第三話「昼下がりの声」
昼前から突然振り出した雨。
その雨の仲、一人の青年がコインランドリーへと駆け込んだ。
「雨は嫌いじゃあないけれど……乾いてもらわなきゃ困るんだよなぁ。うちもいい加減、乾燥機付きの洗濯機に買い替えてくれればいいのに」
誰が聞くでもない独り言。
しかし、その言葉に答えるかのように着信があった。彼のポケットの携帯電話に。
青年は画面を確かめもせず取った。
「俺ー。誰ー?」
「もしもし、私、メリーさん。いま、あなたの通っていた高校の部室」
「え?」
その声は青年にとって聞き覚えのある声だった。
しかしその声の主は……青年はその可能性を、頭のどこかでは否定しつつも、口ではつい聞き返してしまう。
「お前……シュウトか?」
わずかな沈黙のあと、声は答えた。
「もしもし、私、メリーさん。いま、あなたの通っていた高校のグラウンド」
青年が語りかけた名前は、彼が高校時代にサッカー部でかわいがっていた、一つ下の後輩の名前。
その後輩は、フィールドで彼が探した時には望んだ場所に現れ、彼がボールを望んだ時には欲した場所へパスを送り、まるで彼の気持ちを見通しているかのようだった。
二人は自然と練習外でもつるむようになり、いつも一緒に居た……だからこそ青年には、その声を聞き間違えるはずなどないという自負があった。
「……シュウトの声……の……録音、なのか?」
しかしその後輩は、彼が卒業し、遊びに行くよと約束していた文化祭の少し前に、永遠に卒業できなくなってしまった。
事故だった。
だからこそ、悪戯なのだとしたら許せない……青年は声に怒気をこめる。
「おい! 聞いているんだろ? お前は誰だ!?」
「もしも」
「お前はメリーじゃねぇ! 答えろ!」
「は、はい!」
青年の剣幕に圧されたのか、その声は返事をした。
青年は脳裏には高校時代の思い出が次々とあふれ出す。
「おい……まさか本当にシュウトなのか?」
「…………」
青年は目を瞑る。
死者からの電話なのだとしたら、自分に何を伝えようとしているのか……青年は、高校時代に後輩と交わした無数の言葉を一つ一つ思い出そうとする。
それから深く、息を吸って吐き、目を開いた。
「なぁ……シュウト。お前、俺のこと、恨んでいるのか?」
その問いに声は早口で答えた。
「もしもし、私、メリーさん……あの……」
青年は黙したまま、その言葉の先を待つ。
「う、恨んでなんかはいないです」
青年は確信する。自分の仮定を。
しかし同時に疑問も湧き上がる。なぜ「メリーさん」と名乗ったのか、を。
「俺は、厳しいことたくさん言ったと思う。それにシュウトのこと、ずいぶん拘束してたと思う。朝練、部活、その後の自主練。お前の時間をたくさん奪っちまった……だから、恨まれても仕方ないとも思っていたよ」
「もしもし、私、メリーさん。あの……あなたの……あなたに……たくさんお世話になったし……恨むよりむしろ感謝というか……」
青年は思わず吹き出した。
後輩の、真っ赤になったときの顔が思い出して。
彼の記憶の中で後輩は、周りからよくからかわれるタイプだった。華奢で女顔で、どちらかというと選手よりはマネージャーだよね、というのがお決まりのからかわれパターン。
線が細いせかフィジカルは弱く、個人技もずばぬけていたわけではない。優秀とは言い難い選手ではあった。しかし、フォワードだった青年へのアシストは周りの誰よりも上手だった。
また、その明るく柔らかい人柄はチームの潤滑油となり、特に試合で劣勢な時にはチームの心が折れないよう必死に立ち回り、信頼も厚かった。
青年が決めたゴールの、大半は、後輩のアシストのおかげといっても過言ではなかった。
いつしか、そういうアシストが得点に結びついた時は、試合帰りにラーメンを奢るのが暗黙のルールになっていた。そしていつもラーメンを奢ることになっていたな……青年は目を細める。
「変わってないな、お前」
「もしもし、私、メリーさん。…………はい……」
青年は、後輩と過ごした日々の幾つものワンシーンを今、アルバムをめくっているかのように思い出していた。
部活が休みの時、いつも練習ばかりで学校の成績が低くなったらいけないと、勉強会をしたりもした。
自分が先輩だから教えてやるとよ息巻いて、結局オススメ映画を一緒に観ちゃって勉強全くしなかったり、趣味でお菓子作るのが好きとかで、差し入れをよく持ってきてくれたり、夏休みには部活終わりに皆で花火をしようとか企んだり……そんな思い出アルバムの、最後の一ページ。
青年は真っ白い一ページを思い浮かべていた。
青年は、後輩の葬式に行かなかった。
二人の沈黙に合わせたのか、雨の音が少しだけ優しくなる。
青年が言葉を探しきらないうちに、携帯電話の向こうからまた声がした。
「もしもし、私、メリーさん。いま、あなたの学校の用具室の横」
半年前。
青年が、後輩の訃報を聞いたとき、彼は日本に居なかった。
両親が結婚二十周年旅行に出かける時、言葉が不安だからと青年を無理やり連れて行ったのだった。
青年は英語が得意というわけではなかったし、記念なんだから二人で行けばいいのにと反対もしたのだが、結局押し切られてついて行った……そのことを、青年はずっと後悔していた。
「本当のこと言っていいんだぜ。俺、シュウトの葬式、行けなかったもんな」
青年は、後輩がなぜ「メリー」と名乗ったのか、考えていた。
都市伝説のメリーさんは、捨てられた人形が復讐に来る……彼と後輩とは、捨てる捨てないという関係ではなかったが、葬式に行けなかったという想いは、彼の中に罪悪感としてこびりついていた。
「もしもし、私、メリーさん。……何度もお墓に来てくれたあなたの……高校の裏門を出たところ」
「墓参り……そうか。そういうの、わかっちゃうもんなんだ」
青年は墓の前で泣いたことを思い出した。
弱音を吐きもした。
心のどこかで後輩に聞いてほしかったという想いはあったが、聞いていたことをいざ知らされると、胸は締め付けられ、頬は火照った。
そう、弱音といえば……青年は、後輩が漏らしたとある言葉を思い出した。
『本当はサッカーなんてするつもりなかったんですよ。いま、続けているのもなんだか不思議です』
その言葉を、青年は「後輩が漏らした弱音」だと感じていた。
授業中、一年生の体育でサッカーをしているのをぼんやりと眺めていて、ボールタッチの綺麗な一年生が居るなと、無理やり勧誘して、体験入部でチーム戦をした時にやけに息が合うと感動して、自分がゴールを決めたいがために、無理やり引き止めた……青年にとっては、後輩の時間を奪ってしまったという後悔が、拭っても拭っても消えない苦しみであった。
後輩の人生の貴重な一部を、自分が奪ってしまった、と。
「ごめんな。もしも、もしもあの時俺が引き止めなかったら……そしたらシュウトの人生は今とは全く変わっていて……ひょっとしたら死んですらもいなかったかもしれない……ずっと、そんなこと考えちゃうんだよ」
不意に青年の足元で、水滴が落ちる音がした。
青年は雨漏りかと天井を見上げ、そうじゃないことに気付く。
「もしもし、私、メリーさん。いま、あのラーメン屋……謝らないで。先輩のせいじゃ」
青年のお気に入りのラーメン屋。
ゴール祝いで後輩を毎回連れて行った店。
青年にとって、祝いなどというのは口実で、本当はメシで釣れば退部しないだろうという浅い考えで始めたことだった。
青年はもう、何もかも申し訳ないという想いに呑まれかけていた。
「そういやさ、シュウトを最初に連れて行ったときさ。あのヒゲ店主、初めて見たお前のこと女子だと思いこんでたよな。可愛いからチャーシューおまけだよとか、俺のこと指差してこいつには気をつけたほうがいいとか……至れり尽くせりだったよな」
青年の視界は、雨量がどんどん増してゆく。
せめてくだらない笑い話で気分を変えれば……そう思って自ら振った話題ではあったが、まるで効果はなく、青年は大きな手で自分の目の辺りをぐっと掴んだ。
「シュウト……ごめんな……」
青年は、耳から離した携帯電話を、二、三度ぶんぶんと振った。
それからコインランドリーの外へ慌てて出て、再び耳に当てる。しかし、何も聞こえない。彼が先程まで感じていた気配そのものが消えていた。
「おいシュウト? ……えーと……メリーさん?」
しかし声は返ってこなかった。
「まったく油断も隙もあったもんじゃないね」
いつの間にか現れた白いドレスの老婆は若者の腕をつかんでいた。
つかまれている若者の腕は黒く変色し、手首から先は飴細工のように細くどこかへと伸びていた。
「この力を使うときの注意点、ワタシは話したはずだよ?」
「は……はい」
しゅんとした若者の手首から先が次第にもとの「掌」のカタチを取り戻し始める。
拳型の毛糸のセーターを解く、その逆回しみたいに。
「勝手なことするヤツが居ると、ワタシら全員が困るんだよ」
「すみません」
しゅるしゅると戻りつつあった若者の手首より先はもはや完全に「人の手のカタチ」を取り戻していた。
ただ、まだ黒く変色したままで……そこへ、その手の中へ、老婆は指をすっと差し込んだ。
手の甲にぬるりと入り込んだ指は、そこから黒いカードを抜き出す。
と同時に黒く染まっていた若者の手が、肌の色と取り戻した。
「まだ使えるようだが、これは回収しておくよ」
「あの、すみません。つ、次からはちゃんとしますから……」
老婆は若者の潤んだ瞳をじっと見つめる。
「泣いた顔は本当にオンナノコのようだねぇ……まあいいさ。しばらく様子を見させてもらうよ……あんたのあの想い人のね」
「ち、違」
「黙りなさい!」
「……」
「アンタがまいた種だよ。あの想い人が『メリーさんの正体が』云々と世間に向けて言い出さなけりゃ、不問に処さなくもない。だけど……わかっているね」
「あの、先輩には」
「せいぜい、信じておくことだね」
老婆は白い服の部分から、白が透明に変わり、背景に溶け込むように消えた。
若者はただ黙って唇を噛みしめていた。
青年は、コインランドリーを出た後も、自宅に戻ってからも、その夜も、翌日も、それから何日かの間、ずっと、メリーさんからの電話を待っていた。
しかし電話が鳴ることはなく。
時間を見つけては母校を訪れ、後輩の墓を訪れ、罪悪感をいつまでも抱えたまま、日々を過ごしていた。
青年は考えていた。
後輩のことを。
自分が今、後輩に出来ること、を。
ずっと近くに居た存在が急に消えてしまった事実を、受け止めきれてなかった自分のことを。
そうして悶々と過ごす何回目かの夜、電話が鳴った。
「もしもし、私、メリーさん。いま、あなたの駅の前」
青年が声を出す間もなく通話は途切れる。
しかも、その声は、彼の知る後輩の声ではなかった。
時計を見ると、もう深夜の二時近い。
そんな時間ではあったけれど、彼は外へ出る用意をする。
「なあ、シュウト。お前は俺がゴールを狙うとき、必ず俺の足元にボールを届けてくれたよな……だから、今度も……お前からのパスが届くって信じているから」
青年は、灯りの減った夜の街へと踏み出した。
<つづく>
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