タックス・ヘヴンでアヴァンチュール

@mrorion

第1話 経理は道化と旅に出る

 マティアス・カロリクの最期を、マティア・アルフィアスはいまでもよく夢に見る。絞首台の前に集まった群衆の、興奮と憎悪にきらめく顔、顔、顔。首に縄の絡みつく、その刹那の、もう戻れないという感覚。後悔。そして込み上げる、己を恥じる心からの疼き。

 社会的に成功したかった。そのために勉強を重ねて徴税吏になった。その頃、税の取り立ては徴税吏という役人が行い、彼らは民衆により重い税を課して、差額をまるごと懐に入れていた。実際、マティアスはそうして儲けた資金で酒場をいくつも経営し、かなりの財産家になった。

 しかし、それも長くは続かなかった。王は徴税吏制度を廃止した。そして国民のこれまでの不満の生贄として、徴税吏たちを一斉に処刑したのだ。

 ひとびとに憎まれても仕方ないと思っていた。しかしこうして、処刑台に立たされて、マティアスは自分が間違っていたということに、それにずっと気づきながら目を逸らしていたことに気付く。ああ、だから、この結末は正しいのだ。

 しかし、もし、もう一度だけ神が機会を与えてくださるのなら。

 私は、償いがしたい。自分が虐げてきた人と同じように生きるのだ。今度こそは、自らの手で得た金を、だれよりも、真面目に――

 その刹那、足元の台が蹴り飛ばされ、マティアスの身体は宙に浮く。


 貧民街の一少女、マティア・アルフィアスとして生まれ変わった時、彼女は神が本当に機会を与えてくれたのだと思った。性別も境遇も違ってしまったが、これこそは徴税吏マティアスがいまわの際に望んだ、償いの機会そのものだった。

 そうだ、税金を納めなければ。私はそのために生まれてきたのだ。

 幼いころからマティアは税金に目がなかった。靴職人の父が売り上げから消費税を納めに税務署に向かう際には必ず同行した。父は貧しかったが、確定申告はきちんとする男だった。

 やがてマティアは父に仕込まれた靴磨きで小遣いを稼ぐようになった。街に出て、靴の汚れた紳士淑女に声を掛け、十分ほどで磨いて小銭を取る仕事だ。マティアはそのわずかな売り上げを帳簿につけた。

「えらいわ、マティア。お金の大切さがわかっているわね」母は褒めた。

「だってこうしておかないと、確定申告の時に困るでしょ、ママ」

「確定申告?あんた、その売り上げ、確定申告するつもりなの?」

「もちろんよ。領収書も切ってある」

 結局母は父を呼び、父は近所の学校教師を呼び出し、学校教師が年収が300ディナル以下の者は確定申告を要しないという税法の規定を読み上げることで、マティアの確定申告は阻止された。マティアはものすごい勢いで泣き出した。

「あたし、税を納めたいの。はやくいっぱい稼ぐようになりたい」

「稼ぐのは良いんだがな……」父は頭を抱えた。


 マティアはその時から、高額納税者になりたいと夢見ていた。どうにかして事業を起こし、かつてのように酒場を手広く経営しよう。今も昔も酒場は手堅く人が集まる。そのためにはまず学校に行き、最新の経営学を学びたい。マティアは地区の学校でもいつも一番の成績だった。弟のティボルトも優秀だったので、両親は鼻高々だった。二人は貧しい暮らしから、姉弟が官立学校に入れるだけのお金を貯めようとしていた。

 しかしマティアが十六歳の冬、仕入れに出かけた先の旅館で火事に遭い、両親は死んでしまった。残された貯金は一人分の学費にも足りなかった。

 狭い家に残され、マティアは泣き止まない弟を抱き締めていた。もう一度生まれてきたのは贖罪のためだ。あたしが豊かな暮らしを送るためじゃない。

「安心して。お金の面倒はあたしが見てあげる」

「だけどそれじゃ、姉さんが学校に行けないだろ」

「あたしはいつか自分で稼いで行くから。あんたの方が稼ぎが悪そうだし。こうなった以上は、二人揃ってしっかり生きていくのが父さんと母さんへの手向けでしょ」

 マティアも泣いていた。徴税吏として生きていた頃には知ることのなかった、貧しい人々の必死だが温かい暮らしを教えてくれたのが両親だった。

「それに、ちょうど最近墓地が足りなくて埋葬税が上がったから。たくさん税を払えるのは、せめてもの救いだと思うの」

 ティボルトは顔を上げ、姉からそろそろと身体を引き離した。

「ティボルト?」

「姉さん」泣いていた弟は真顔に戻っている。「それ外で絶対言うんじゃないよ」


 それから四年が経った春。

 王国南部の街・ペルサの冒険者登録所『青猫亭』は、登録カウンターに加えて酒場・宿泊場・装備品販売所を兼ね備え、ここからさらに南部の荒地や北東部の王都へ向かう人々の中継地点として賑わっていた。

「キルペリクさん、また仕入れの帳簿、適当につけてるでしょ!」

 茶色の髪をきちんと結び、帳面片手にきびきびと怒鳴り込んできた若い女の姿に酒場が湧く。青猫亭の鬼経理・マティアの姿はなかなか拝めない。暗いカウンターの奥で眠たげな眼をしていた四十がらみの男が言い返す。

「適当じゃねえ、加減して付けてんだ。いいだろ、俺が使い込んでんじゃねえんだよ」

 いいぞキルペリク、俺らの味方。酒場から声援が飛ぶ。青猫亭には冒険者とは名ばかりの、酒場に入り浸る男女がたむろしていた。キルペリクは彼らのために、安い美酒をさまざまに取り揃えている。

「そんなことは疑ってませんよ。ちゃんと帳簿をつけてくださいって言ってるだけです。なんですかこの水10ガロン100ディナルって。裏庭に井戸あるじゃないですか」

「井戸じゃ汲めない水もあるんだよ、なあお前ら」

「酒税が上がったからでしょ」

 キルペリクの眠たげな眼が、ぎらりと据わった。かつて名うての賞金稼ぎだったこのマスターは、人を射るような不気味な目力をもっていた。

「そうだ、酒税があがった。それを差っ引くと利益は減る。そしたらどうなる?あのしみったれカリメラが仕入れ値を下げろと言ってくる。ここの酒は不味くなる。誰が得するんだ?いや、俺がを仕入れることで、誰が損するんだ?」

「国ですよ。あたりまえでしょ」

「だからどうした。国は俺たちからさんざん税を搾り取ってきただろ。多少俺たちが得したってかまわんじゃないか」

 たちまち、酒場の男女が一斉に同意した。「そうだキルペリクさん、よく言った」「俺たちのマスターだ、何が大事かよくわかってる」「マティアちゃんはまだ若いから、真面目なんだよ」

 マティアはそれを黙って聞きながら、マスターを睨みつけていた。

「わかりました。じゃあ帳簿をきちんとつけてくれたら、その分の酒税はあたしが払います」

「いや待て。それこそ誰が得するんだ。お前が損するじゃねえか」

「いいえ、キルペリクさんのおっしゃることは確かにもっともです。だけど、この登録所の経理として、あたしには。だったら、あたしが払うしかないでしょ。大丈夫、カリメラさんには話通しとくから」

「いや待て。――いや待て、おい、それは何か全体的に間違えてるぞ」

「いいじゃないですか、キルペリクさんも酒場も迷惑はしないし。だから帳簿、ちゃんとつけてくださいね」

 帳面をカウンターの向こうへ押し付けて颯爽と出ていくマティアの姿を、その場にいた人々は茫然と見送った。

「あの手のにはかなわんな」キルペリクは頭を振って、押し付けられた帳簿を重たげに開いた。


「聞いたか、マティア」事務室に戻ってくると、登録所の雇われオーナー、カリメラが煙草を燻らせている。黒髪美貌の女だが、首と背中にひどい傷跡があり、しかもそれが目立つような赤いオープンドレスを着ている。「関税は上がる、酒税は上がる。さらに追い打ちだよ」

「酒税の件は大丈夫です。あたしが払うので」

「何の話だ。あたしが払うってどういうことだ」

「それより、追い打ちって何ですか」

「冒険者税って、もう知ってるか」

「何ですか、それ」マティアの目が輝いた。

「嬉しそうに訊くことじゃないよ。一依頼クエストにつき5パーセントだ。しかもこれが冒険者の側にかかるんだ。報奨金から差っ引くんだと」カリメラはいらいらと灰皿を指で叩く。「まあ、依頼の名を借りた取引だからね、消費税代わりの税を取りたいってお上が思うのも時間の問題だったが。しかし、クソ、代理徴収するうちの身にもなって見ろ、どれだけ文句が来ることか」

「それ、依頼をいっぱいこなせばそれだけ税金払うってことですね」

「そうだよ、まったく」

「あたし冒険者になろうかな」

「何言ってんだよ。それにあんたが抜けたら困るんだよ。あんたが来てから、うちの経営は安定し始めたんだからね」

 だけどここにいても、払える税はたかが知れてるのに。マティアは言葉を飲み込んで帳簿に戻る。カリメラの厚意で給料はそう悪くないが、王都の神学校に通う弟の学費で大半が消える。それはいいのだが、官立学校の学費には控除が掛かるので、マティアの所得税はその分下がってしまう。消費税を払おうにも贅沢はできない。交通税を払おうにも用事もない。酒税だけはキルペリクから取り上げたが、彼がそういつまでも応じてくれるとも思えない。どうせ来月の帳簿は元通りだろう。

「しかしあんたのその税金気違いぶりは、いったいなんなんだい」

「あたしの人生の問題です」

「妙な人生もあったもんだね」

 マティアの目からもよっぽど奇妙な人生を送ってきたように見える美しい女は、溜息をふっと吐いた。タバコ税が揺らぐ煙となってマティアの頬をかすめた。


 仕事終わりにマティアは、登録所の入口で白塗りに紅いマントの、細身の男とぶつかった。マティアは避けようとしたのだが、男が計ったようにつまずいたのだ。

「あ、マティア。さっきキルペリクとやり合ってたね。あれ相手に引かないなんて、なかなかだよ」白塗りの男は嬉しそうに笑いかけた。一年ほど前から酒場に出入りするようになった道化師、ドゥミ・モンドだ。今日も舞台があるに違いない。

「どうも」

「君、いつもつれないよね」

「あんたがおひねりを確定申告してるとは思えないから」

「俺そんな理由で嫌われてるのか」

「それじゃ」

「あ、ちょっと」ドゥミ・モンドはマティアの前に回り込んだ。「これ、手紙」

「手紙?誰から?」

「知らないな。さっき別の酒場で、青猫亭の経理の子に渡せって言われたんだ」

「ありがとう。それじゃ」マティアは手紙をひったくって懐に入れると、さっさと歩きだした。あの男はどうにも苦手だ。いつも道化師の化粧で表情が読めないのもあるが、態度の近さに、妙にざわつくものを感じる。それに彼は間違いなく納税していない。

 家に帰ると、もう一通の手紙が届いていた。見慣れた字のそちらを先に開いたのは、どことない不安のせいだったか。

 ティボルトの手紙は喜びにあふれていた。神学校で出した論文が認められ、王都の貴族に学費を出してもらえることになった。いい折だから、姉さんも一度王都に遊びに来るといい。姉さんの旅費ぐらいは貸してもらうから――

 マティアは数度その手紙を読み返し、何とも言えない感情に襲われた。甘えっ子の弟が巣立っていって、重荷が降りたような、嬉しさと寂しさの混じった気持だった。もうあたし、青猫亭で働かなくてもいいのかな。だけどカリメラには恩もあるし、学校に通うなら貯金もまだ欲しい。一度王都に行くくらいの休みはもらってもいいか……

 そうだ、休みをもらって短期冒険証を取ろう。そうすれば冒険税を払いながら弟に会いに行ける。交通税も払い放題、王都までは徒歩でひと月くらいだから、数十回は宿泊税も払える。それに知らない町には知らない地方税があるかもしれない。旅行者税、短期居住税、飲食税、呼吸税、歩行税、睡眠税――

 マティアはもう、そうすることに決めていた。

 青猫亭の経理もふた月くらいなら、誰かほかの人に任せていいでしょ。帳簿はどうせあたしが付け直すんだし。そんなことを考えながら、マティアは上の空でもう一通の手紙の封を切った。そこに流麗な字で書かれた文章を目にした瞬間、しかし彼女は凍り付く。


「フィオネラ・エスパークはお前の後を追って死んだ。彼女が残したメッセージを知りたいのなら、王都のエンデュミオン卿を訪ねろ」


 

「しかし、ほんとに冒険者証を取るなんて。頼むから無事に帰っておくれよ」

 登録カウンターの向こうで、カリメラは呆れた口調で言った。「ここの経理はあんたしかいないんだからね」

「大丈夫ですよ。弟を訪ねるついでにちょっと見分を広げるだけですって。はい登録税」

「こんなにいらないよ」登録係の少年、メリージが小銭を突き返した。

「とっといて」

「そういうの税金にないから。で、最初の依頼クエストはどれにするんだ。マティア、あんた剣とか使えないだろ。経理だし」

「イルミントンへの運送の依頼とかない?」イルミントンはペルサの北隣の街だ。王都への旅で最初に行きつくことになる。

「あー、これとかどう。大事な瀬戸物だから人の手で運んでほしいって」メリージはカウンターの奥から布でくるんだ木箱を取り出した。「イルミントンのカーサシャー亭まで」

「了解、それにする」

「それじゃ、良い冒険を!」メリージがお決まりの文句を言って右手を掲げる。こうして送られる冒険者を、マティアはたくさん見てきた。そして自分が今、冒険者として旅立つのだ。短い旅であっても、それは彼女をわくわくさせた。もらったばかりの冒険証を下げ、そっと木箱を片手に持って青猫亭を出る。荷物は背中だ。

 見慣れた街の道もどこか輝いて見える。そうか、これが冒険か。

 私はこれから、見知らぬ税を払いに行く。ああ、だからか。街が輝いて見えるのは。税金で整備されてる道路だから、税金を払う私の旅路に微笑んでくれるんだ。納税者としての誇りに溢れた笑みを、マティアは目に映る世界に投げ返す。


 その時、駆け寄ってくる足音がした。

「ねえ君、一人で冒険に出るの?旅の仲間も連れずに?」

 振り向く前にひらめく紅いマントが視界に入る。白塗りのドゥミ・モンドが背後に現れていた。

「どこで――」

「青猫亭以外ないよ。あの手紙の中身、教えてくれないから気になってたんだ」

「それで追っかけてきたの?」

「俺のせいで旅に出て、君に何かあったらカリメラに悪いだろ。それに俺も冒険者証使わないと、今年の登録税無駄になっちゃうし」

「え、ついてくる気?」マティアは立ち止まった。ふと見るとドゥミ・モンドは、棒に括りつけた荷物を肩に担いでいる。

「王都までだろ、俺も用事があるんだ。護衛くらいしてやるよ」

「道化が護衛?」

「経理よりましだよ」

「いや五十歩百歩でしょ」マティアは歩きだした。ドゥミ・モンドは俊敏に後を追ってくる。案外かわせない。

「ねえ、フィオネラって誰?」

「……読んだの?」

「その手紙、最初は畳んでなかったんだよ」

「嘘だろ」

 マティアの前方に街の門が見えてきた。あの門を抜けると街道に出て、1リーグ歩くと関所で交通税がかかる。それが旅路で最初の税だ。この男、どこまでついてくる気だろう。マティアは急に面倒になってきた。

「フィオネラはね、あたしの前世の恋人」

 そう言ってマティアは振り向く。これでこいつ、引いてくれないかな。白塗りの男は化粧の笑顔を浮かべていた。その背後で、故郷の街は、20年間マティアが納めてきた税の恩沢と春の陽光を受けて、燦燦とうつくしく輝いていた。

「…ふうん、なるほどね」ドゥミ・モンドはそれだけ言って、足を止めたマティアを追い越して街の門を抜けた。



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