そして近い町の人間を敵だと思わせるところから、だな。あんた、生贄にされてるぜ」

 マティアは天を仰ぐ。仰いだところで、汚い石組みの天井が眼に入るだけだ。

「……教えてくれてありがとう。でも、どうすれば」

「飲まなきゃやってらんねえだろ?」


 ところがその時、ドカドカと足音が廊下を近づいてきた。

「ついてこい!」どちらにともなく衛兵が言って、檻の鍵をがたがたと乱暴に開ける。「釈放だ!!」

「姉ちゃんかい、俺かい」

「どっちもだ。しかしボルケーノ、お前、次はないぞ」

「お前たちが捕まえなければいいだけだろお」ボルケーノ氏はふらふらと立ち上がる。振り向きざま、驚いた眼でマティアをちらりと見つめた。


「私が身元引受人です」

 詰所の事務所にいたのは、まったく知らない紳士だった。

「えっ……」

 戸惑うマティアを目で鋭く制して、身なりの良い紳士は続ける。

「その者は私の甥の友人です。知らずにしたこととはいえ、身内がたいへんなご迷惑をかけた」

 知らない人は、なぜかマティアのために頭を深々と下げている。

「フリューリー様のご係累とは知らず、大変なご無礼を…」

 衛兵の中のリーダー格が、横暴さはどこへやら、やはり深々と頭を下げた。と、入れ替わりに頭を上げたフリューリー様は、途端に厳しい顔になっていた。

「先ほどもお話したが、ペルサの警察ともすでに連絡はついている。イルミントンまでの道中、この者たちは関所を通過した。そこで、まあ……やや印象的だったから、間違いはないらしい。彼女の壺にその時入っていたのは、確かにアルマの粉末だったということです。つまり」

 言葉を切って、一度衛兵たちを睨みまわす。

「この私の身内を、誰かが陥れようとしたということで間違いないだろうね」

「必ずこの件は取り調べます」

 衛兵たちは恐れおののき、ひれ伏さんばかりになった。

「そうしてください。そして結果は市長様と、私にご報告願いたい。それと、この者は次の街へ旅立たせていいですね。優秀な弟さんに会いに行くところなのだそうですよ」

 そうして表情を少し緩めて、ぽかんとするマティアにうなずきかける。

 その容貌は、どこかで見覚えがあるような気がした。

「さあ、行こう」

「お世話になりました」

 マティアはわけもわからず頭を下げ、知らない人についていこうとする。そこに入れ違いに、太ったおかみさんが弾むように駆け込んできて、ぶつかったマティアを壁際に跳ね飛ばした。

「あんたあ!!また衛兵さんのお世話になって!!」

 事務所の隅に、ぼろきれのようにうずくまっていたボルケーノ氏が立ち上がる。

「飲まなきゃやってらんねえんだよお」

 ボルケーノ氏は立ち上がり、そのままぐらぐらとふらついて、マティアの方に倒れかかってきた。酒場勤めでも思わず竦む酒臭さだ。しかしその臭い息に紛らせて、酔っ払いはささやいた。

「危なかったな、姉ちゃん。良い冒険を」


「ありがとうございます。ええと、どちらさまですか?」

 くらくらするような青空の下、マティアはフリューリー様なる者に問いかけた。

「あまりそれは訊かないでもらいたいね」

 紳士は品よく答えた。顔立ちも小づくりで品が良い。

「まあ、私の都合で助けたんだ。恩に着る必要はないよ。早いところ、この町を出なさい」

「はい……でも、あたし、何に巻き込まれたんでしょう」

「目的は君じゃない。ペルサの評判を落とすことだ。近隣の町への憎しみは、この町の見えないところにひどく蔓延っている。高い関税じゃ足りないくらいにね」

 紳士は広場に面した公証所の建物の陰に入り、息をつく。

「この事件は狂言だと思っていい。たぶん、君の依頼主とやらもグルなんだろう。しかしペルサのギルドは依頼主の身元確認をちゃんとやってないのか?君はそっちを恨んだ方がいいと思うがな」

「すいません……」

 忙しい、忙しいと言っているカリメラの顔が浮かぶ。

「では、私はこれで」

 ミステリアスな紳士は公証所の中へ入っていく。暗い磨りガラスの扉に半分身体を入れたところで立ち止まり、わずかに顔をマティアに向けた。

「君の連れは、『オフィーリア』亭で待っているよ」


 『オフィーリア』は西地区の裏通りの一角、貴金属店の地下にあった。酒場というより高級クラブだ。影になった奥のカウンターに、ドゥミ・モンドは頬杖をついて微睡んでいた。道化の紅いマントに白塗りの容貌も、暗い照明の中でかえって妖艶だ。身なりのいい若者が何人か、ソファに眠るように身を横たえて酒を舐めている。まだ朝の十時だということを忘れそうだった。美しく強面の黒服が、道化の名を告げて入ってきた余所者をうさんくさげに見ている。

 ここの経理はどうなってるんだろう。これだけ立派な内装の元を取るには、かなり酒代に上乗せしてるに違いない。客層も厳選してるし、たぶんこの煙たさからすれば、違法な薬か何かもやってる。もしかして、こういう場所なら結構税金を払ってるんじゃないかな…

「ねえ、マティア!」

 気づくとドゥミ・モンドが、目を輝かせて周囲を見渡すマティアの肩をゆすぶっている。

「何してるんだよ。なんかされた?」

「ちょっと蹴られたけど、まあ大丈夫。待ってなくてよかったのに」

「何言ってるんだよ。俺が助けたのに」

「は?」

「フローラの旦那に口利いてもらったんでしょ」

 マティアはぽかんと白塗りの顔を見た。あっけにとられた様子が面白くて仕方ないというように、道化の表情が歪んでいく。そのまま低く声を落とした。「弁護士にして市議会議員、ロードス・フリューリー様」

「……なんであんた、そんな人と」

「ちょっとした伝手があってさ。すぐに頼み込んだんだ。俺だってタダで頼んだわけじゃないんだぜ?かなり感謝してくれてもいいと思うんだけど」

「どうもありがとう」

「心がこもってないなあ。まあいいや、行こう。ついて来るなとは言わないよね?」

 ドゥミ・モンドは懐から貨幣を出して通りかかった黒服に無造作に渡す。それが金貨であることを、マティアは素早く見て取った。黒服はそれを自分の懐にスムーズに入れ、何事もなかったようにカウンターへ戻っていく。

「ちょっと、領収書は?」

「大声出さないで、頼むから」道化はマティアの手を取って入口に急いだ。


「俺の推測だけど、あのアルマの粉は、カーサシャー亭の女将への報酬そのものだったんだ」

 大通りに面した清潔な薬屋は、全面がガラス張りになっている。道化はガラス越しにショーケースを指さした。

「市内の薬屋は、ぜんぶ市長の一族が牛耳ってる。ここは税金は安いが、薬だけは安くはない。高くもないけどね。ご覧あれ、見事な値付け。市民の反感を買わない値段、ギリギリをぴったりだ」

「値札読めない」

「あんな暗い酒場の奥で帳簿ばっか見てるから……」

 ドゥミ・モンドを無視して、マティアは考えた。

「つまり女将は、もっと安くアルマの粉を買いたかった。だけど市長がいる限り、薬の値下げだけは期待できない。他の町から輸入したらなおさら関税がかかる。薬自体は正規品でも、正規じゃないルートで手に入れるしかなかった」

 酒場の女将の、きつい顔が浮かぶ。

「そこに、ペルサからの旅人を陥れる計画が持ち上がった。女将は壺の中のアルマの粉と引き換えに、片棒を担いだ。やってきたあたしから荷物を受け取って、粉を回収して、あとは死人が出たと騒いで。毒薬のことだって、衛兵がグルなら、ほんとは誰も死んでいなくてもいい……」

 マティアは目を細める。午前の陽光を浴びた薬屋の店内は白くまぶしく、まるで正しさと健康の象徴のように輝いていた。

 並んだドゥミ・モンドも同じように、明るい薬屋を暗い眼で見つめていた。

「カーサシャー亭、前はもっと雰囲気のいい酒場だったんだよ。看板娘がいたんだ。五歳くらいのちっちゃい、いい子でね。酒は運べないけど、一生懸命お料理を運んで皆にかわいがられてた。……気の毒に、最近ずっと寝たきりらしい」

 道化は静かにつぶやく。

「皆が君みたいに、税金を払いたいわけじゃないんだ」

「そうだ、税金」

 マティアの思考回路に火が付いた。目の前のきらめく薬屋の光景は、すぐにどこかへ溶けていく。

「あたしがしたこと、実質的には輸入ってこと?だったら関税払わないとだめじゃない?」

「なんで?なんでそういう方向になっちゃうの?今の話聞いてた?」

「関税の窓口、市役所だったよね?ちょっと待ってて」

 駆け出していくマティアを、しばらくドゥミ・モンドは茫然と見送っていたが、すぐに紅いマントを翻して追いかけた。

「待てって、マティア!!!!」

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