第19話 虚ろな目

遠鳴市遠鳴警察署。


 霧湧村で逮捕された泥棒は、隣街の遠鳴警察署で取り調べを受けていた。村にある駐在所には、犯人を留置する施設が無い。もちろん取調室などもないからだ。そこで、検事へ送致するような犯罪を犯した者は、遠鳴市の警察署が一手に引き受けている。この泥棒もその一人だった。


 担当刑事が取り調べで話を聞こうとするが、肝心なところになると日本語が判らない振りをする。まことにタチの悪い泥棒だった。そこで、大きな街から通訳を呼んでくることになっているのだが、到着するまで時間がかかる。

 そこで雑談で泥棒の気心を掴もうとしていた。ところが泥棒は気もそぞろで、落ち着きが無く目線も泳いでいた。何やら様子がおかしいのに、気が付いた刑事は尋ねてみた。


「どうした? 随分と落ち着かないな?」


 泥棒は黙っている。しかし、時々後ろを振り返ったりしている。何かに怯えているようだった。


「…… なあ、さっきから俺の後ろを通っているのは誰なんだ?」


 泥棒はとんちんかんな事を言い出した。基本的に取調室には刑事と被疑者の泥棒しかいない。無関係な人物が入り込むことなど有り得ない。


「…………」


 刑事は薬物中毒を疑って泥棒を改めて見つめた。汗を掻いている風も無い、呼吸が乱れている訳でも無い、視線が落ち着かないのは、逮捕拘束した奴にありがちな事なので良しとする。薬物中毒を疑ったがそうでは無いようだ。


「お前の後ろにあるのは窓だ。 防弾の奴だから誰も通れやしないよ」


 取調室を誰かが通り抜けるなど有り得ない。入り口のドアは刑事の後ろに一つあるだけだし、窓は嵌め殺しの曇りガラスだ。覗き込むことすら出来ない。


「で? どうしてお前は警ら中の警官に自首したんだ?」


 しかし、泥棒は再び黙り込んでしまった。自首して置いてダンマリを決め込むのは、この手の泥棒に良くある手口だ。自分が時間を稼いでる間に、盗品を持った仲間を逃がすのだ。こうすると証拠不十分となり、立件を諦めさせて釈放させる。それを狙うやり方だ。


(今回も時間が掛かりそうだな……)


 刑事はため息を付いた。



 その警察署の留置場では、若い警官とベテランの警官と、二人体制で留置場に居る被疑者を見張っていた。別に取り調べとかをする訳では無く、被疑者が送検されて拘置所に行くまでの間、見張っているのが仕事だ。

 刑事たちの厳しい取り調べを終えた金田は留置場に戻って来ていた。留置場にはテレビやラジオなどは無い。備え付けの本を読むか、ふて寝するか、天井を睨みつけるぐらいしかやる事が無い。静かな環境で自省を促す目的もあるからだ。

 ところが静かな留置場に金田の怒鳴り声が響いた。


「おい、おいっ! この黒いのをなんとかしろっ!」


 金田は留置所の中に何かがやって来ていると騒ぎ始めた。


「入って来た。 黒い霧が入って来たっ! くそっ! 出て行けってんだ、コノヤロー!!」


 金田は腕を振り回し、服を振り回して留置場の中の壁やら床やらを叩きまくっている。


「こらっ、静かにしなさいっ!」


 余りの騒がしさに留置場の担当警察官が怒鳴った。他の留置房に入っている連中も『何だ?』という怪訝な顔で様子を伺うようにしている。


「おいっ! これが見えないのか! こっちに来るんじゃねぇっ!」


 怒鳴られても構わずに、毛布をふりまわしている。そして、警官に何も無い床を指差して泥棒は怒鳴った。


「…… 何もいないじゃないか?」


 留置房の中を覗き込んだ警官は怪訝な顔をして、一人で騒いでいる金田を見ていた。


「ああ、足に噛り付いて来た!」


 そういって今度は自分の足を殴ったり叩いたりしていた。警察官には金田が一人でも跳ねまわって居る様にしか見えない。


「駄目だ。 駄目だっ! 身体の中に入って来るっ」


 次に自分の足を雑巾のように絞る真似をし始めたのだ。


「うひぃっ 這い回ってるっ! 這い回ってるっ! ひぃっ」


 そして、身体の中に入ってきたと騒ぎだした。自分の腕を身体に回してアチコチ触り始めた。


「…… 薬物中毒じゃないですか?」


 若い方の警官がそっと相方の警官に呟いた。何も無いのに何か居ると騒ぐ、覚せい剤の中毒患者に診られる典型的な幻覚症状だ。


「担当医を呼ぶか……」


 警察官二人が顔を見合わせていると、今度は急に金田は静かになってしまった。


「……」


 静かに留置場の床の上に座って居る。留置房の壁を虚ろな目で見ているだけだ。


「もう大丈夫なのか? 次に暴れたら拘束して医療勾留にするぞ?」


 留置場では薬物を手に入れられない中毒者が、禁断症状を起こして暴れだす事が多い。そういう時には、手を交差させるように固定してしまう拘束服を着せて、四方が壁になっている特別留置場に拘留させる。こうしないと他の留置されている者に危害を加えることがあるためだ。そして何よりも禁断症状を起こした者は騒々しいのだ。大人しくなるまで入れておく以外に対処の方法が無いのもある。


「……」


 警官が注意をしても金田は何も言わずに座って居た。警官は気味が悪いと思いながらも、静かになったのならそれでいいかと、日常業務に戻って行った。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る