第10話 毛劉寺

毛劉寺(もうりゅうじ)の境内。


 宝來雅史たち一行は、コケシ塚を見学した後に、車を取りに伊藤力丸宅に戻った。

 この後に霧湧神社の北側にある、毛劉寺を見に行くのだと言うと、解説を申し出てくれた。毛劉寺には安産を祈るために観音菩薩が奉られているのだそうだ。

 毛劉寺山門の前に車を置き、四人は境内に入って行った。


「ここは廃寺なんですか?」


 山門の扉は雨風などで傷みが激しくなっており壊れかけていた。本堂のあらゆるところも傷みが生じて壊れかけ、窓ガラスも割れている。美良のメールにはそんな事は触れて無かったが、荒れた手の様子を見て雅史は山形誠に聞いたのだった。


「はい、廃寺では無く住職が不在なんですわ。 無人になってから既に十年以上経つと思います」


 修理してあげたいのだが、村の予算が厳しくて中々手が出せないと誠はボヤいていた。


「じゃから、わしらみたいな村民が境内を掃除したりしておるんじゃ」


 本堂の正面横にある無数の石仏は、伊藤力丸爺さんによると無縁仏なのだそうだ。かなり古い時代のものみたいで、雨風にさらされた様子からそれが伺えた。


「霧湧神社が五穀豊穣と子宝祈願の神社なんで、この寺には観音菩薩様が納められているんですよ」


 山形誠が寺の境内を歩きながら雅史と姫星に説明をした。二人とも本殿の中をキョロキョロしながら歩いている。つい、一週間前には姉の月野美良が同じように歩いていたはずだ。どこかに痕跡が残ってないのかと見回しているのだ。


「ひっそりとした佇まいのお寺ですね……」


 雅史が聞いた。田舎の寺という事もあるのか、境内には誰もおらず、ひっそりとしているのだ。


「少子高齢化で檀家がどんどん居なくなってしまっているので…… 飯が食えないんですわ」


 清掃等は地元、地域の方達が行なっているのだそうだ。


「冠婚葬祭などで坊さんが必要な時には、遠鳴市から住職さんがやってきてくれます」


 限界集落などにある寺では良く有る制度なのだそうだ。


「ほぉ、そうなんですか」


 村の規模の割に寺が多いと感じる雅史。しかも、両方の寺は江戸の初期の時代に建立されている。


「両方とも少なくとも四百年位の歴史があるんじゃがな……」


 力丸爺さんは鼻を鳴らしながら言った。


「歴史が古いだけでは飯が食えないんですよ……」


 誠が苦笑いしながら言っていた。



「ここのお寺もコケシ塚みたいな逸話があるんでしょうか?」


 雅史は寺が出来たときの逸話を力丸爺さんに訊ねてみた。


「おお、もちろんあるぞ。 この寺の先代の住職から聞いた話なんじゃが……」


 そう言って、力丸爺さんが話を始めた。

 話は江戸時代までさかのぼる。


 コケシ塚を建立してから、落ち着いた日々を送っていた村に異変が起きる様になった。

 いつの頃からか雨が激しく降る夜になると、コケシ塚から赤ん坊の泣き声が聞こえるようになったのだ。

 それだけなら良く有る怪談話だが、この村では違っていた。その泣き声が聞こえ始めると、村の家々を訊ねてくる者が出没するのだ。


 尋ねて来ると言っても、夜中に戸を叩かれるだけだ。戸を叩かれた家主は仕方なく『誰が来たのか?』と、戸を開けて外に出て見るも誰もいない。そんな事が何軒か続くのだ。大概の場合には一回戸を叩かれるだけなのだが、稀に同じに家に二回続けて来るときがある。

 その時には、家族全員は決して寝てはいけない。家人の誰かが二度と起きることが出来なくなってしまうからだ。


 そんな出来事が頻繁に起こるようになり、困った村人が通り掛かりの坊さんに相談してみた。

 村人の話を黙って聞いていた坊さんは、『きっと、居なくなった母親を探し回っているのだろう』と、言って赤子の霊を慰めるために、観音菩薩を納めた寺を建立したのだそうだ。

 元の観音菩薩は坊さんの手作り品だった。だが、昭和の初めごろに盗難に合い、今は作り直された物が納められているそうだ。


「中々、趣のある話でしたね……」


 例え小さな集落であろうと、こういった逸話が残されているので民俗学が好きだったのだ。


毛劉寺境内。


 男衆三人がそんな談笑しながら進む中、姫星は黙って後ろを付いて来ていた。姫星はここでも視線を感じていたのだ。寺の渡り廊下の端、或いは部屋の天井から、そこかしこから見られている感じがしていた。


『…… キャハハハッ』


 姫星の耳に子供の笑い声が聞こえ始めた。しかし、雅史たちは何も聞こえないかのように立ち話をしている。姫星は辺りの様子を伺うように見まわしてみるが何もいない。


『…… キャハハハッ』


 今度は天井の方から子供の笑い声が聞こえた気がした。姫星は直ぐに天井を見たが何も変わった様子は無い。すると目の端を何かが通り過ぎた。


「え?」


 聞こえている笑い声から、すっかり子供だと思い込んでいた姫星の目に映るのは黒い靄だ。それも向こう側が透けて見えている。


『…… キャハハハッ』


 また、笑い声が庭の方から聞こえた気がした。すると黒い靄はすぅっと消えて行く。姫星は慌てて見回したが、黒い霞はどこにもいなかった。



「この仏像はいつぐらいに作られた物なのでしょうか」


 観音菩薩像は銅製で高さが一メートル弱、優しげな眼差しで雅史を見ている。


「昭和の半ば頃に作られたと聞いてます。 それまであった仏像は盗難された時に、二つに割れてしまったそうです」


 元の仏像は木彫りであったらしく、虫に喰われて脆くなっていたのでは無いかと言われている。そこで銅で作り直したらしい。元の仏像は倉庫の中に保管されているそうだ。


「今回の泥棒騒ぎの時に、よく盗まれませんでしたね?」


 雅史は観音菩薩像を見ながら尋ねた。


「いや、盗まれたんですが泥棒の車の中に放置されてたんですわ」


 誠はそう答えながらも、重さが百キロは超えるであろう仏像を、どうやって運んだのかを不思議がっていた。


「ここでは無くて南側の仏像の方が遙かに価値が高いんですよね。 恐らく江戸時代の初期に、作成されているのではないかと言われてますから……」


 誠はそう言って笑っていた。南側は木から掘り出したもので、高さも五十センチくらいで重さもさほどではないらしい。


「それも盗難の被害に会っているんですか?」


 雅史が尋ねた。後で毛巽寺に行った時に見られるのかなと思ったからだ。


「いえいえ、大丈夫ですよ。 隠しておきましたからね。 こちらの方は重いのでどうしようかと、村で相談している内に盗難騒ぎになってしまったんですよ」


 誠が笑って答えた。話しぶりからすると無事らしいのでほっとした。


 姫星は談笑を続ける三人の後を黙って付いて回った。寺に入ってから感じている違和感が、姫星の神経を逆なでしているのだ。

 しかし、視線を感じるのだが姿は見えない。姫星はすれ違う人が振り返るほどの美少女だ。それだけに幼い頃から、変質者に目を付けられたり、狙われたりもしていた。変質者特有の、『あの』ねちっこい視線にも慣れている。何となく、その視線に似ているなとも思っていた。

 そんな事を考えながら本堂を繋ぐ渡り廊下を歩いていると、ガサガサっと何かが森の中を駆け抜けた気がした。見ると木の枝が揺れている。その木をジッと見ていると、自分の後ろからガサガサっと音が聞こえた。


(?)


 振り返って見ると、そちらの木の枝も揺れている。


(…… ひょっとして、からかわれているの?)


 またもや、右手から聞こえ、ちょっと間隔を開けて左手から聞こえる。やがて意味が解った。


(え? なに? 寺を中心にして円を描くように移動しているの?)


 つまり、森の中を有り得ない速度で移動しているモノが居る。姫星は背中をゾワリと何かに撫でられた気がした。自分の前のほうで話し込んでいる三人は気が付いていないようだ。


「ねぇ、宝来さん……」


 姫星がそう言い掛けると『ンキンッ!』と、一際大きい金属音が、姫星の耳の中を通過したような気がした。それと同時に姫星は膝から崩れ落ちてしまった。


「 ! 」


 突然倒れた姫星に他の三人はビックリして一瞬固まってしまう。


「姫星! どうした? 大丈夫か?」


 雅史は慌てて駆けつけ、片手で姫星を支える様に少しだけ起こす。


「にゃあ。 大丈夫じゃないかも…… 気分が最高に悪い……」


 ぐったりとしている姫星が力無く答えた。雅史がキラを見ると顔が赤くなっていて、少し鼻血が出ている。


「拙いな、熱中症かも知れないですね。 ここは何故だか空気の通りが悪いですから……」


 誠が首周りに付いた汗を拭いながら答えた。初夏とはいえ今日は蒸し暑いかったのだ。おまけに無風状態なのも災いした。寺の周りの林は揺れている所を見ると、構造的に風が入って来られないのかもしれない。


「一旦、横になってなさい。 今、車を取ってくるから……」


 雅史が姫星を寝かせようとした。車ならクーラーが有るから体温を下げるのにちょうど良いからだ。


「ちょっと、待ってください。 車なら僕が取りに行きますよ。 姫星さんも他人が側にいるより、宝来さんが一緒の方が良いでしょう?」


 誠が言い出した。確かにここに姫星を独りにするのは心配だった。


「はい、お願いします」


 雅史はポケットから車のカギを誠に渡して、自分は懐から扇子を取り出して姫星を扇ぎ始めた。”水道が有るはずだから見てくる”と力丸爺さんが寺の奥に行って、しばらくしてコップを片手に戻って来た。


「水を飲んだ方がいいじゃろ、本当は麦茶と梅干しが有ればいいんじゃがなあ」


 そんな事を言いながら差し出してきた。雅史は礼を言って受け取り、ぐったりとしている姫星を片手で支えながら飲ませた。


「一旦、僕の家に引き揚げましょう。 姫星さんを休ませる必要がありますからね」


 車を持ってきた誠が雅史に提案した。


「うむ、女の子に無理をさせると体に良くない。 そうしなされ」


 雅史は腕時計を見て、姫星を見て考え込んだ。ヒントを何も掴めていない状況で、東京に帰る訳には行かないが、具合が悪そうな姫星を連れ回す事も出来ない相談だ。


「もう、夕方になります。他の所には明日廻られては如何でしょうか?」


 誠が続けて提案してきた。


「えっ?いや、二晩も続けては申し訳ないですよ…… しかし、御迷惑で無ければお願いします」


 実を云うと雅史は、もう一晩、宿泊を頼もうかと思っていた所だったので渡りに船だった。


「いやいや、どうかお気になさらずに、ちょっと電話しますね。 夕飯の支度を頼みませんと……」


 だが、携帯電話を取り出し、操作しようとした誠が怪訝な表情になった。


「あれ? アンテナが立ってない。 故障か?」


 誠がそうつぶやいた。


「んー、自分のも駄目です。 複数の携帯が同時に故障する訳無いですから、基地局の方が問題なのかも知れないですね……」


 雅史は自分の携帯電話を取り出してみた。雅史の携帯電話も圏外になっている。


「姫星のも駄目ぇーっ」


 姫星は様々なギミックに埋め尽くされた携帯電話の画面を雅史に見せつけた。一同が弱っていると


「じゃあ、わしの家の電話を使えば善かろう。 電話代なら払っておるから使えるぞ」


 力丸爺さんが言ってくれたのだった。どうやら、電話代の払い忘れで止められていると勘違いされたようだ。


 四人は一度、力丸爺さんの家に立ち寄る。車のクーラーの冷気が効いたのか、姫星の体調は回復したようだった。


「はい、はい…… 分かりました。 お願いします」


 誠は役所に電話した後に、自宅に電話を架け雅史たちが宿泊する事を伝えていた。


「村長が泥棒の自供内容を、聞いて来たそうなで話してくれるそうですよ」


 電話を終えた誠は雅史に告げた。どうやら、村長が雅史に遭いたいと言っているらしい。



(何か手掛かりが掴めるのだろうか?)


 雅史は気がかりが増えた気がした。



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