第四話「夕方の声」
カンカンカンカンカンカンカンカン……
高く鳴り響く音を踏みにじるように、重たい音がゴトンゴトンゴトンと重なって響く。
レールとレールの継ぎ目の隙間を鉄の車輪が渡る音。
金属のきしむ音が離れてゆくと同時に踏み切りは鳴くのをやめ、その黄色と黒の縞々の腕を持ち上げる。
音が去った後に一人たたずむ若者は、誰かを探しているようだった。
うっすらと透けているその姿を打ち抜くような鋭い音がまた響く。
カンカンカンカンカンカンカンカン……
踏切が閉まり始める。
若者は肩を落としつつ、ため息。
「ダレか、ナニか、探しているの?」
背後から若い女の声がして、ため息を吐ききらずに呑み込んだ若者は慌てて振り返る。
若者の目の前、線路脇の砂利の上に中学生くらいの少女が寝転がっていた。
その姿もまた透けていて……しかも下半身がなかった。
「……えーと、君が……」
「ゆっち。オニーサンがオバーサンのメリーさんの言ってたお弟子さんね?」
「ゆっち、さん」
「さん付けいらない。っつーかオニーサンのほうが年上じゃん? 高校生?」
「あ、うん。死んだ時は高三」
「わー。ゆっちの三つ上じゃん! 先輩っスね! つーかガッコどこ? ゆっちの受かってたとこ?」
「僕は都立の」
「あー。よく考えたらゆっち女子高だったわ。んでオニーサン、名前は?」
「……シュウト」
「シュウトさんってばさ、顔イケてるのにちょっとドンクサイね。モテるのにすぐ振られるタイプっしょ?」
「あ、いや……つきあったことは……ないんだ」
「うそ? もったいなーい。経験値低いと変な女につかまるよー? ってか今、ゆっちにつかまってるじゃん。ウケル!」
シュウトの眉が、少し困ったなと傾く。
「あー。ごめんごー。ゆっちが勝手にしゃべりはじめたら止めてよ?」
「じゃ、じゃあ、早速ご依頼の」
「ねねね。贈ってくれるのってさ、声だけ? おまけはなし?」
「おまけ?」
「ゆっちさ、死んだのバレンタインの日だったんだ。チョコ持ってく途中にここの踏み切りでひかれちゃってさー」
ゆっちが自分の顔の前で両のてのひらを重ねる。
その上に、端っこが少しひしゃげたピンクの箱があった。
リボンは白……だったのだろうが、リボンにも箱にもチョコの色に似た赤茶色がべったりと残っている。
「チョコを? ……できるのかな? 届けるのは言葉に託した想いって決まっ」
「ぶっちゃけ、どうやってんの?」
「……どうやってって……」
今までの「依頼者」とは明らかに異なる反応に、シュウトの表情には、戸惑いの色が浮かんだ。
「だってさ、シュウトさんもゆっちも同じ幽霊じゃん。なのにそっちが出来てゆっちが出来ないってズルイじゃん」
「でもこれはメリーさんの力だから、メリーさんにならないと」
「メリーって女じゃね? シュウトさんってば女顔だけど男っしょ? なんでメリーなの? まさかオネエ?」
「……い、いや…………うん……わからないんだ」
「わかんないって! 自分のことでしょ?」
シュウトはゆっちのすぐ近くの縁石に座り込み、ひざを両手で抱え込む。
「いままでで好きって感じたのは一人だけで、たまたまその人は男の人だったけど……」
「シュウトさんってば性どーいつしょーがいってやつ?」
「わからない。そんなこと気付く前に死んじゃったから」
「ね、こっち観て」
ゆっちは胸元を少しはだけ、両手で胸を寄せて谷間を作った。
「何か感じる?」
「え? …………け、けっこう大きいんだなって」
「わ、じゃあ、両方いっちゃう感じ? ねねね、ゆっちのおっぱいで興奮する?」
「こ、興奮はしていないけど」
「あー、好きな人が居るんだもんね。我慢できてエライエライ」
シュウトはまたため息をつく。
「ゆっちなんてさ、下半身ないんだよ? もう永遠の処女確定じゃん あ、幽霊ってセックスできるの?」
「……ゆ、ゆっち……」
シュウトは口の中で小さく「さん」という言葉を飲み込んだ。
「はーい! ゆっちでーす!」
ゆっちは勢いよく片手を挙げる。
シュウトの顔からは戸惑いが遠ざかっていた。
使命感に満ちた目で、ゆっちを見つめ、喋りはじめる。
「チョコを贈る方法は分からない。僕が教えてもらったやり方は、言葉を贈りたい人を一人だけ見つけて僕がその人に触れる。そうすると決まった時間の間だけ、その人の持っている電話を通してゆっちの言葉を贈ることが出来るって方法だけ」
「ちぇー。その人に触れるんだったら、そんときチョコ渡してくれればいいのに」
「渡すってどうやって?」
シュウトは、再びさっきの箱へ視線を移す。
ひしゃげ、乾いた血の色に染まった箱に。
「せめてさ、電話じゃなくメールとかで!」
「え?」
「画像ってつけらんない? あ、ゆっち頭いい! そうよ! 電話じゃなくってメールにすればいいじゃん!」
メール。
果たしてそんなことが……シュウトはこっそり周囲を見回した。
あの老婆が近くで聞いている可能性は充分にある、そう考えたから。
「ね! ね! ゆっち頭よくない?」
「う、うん。すごいね」
「ね、シュウトさん、ノウハウはマスターしてるんでしょ。もうさ、独立しちゃえば? ほら、昔、リカちゃん電話ってのあったんでしょ? メリーさんと同じ最後になるやつ」
「え、僕、それ知らない」
「んー、情弱よねー。発想もアレだし……なんかさ、ゆっち、シュウトさんより素質あるんじゃない?」
シュウトは苦笑いを浮かべる。
「やっぱ、のれんわけしかないっしょ!」
「の……れん?」
「何でメリーさんって言わなきゃいけないの? だって地道に活動しているのってシュウトさんたちバイトの人でしょ? メリーさん、お手柄丸儲けじゃん!」
「……でも実際、やり方を教えてもらっているし。それにこのカードがなきゃ……」
戸惑いの表情を浮かべるシュウトをじっと見つめるゆっちの目。
それは疑惑の目であった。
「それなんだよね」
「え?」
「メリーさんって言わなきゃとか、なんとかがなきゃとか、それって騙されているんじゃない?」
「だまさ……って、え?」
「ゆっちさ、ここから動けないんだよね。死んだ場所だからかなって思ってた。でもさ、シュウトさん動けるでしょ?」
「あ、うん」
「それさ、メリーさんになる前から?」
「……えーと……わからない。僕の時は死んで直ぐに勧誘に来たから……」
「えー! ゆっちは初めから客なのに、シュウトさんは初めからバイト勧誘?」
「僕に言われても……」
「まあいいや。それはあのオババに聞くこと。んじゃなくてさ。本当はメリーさんだから動けるんじゃなく、コツさえあれば誰でも動けるんじゃないかな、って」
「コツ?」
「そそそ! 別にメリーさんじゃなくても本当は動ける。なのにそれをメリーさんの力みたいに教えて洗脳してんの!」
「洗脳って」
「ゆっちすごい! かっこいい! よく見抜いた!」
「いやいやいやちょっと待ってよ」
「だってさ、何で届けるの言葉だけなの?」
「いや、それがメリーさんの力……」
「じゃなくてさ。意味無いじゃん。それだけで満足すんの?」
「……今まではそうやって救えて来たんだよ」
「救いってどうなるの?」
「……えーと……未練がなくなる……のかな?」
「なくなるとどうなんの?」
「…………天へ」
「天国!」
ゆっちが目を大きく見開く。
「ウケる! ゆっちキリスト教じゃないんですけど!」
「じょ、成仏かも」
「じゃあさ、なんでメリーさんは成仏しないの? 自分ができないこと人にできるっておかしくない?」
「え?」
「ゆっちは裏があると思うんだ。絶対に何か下心あるんだよ」
「でも」
シュウトは返す言葉を探して思考の迷路へと迷い込む。
それから「でも」を、もう一度繰り返したが、目の前の半身の少女を納得させられる言葉を見つけられずにいた。
自身が今までに助けた何人もの人たち、その彼らが喜んでいたその顔を思い出し、シュウトはようやく言葉をひねり出した。
「違う……と思う。救うなんておこがましいかもしれない。でも確かに、僕があの時手伝った人たちは喜んでいたんだ」
「成仏できたの?」
「……わからない。でも、すごく喜んでいた。メリーさんが成仏しないのは、助ける力を持ってしまったから、じゃないかな」
「わけわかんない! 自分が成仏できるのにしないってなんなの? 余裕ぶっこき?」
「こ、困っている人が居たから助けた。それだけなんだよ」
「……納得いかないけど……」
ゆっちはぷうっと頬をふくらます。
それからひゅっと息を吸い込み、大きなため息をついた。
「でも」
ゆっちの顔に自然な笑みが戻る。
「シュウトさんいい人だよね。ゆっち、いいこと考えたの」
「いいこと?」
「まずおんぶ!」
「?」
ゆっちはほふく前進でシュウトに近寄ると、その足をつかむ。
ぎょっとしてゆっちを凝視するシュウトの足を、もう一度叩いた。
「触れるじゃん、これ、いける! ね、おんぶ!」
シュウトは覚悟を決めたのか、ゆっちに背を向けながらしゃがんだ。
「ね、お願い。ゆっちを運んで。ゆっち、チョコは自分で持ってく。言葉だけじゃダメなの。だってバレンタインのチョコだよ!」
「……それは」
「チョコの方は自分でなんとかするから……ね、メリーさんにじゃなく、シュウトさんにお願いだったら大丈夫? メリーバイトじゃなければ問題なっしんぐじゃない?」
「そういう問題じゃ」
ため息と共にシュウトが漏らした言葉が途切れた。
シュウトの足をつかんでいるゆっちの手が震えていることに気付いたから。
「……お願い、します……自分の心にケリをつけたいの」
シュウトは少しためらいながらも結局、ゆっちの上半身を背負いあげた。
「ゆっち、胸あるでしょ。気持ちいい?」
「……うーん。触れているって感覚は薄いかな……」
「そこ! お世辞でも褒めておくの!」
「は、はい」
時々は笑いも混ざりながら、ゆっちの示す通りにシュウトは歩く。
やがて一軒の家の前に辿り着く。
「ここ」
ゆっちの言葉が終わらないうちに玄関の扉が開いた。
ジャージ姿の若い男。
「あ」
シュウトが声をあげる。
「え?」
少女は聞き返す。
「……まさか、シュウトさんの好きな人って……」
シュウトの肩につかまるゆっちの指に力が入る。
「……いや……部活の、一個下の後輩」
「うそ! 知り合い? ……って、あれ? 一個下? ゆっちと三田っちは同級生だよ?」
少女は指を折って数え出すが、すぐに手をぐちゃぐちゃと振る。
「ゆっち頭悪いから分からない! ね、シュウトさん計算して!」
「え、えーと……ゆっちが事故にあってから、多分二年ちょっとは経っていると思う」
「そんなにー? 全然そんな感覚ないの。そっかぁ……そんなに……じゃあもう、新しい彼女できたかな?」
「僕の知る限り、そういう話は聞いてないよ」
「……シュウトさん嘘下手だから、それは信じてみようかな」
「ほ、ホントだよ」
慌てるシュウトの頭を、ゆっちは静かになでた。
「ありがと、メリーさんじゃなくシュウトさん。シュウトさんのおかげでなんだか吹っ切れた。ゆっちは成仏することに決めた」
「……大丈夫、なの?」
「うん。だってね、三田っち、すっごい音楽の趣味合うの。ゆっちは三田っちの娘に生まれてくるんだ。そしてパパになった三田っちと一緒にコンサート行くの。そういうパパが欲しかったの!」
二人の目の前で、その彼は念入りにストレッチをしている。
シュウトは突如、カードを自分の手に挿した。そして立ち上がった彼へと触れた。
音楽が流れる。どこからか。
そして玄関の扉が開き、彼によく似た中学生が携帯電話を掲げて出てくる。
「にーちゃん! 携帯鳴ってる! 止まんない!」
ジャージの彼は携帯電話を受け取り、画面を確かめもせずに出た。
中学生は手を振りながらすぐに家の中に戻る。
「もしもし? ……えっと誰? サッカー部の誰か?」
シュウトはゆっちの手を握り、強めに握りしめた。
「もしもーし? 悪戯ー?」
シュウトはゆっちの手をもう一度ぎゅっと握ると、口を開いた。
「もしもし、私、メリーさん。いま、あなたの家の前」
「え? 前? って……家の前?」
きょろきょろとする彼の肩に、若者は自分がつかんでいるゆっちの手をそっと触れさせる。
ゆっちは、何かを言おうとした口をきゅっと結ぶ。
そのときだった。
彼の携帯電話から曲が鳴り始めた。
その曲を聞いている途中、彼は再び口を開く。
「……ゆっち? ゆっちなのか?」
曲は終わる。
余韻が三人に静寂をもたらす中、ゆっちが発した小さな声は、確かに彼の耳に届いていた。
「ゆっちの分まで幸せにならなきゃ、怒るからね!」
その直後だった。
バシっと弾ける音と共に、若者の手に挿さっていた黒いカードが抜けて宙に舞う。
「なんてことしてるんだい!」
あの老婆がそこに立っている。
「シュウトさん逃げて! 早く!」
ゆっちの耳元の叫びに、反射的に若者は走り始めた。
走り始めてしまった若者は、その速度を次第にあげる。
老婆はゆっくりと歩いているように見えるのだが、何故かシュウトたちから離れない。
その頃、あの玄関先で、一人残された彼はただ涙をこらえるかのように天を見上げていた。
「ゆっち……成仏しないと……怒るからな……」
<つづく>
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