月下の別れ・後編
ギレイは彼女が泣き終わるまで待ってから、剣身の幅を元に戻し、鞘へと収めた。鍔なりの涼やかな音色。別れを予告する鐘の音のように、ギレイの耳には響く。
少し動揺してしまったのだろう、
「ミシュアさん。この剣の、」
変なことを口走ってしまう。
「今やったやつ……なんて言おう? 変形?」
「ふっ……ふふっ、わたしに聞かれても」
涙の痕がある彼女の目が、柔らかに細くなる。泣いているより、笑って貰える方が嬉しい……そんなふうに思いながら、ギレイは続けた。
「いいや、変形で……変形って言っちゃおう。それで、この剣の変形だけど、振るい手の意志……思念、想像を意訳して現実にする。つまり、思った通りの形になるんだ……でも、」
「分かってるよ」
涙の痕を拭った彼女の目はもう、騎士のそれだった。
「訓練はする……実戦の前に、」
「あ、これからやるのは不味いよ、しっかり寝ないと」
「ふふっ、ええ、分かってる」
「僕のおすすめとしては、」
「行軍中?」
「うん……正解」
「なんで悔しそうなの」
「僕が言いたかった」
「……ふふっ、ならもう一つだけ正解するね」
「ん? どういうこと?」
「ギレイさんなら、きっと、わたしの剣筋は見て、覚えてくれている」
出逢って少しして、彼女と剣を交えた。彼女に怒られたことを思い出す……彼女と出会ってから日が浅いときだった。
「わたしの剣筋に寄り添うよう、この剣は変形する……ギレイさんなら、そうね、最小の訓練時間でも実戦で使えるように仕上げてくれている……違う?」
からかうような、彼女の声音が耳をくすぐる。
「……うん、正解……だよ」
「なぁに、その顔……あ、そっか、ギレイさんも悔しさとかあるんだ」
「当たり前じゃない、あるよ~」
彼女の目がまたも緩やかに、細まっていく。
騎士とは違う彼女に、でも、刀工として続けた。
「ミシュアさん……使い慣れないうちは決まった型に落とし込んでね。刃の伸長、盾も……頼りすぎないで」
「ギレイさん。今度は
短く、一言ひとことを大事にするように、彼女は言った。
死の覚悟……なんて欠片も、彼女の顔にはなかった。普通の少女のようでいて、でも、確かで静かな自信が、真っ直ぐにこちらを見据える瞳にあったのだ。
(綺麗な……剣士だな、やっぱり)
思って、ギレイは未だ、彼女に渡さず握りしめた己の剣に目を落とす。
思えば、身分評議会、武芸大会、剣を交えて狩りしたこと――彼女と過ごした日々を逆巻くようにして、この剣は鍛え上げられていた。
だから、本当に自分と彼女の剣だった。
手渡すより他に、なかった。
(……ミシュアさんの、命をかけて戦ってでも多くの人々を守りたいという願いと――)
彼女に出会えて良かったと、心から思って。
(どうか、命を支えてくれ)
もう一度、会いたいという祈りを託した剣を、彼女に差し出した。
受け取ってくれる彼女の手が、自分の手に重ねられた。
語るべきことはもう、ほとんど、語り尽くしていた。
彼女も、そうだったのだろう。
しばらく、ただ互いを見つめ合って、自然と絡み合った指先の温もりを感じ合う。
どのぐらいの時間、そうしていたか。
「わたし……そろそろ」
彼女の指先が今度は、すっと撫でるようにして剣の鞘に絡みついた。
剣から、ギレイは手を離した。
彼女との別れだった。
(やっぱり、少しは――)
名残惜しさを、ギレイは自分の心のうちに見つける。
でも、寂しさなんかで、この別れを壊したくなかった。
ただただ、彼女を見送ろうと、そう、決めた。
何も言わず、彼女が剣を握りしめるのを、見つめる。
「剣、感謝します」
「こっちこそ……僕の剣、待っててくれて、ありがとう」
彼女は剣を携えた。
「戦争、いってくるね」
「信じて、待ってるよ……今度は僕がね」
微笑を残して、彼女は背を向けた。
彼女の背が、遠のいていく。
彼女の背中は力強く凛とした歩みで、遠ざかっていく。
咲き始めた花々を門出に、夜闇へと消えていく。
ずっと、彼女を見送った。
…………そうして。
別れ終えてから、ギレイはその場に寝っ転がった。
さえざえとした月が、ほんの少し、滲んで見える。
涙はけれど、悲しさによるものではなかった。
彼女はきっと、生きて戻る、そう、信じていた。
だから、
「……渡さなくて、良かったよね」
腰の革袋から取り出した、不出来な指輪――彼女が欲しがったものに似せた白銀――を見て、ギレイは呟いた。初めて作ったものだったから、かなりの不細工さではあったけど。
剣と共に渡そうとしていたものだったけど。
「……うん、良かったんだ」
戦争へと赴く彼女には。
「やっぱり僕の剣が相応しい」
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