第2話 殺人容疑者になったが関税を払いたい(前編)
晴れた空の下、マティアと道化師は朝の街道を歩いていた。道沿いには畑が広がり、時々馬が追い抜いていく。イルミントンまでは3リーグ(約15キロ)ほどだ。今日の内には着くだろう。
「道化なんでしょ、何か面白いことでもできないの」
「俺の芸は商売だよ」ドゥミ・モンドは笑った。「お代をいただかないと。俺に何かくれる?宝物とか、愛とか?」
「商売ならきちんと確定申告しなきゃ」
「……」
「……」
気まずい旅路の始まりだった。ようやく関所の建物が見えてくると、マティアはほっとして足を速めた。
「交通税はいくらですか!!」
勢い込んで飛び込んできたマティアに、役人は面食らいながら答えた。
「ペルサからなら3ディナルだよ。怒鳴るほどの額でもないだろ」
「俺が出すよ」後ろからドゥミ・モンドが颯爽と10ディナル銀貨を役人に渡す。
「何してくれるんだ!!!!やめろ!!!」
「何が!?!」
「勝手に払うな!!」
「何の話だ!!」
役人まで叫び出したので、マティアはあわてて声を抑えた。「いえ、自分で払いますので。そいつには7ディナル返してください」
「あんたら連れだろ。それくらいいいぜ」
「あたしの分です」マティアは有無を言わさず自分の銀貨を押し付ける。二人がそのまま去ろうとしたとき、まだ目を丸くしたままの役人が呼び止めた。
「あんたのその木箱、ちょっと検査させてくれ。疑うわけじゃないが、この辺は麻薬の密輸ルートになっててな。昨日から摘発強化週間なんだ」
カウンターの奥で、役人は瀬戸物を取り出した。鶴を象った、白い陶磁のシュガー・ポットだ。役人は鶴の背の蓋を開け、真剣に覗き込んでいる。別の役人も来て、中身の一部を奥に持っていった。
「やばいもの入ってないよね?」道化のにやけた化粧がさらに緩んでいる。
「知らないよ。開けてないし」
「運送の仕事はまず中身見てから引き受けないと。冒険者の基本だよ」
「メリージ、そんなこと言わなかった」
「アハハ、俺がはじめっからついてればよかったんだけど」
「こりゃ、アルマの粉末だな。薬草の」役人が言った。「密輸じゃないが、あんたこれイルミントンだと関税取られるぞ」
「その量で?」ドゥミ・モンドが訊く。
「薬品はイルミントン市の主要産業だからな。どんな量でも関税かけてるんだ」
「関税を払うんですか!!」マティアが叫んだ。
「仕方ないだろう」役人は再び目を丸くして身を引いた。「決まりなんだから」
「ありがとうございます!!」
「何が?」
「もういいから、それ包んでもらえます?」ドゥミ・モンドが口をはさむ。白塗りに紅いマント、ついでに紫に髪を染めた男が一番まともなことを言い出したので、役人は再び面食らったように、黙って梱包にかかった。
「君、どうして税金のことになるとイカレるの?」
道化師は先を歩いている。街道にはちらほらと人が行き交っているが、会話に耳をとめる者はいない。
「人生の問題」
「人生ったって、君、二十かそこらだろ」
「二十年あれば、税金を知るには十分よ」
ドゥミ・モンドはマティアを横目で見たが、返事をしなかった。
宵の口になって、イルミントンの街が二人の前に姿を現した。ペルサと同規模の小都市だ。街道を右手に逸れ、街の門を潜ったが、門番は二人の冒険証を確認しただけだった。
「関税はどこでかけるの?」マティアが尋ねた。
「輸入品があるなら市役所に届け出てくれ。ただもう閉まってるから明日だな」
「先に届けちゃおう。税のことは依頼主に聞きなよ」ドゥミ・モンドがめんどくさそうに言う。
カーサシャー亭は街の西はずれの小さな酒屋兼冒険者登録所だった。狭い一部屋にテーブルがぎっしり並び、数十人が詰めかけて賑わっている。マティアたちが戸口に立ち尽くしていると、奥から若い女が現れた。
「あいにく、いっぱいだよ」
「飲みに来たんじゃない、
「ありがとね。悪いけど、冒険税は差っ引かせてもらうよ」
「関税は?」
「関税?」
「中身に関税掛かるんでしょ。できればあたしに払わせてほしいんだけど」
女は怪訝な顔をした。「いや、知らないよ。こんな中身が入ってることも聞いてなかったんだ。あんたらが入れたんじゃないのかい?」
「それ薬草の粉末だって――」
「だから知らないってば。はい、これね」女はマティアに30ディナル銀貨を1枚押し付けた。「また冒険が欲しけりゃおいで」
「残念だね。でもなかなかの稼ぎだ。よかったじゃないか」外に出ながら、ドゥミ・モンドが愉快気に言った。
「よくないわ。せっかく期待したのに」
「俺、今晩はここの馴染みの酒場に出してもらうよ。君は宿屋に泊まるといい。『羊眠亭』とかおすすめだよ」
「あんた、宿に泊まんないの?」
「俺と泊まりたかった?」ドゥミ・モンドが笑った。
「訊いただけでしょ?」
「ちょっと稼いでくるだけさ。寂しくなったらいつでも呼んでくれよ」そう言うと、道化師は紅いマントを翻してスキップするように去っていく。
「泊まるとしても部屋は別よ!!宿泊税が部屋ごとの課税になってるかもしれないから!!」マティアは後ろ姿に叫んだ。届いてはいないらしい。通行人が振り返る。ああ、何であんなのと旅をしてるんだ、あたしは――
『羊眠亭』はカーサシャー亭から歩いて二十分ほどの、落ち着いた通りにあるこじんまりとした宿だった。ドゥミ・モンドの言ったことは確かだった。食事はおいしく、部屋のベッドは清潔で柔らかい。しかも宿泊代も手頃だった。税金以外の出費は安いに越したことはない。
「イルミントンは初めて?」宿屋の女将が給仕をしながらマティアに尋ねた。「いいところでしょ。ここはね、薬術の街って呼ばれてるの」
「関所でも聞いたわ。どうして薬術が盛んなんですか?」
「市長の一族がね、もともと薬売りの一族なのよ。傷によく効く薬から毒薬まで、それこそなんでも作るようなね。それが経営をうまくやって、財を蓄えて作ったのがこの街なの。だから税金も安いのよ。最近できた市庁舎の鐘も、市長が自分の財で作ったものだし」
あたしにはつまんない街だ、という感想は、マティアも流石に黙っていた。
「最近国全体で税金が高いでしょ、王様が何にでもどんどん税をかけようとするから。でも市長さんはね、自分の財をなげうって、イルミントンの住民の税金が上がらないようにしてくれてるのよ」
関税を払えなかった以上、もうここに用はない、とマティアは思った。それに財を蓄えた人間の話は、聞いていて何か胸が焦ってくる。
あたしもほんとうは、ここの市長みたいになりたいんじゃなかったか?薬売る?いや薬とか何もわかんない。あたしが前世から持ってきたものといえば、徴税と経営に使った簿記術と、消せなかった思い出だけ――
「おいしかった、ごちそうさま」マティアはフォークを置いた。「ここ、飲食税とかありますか?」
「ないわよ、素敵な町でしょ?」女将は屈託なく笑う。「それじゃ、いい夢を!」
ベッドは柔らかかったのに、マティアはあまりいい夢を見なかった。フィオネラ・エスパークが暗闇の中からこちらを見ている。通った鼻筋、暗く蠱惑的に揺らぐ瞳。絶世の美女といっても過言ではなかった。そして絶世の美女になる前の無邪気な少女の頃から、生真面目だけが取り柄の少年だったマティアス・カロリクにとって、魔法であり、冒険であり、つまりは大切な幼馴染だった。
「わたし、あなたと結婚するって決めてたの」
懐かしい声が聞こえる。あの言葉は、少女時代のものだったか、それとも――
その眠りは、激しくドアを叩く音で破られた。
「マティア・アルフィアスはこの部屋に泊まっているか!!」
マティアは寝ぼけた眼で扉を開けた。たちまち、両腕を逞しい手に掴まれる。
「なんですか」
「衛兵詰所まで来てもらう」目の前の衛兵が居丈高に言い放った。宿の細い廊下に、衛兵が四人も、狭そうに並んでいる。
「何で?」
「お前、ペルサから壺を運んだな、カーサシャー亭まで」
「依頼で、ですよ」
「それはわかっている。お前の持ってきた壺に入れたシロップを飲んで、さっき人が一人死んだ。カーサシャー亭の店員は、お前が変な粉を壺に入れて持ってきたんだと言っている。きっと付着しただけで人を殺すほどの猛毒だったんだろう」
「そんな無茶な。もともと入ってたんです」
「お前に質問はしていない」
弁解の暇もなく、マティアは『羊眠亭』から引きずり出された。寝間着のまま、夜の街を引かれて行く。ちらほらと酔客が行き交っており、連行されるマティアを見ては歓声を上げた。
「嬢ちゃん、寝間着で何をしたんだい!」
何が素敵な街だよ、とマティアは寝ぼけた頭で怒っていた。殺人犯には間違えられる、関税も飲食税も払えない。このままだったら、宿泊税も払えないんじゃないか?この衛兵たちにしたって、そもそも税金で雇われてんのかな。そうじゃないならこいつら市長の私兵じゃないのか。やっぱり税金は大切だ。治安維持は税金で――今はそれどころじゃない気もするが、眠い頭はついていかない。
「マティア!!」
叫ぶ声がして振り返ると、見知らぬ二人連れが引いて行かれる彼女を見守っていた。叫んだ方は、そばの壮年の紳士の腕に腕を絡めた、細身の若い男だった。街灯に照らされた顔は、引き攣っていてもそれとわかるほど青白く、不気味なまで整っていた。いや誰だよあいつ。あたしが払い損ねた関税の幽霊か。
「よそ見をするな!」
衛兵たちに小突かれて、マティアは再び不恰好に歩き出した。イルミントン中央広場の衛兵詰所につくと、奥の部屋の檻の中に放り込まれた。何もかも夢のような気がして、マティアはがらんどうの留置場の中で再び眼を閉じた。なんだか青猫亭の帳簿が、既に恋しい気がする。
――あたし、冒険なんてするガラじゃなかったのかな。
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