▼ 寿命喰い

拾い魔

 ふいに肩を叩かれ、微睡まどろみから浮上する。身を預けている場所がベンチということは、最前列で電車を待っていたのは夢か。走った甲斐なく電車を逃し、腰掛けてそのまま寝てしまったのだろう。


「おにーさん、落としたよ」


 硬い寝床のお蔭でアチコチ痛む体を起こすと、女に声をかけられた。歳は50か60か。それなりにシワのある顔には、ひとの良さそうな笑みが浮かんでいる。

 スッと差し出された手のひらには、何も乗っていなかった。寝ぼけまなこのせいかとふたこすりしてから再び目をらしてみるが、やはり髪の毛一本ありはしない。


 ――新手のキャッチか? 大卒リーマン歴たかだか4年の俺より、もっと他に金持ってそうな奴がいるだろ。

 そう内心で毒づきながら辺りに目をやれば、残念なことにホームは貸切状態だった。


「お礼チョーダイよ、拾ったげるから」


 どう逃げを打とうか考え始めた矢先、伸ばしたままの手を二度振って女がう。外見とは裏腹な下心の丸出し加減にヒキつつ、ふと、その言葉じりに違和感を覚えた。

 何か落としたのかとベンチ下や周辺をザッと見てみるが、やはり何も無い。おちょくられているようで段々と腹が立ってきて、攻撃的に溜め息をついた。


「何が落ちてるって言うんですか?」

「アナタよ。〝アナタ〟」

「へぇ、俺が! どこに?」


 ほとんどヤケッパチ状態の俺の言葉に、此処ここなんだけど、と呟きが返る。女は、視線を9時から3時へ進めてから答えた。


「しいて言うなら……線路上ね」

「はぁ?」

「目立つ落とし方だし取り合いになるかもって心配したけど、誰も拾いたがらなくてツイてたわ」


 交渉は早い者勝ちだから、だの。気が狂って暴れたり拾得しゅうとく拒否する人もいてね、だの。理解できないでいる俺をよそに朗々ろうろうと語る姿は、心底喜んでいるように見える。


 切りどきのつかめないしゃべりを聞き流すうち、奇妙なことに気が付いた。終電が行ってしまったにしても静かすぎる。まだ改札の外には人がいるだろうに、その気配すら感じられなくて気味の悪さばかりが強くなった。


「――ねぇ、もしかして自覚ないの?」


 耳もとで聞こえた声に驚いて、ベンチから転げ落ちる。いつの間に移動したのか、女は隣に腰掛けていた。


「あら、ごめんなさい。でも、丁度いいわ。〝線路の上〟、覗いてみなさいな」


 うながされるまま見下ろした先は、上下がアベコベだった。電車の底らしきものがあって、通路との隙間すきまからは、俺を見返す青い顔がいくつかと天井が見えて。そして、車体の暗がりでせいき散らしている自分の死を見た。


 ――そうだ、線路に落ちたんだ。


 歳を問われてちからなく26と答えれば、同情の相づちのあとで「さぁ、どうするの」と女がせまる。

 この女にとって、これは商談ビジネスなのだろう。はなから交渉材料が決まっているのなら、他に聞くべきことはない。力なく「何がほしいんだ?」と問えば、女の笑みが深まった。


「〝寿命〟よ。2割までの請求なら合法なんだけど、おにーさん長生きしそうだから1割でいいわ」


 ――寿命? 仮に80までとしたら、残り54年だから……おおむね5年か。

 決して短くはないが、ゼロと半世紀のどちらがいいかは明白だ。


「分かった、拾ってくれ」

「交渉、成立ね」


 そうして俺は、差し出された手を握った。




『まもなく、電車が到着します――』

 アナウンスの声にハッとする。辺りを見回せば、そこは電車待ちの最前列だった。


 目頭を押さえて頭を振る。立ち寝した上に変な夢まで見るなんて、過労のきわみじゃないか。

 帰ったらすぐ寝よう。その一心で見え始めた電車を眺めていると、急に胸が苦しくなった。頼るものの無いまま前に倒れ、線路上に体を打ち付ける。


 ――痛い。苦シイ。ダレカ!


 耳ざわりなブレーキ音が迫り来る。必死の思いで手を伸ばした先には、ひとの良さそうな笑みを浮かべた女が居た。


「あらヤダ。もう9割生きてたの? 落としてごめんなさいね」


 遠のいていく意識の中。最後に聞いたのは、自分が果てる音だった。



===

拾い魔~寿命じゅみょう

〔2017.02.28作、2018.06.07改〕

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★公募ガイドの「TO-BE小説工房(第26期お題:落し物)」用に創作。落選。


 書き残してる改稿の日付は2018年6月7日になっているけど、何度かちょこちょこ手直ししていたはずだから、最終改稿はきっと2018年11月あたりかな…? 『寿命喰い』の出てくる短編は他にも書いているので、それもそのうち公開したいなと思ってます。

(2020.06.06)


【7/2 追記】

関連作公開してます→『喰わず嫌いの死にたがり』https://kakuyomu.jp/works/1177354054897866348/episodes/1177354054897960799

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