アンドロイドが願うこと

「メアリーも死んでしまうの?」

 まだ幼さの残る顔が私を見下ろして問う。いつもならその頬を、額を、頭を撫で愛でるというのに、この腕はもう自由に動かせないらしい。

「そうね。もうすぐ、お別れみたい」

 長くもったほうなのだとは思う。初めてのお別れを済ませたあの日から、ろくなメンテナンスをしていないというのに。


 濾過もせず足しもせず、目減りし黒化していく油を何度も何度も循環させてきた。別に、いつ壊れたって構わない。だからそんなものより薬や食べ物、寒さをしのげる衣類を買い与えることにあの人の遺産を費やした。

 白銀だったこの身の内はとうに真っ黒。繊細な動きが日増しにできなくなっていく中、ついにその日がきたらしい。


「『アンドロイドだから死なないのよ』ってやつ、僕信じてたのにな」

 動かせはしないけれど触覚は生きているようで、右手を掴まれたのが分かる。緊張しているのか、ロンの手は普段よりも少し冷たかった。

「そんなことも、言ったわね」

 老いないし病気にもかからない。頑丈で怪我らしい怪我もしない。だから私だけはずっと一緒に居るよと――気休めでしかなくとも、減っていく子たちをそう言ってなだめていた。もっとも、それも数えるほどでしかなかったけれど。


 名ばかりの孤児院を引き継いで、ただ看取り続けた。病気や怪我で捨てられた子を迎えに来る者などいない。それでも、病を克服して最後まで残ったこの子にだけは迎えが来るものと二人暮らしてきた。

 ロンを里親に託して、ひっそり朽ちてしまいたい気持ちは確かにあるのに、そうならなくて良かったとも思っている。今になってあの人の気持ちが分かるなんて、カミサマという方もずいぶん酷い。


 動かなくなったあの人を残し、生まれた家に火をかけた。私の意思ではない。それが私の造り手である彼の、最後の命令だったからだ。

 その理由も想いも、今となっては永遠に聞けない。けれど、こうして見送られる側になったことで少し分かった気がする。

「ねぇ、ロン。やりたいことは見つけられた?」

 手を伝う微かなふるえ。迷うように揺れた視線。そこにあるのはおそらく――


 力が入らないなりに彼の手をにぎる。これまでどおり急かさずに、ゆるく流れるままに待つ。それくらいの時間は残されているはずだ。

 僕。とだけ言って一度首を振り、ロンがまっすぐな視線を私に向けた。

「〈俺〉、メアリーみたいになる。アンドロイドじゃないから弱いし、病気や怪我もするけど。ちゃんと生きて、心を救える人になるよ」


 陽だまりを思わせる温かなその笑顔に、小さな後悔が胸にわく。

 あの人は、きっと泣かないでほしかったのだ。自分が居なくなっても、笑って生きてほしい。だから、いつまでも思い出させて私を縛りつける〈手に取れるもの〉を残すまいとしてあんなことをさせた。ただそれだけの――理解できてみれば、なんて不器用で横柄な願いだろう。

 ロンも、あの人も。他者ひとにばかり優しい。


「それじゃあ、まずは泣きたいときに泣けるようになりなさい。〈すべき〉と思うことより、今は〈したいこと〉を優先したっていいのよ」

 何を選んでも後悔するのがヒトだけれど。

 そう続けて、ああ私もいつの間にかヒトになっていたのかと気付いて笑った。命令に従ったことを悔やむアンドロイドなんて居るはずがない。


 いよいよ指先も動かせなくなり、視界が狭くなってきた。

「祈れば叶うなら。今くらいカミサマを信じようかしら。ロン。いつかまた、どこか、で……」

 噛み締めるような二度の頷きと、それから静かに降る涙が見える。動力切れを告げるカウントダウンが終わる前、ロンの叫ぶ声が聞こえた気がしてホッとした。


 まだ、たくさん話したかった。もっと、笑っている姿も泣いている姿も見ていたかった。だから、せめて――貴方の幸せを最後に願おう。



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アンドロイドが願うこと

〔2022.01.31 作〕

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★ Prologue 主催の短編コンテスト「昇華」の応募作。


 選んだテーマ曲「泣いてもいいから」の歌詞とはそぐわないけれど、雰囲気としてはこんな感じかしらと創作。別の世界線で、凸凹コンビのドタバタコメディーさせてあげたい気持ちが少しありますね。


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