第8話 噂の真相

 霧湧村の朝。


 朝の目覚めは爽やかだ。宝来雅史は宿泊させて貰った山形誠の家の庭に居た。まだ、夜通し車を飛ばしてやって来た疲労が手足に残ってはいる。


(なかなか気分が良い物だな……)


 それでも排ガスだらけの都会と違って、森林イオンとかいうのが空気に満ちているお蔭なのだろう。久方ぶりの開放感を満喫している気分だ。

 陽の光の中で見渡す霧湧村は、噂話とは裏腹の教科書に出てくるような、田園風景が広がる美しい村だった。

 村の山間から上る朝日が、まだ瑞々しい稲穂を照らし出し、これから芽吹いていく生命の賛歌を称えているように見えた。


「緑が眩しいってのは初めてだな……」


 そんな事を考えていると、山形の母親が朝食の用意が出来たと告げてに来た。


「田舎なもんですから、大した用意は出来ませんけど……」


 そう、自嘲気味に言う山形母に礼を言って、姫星を起こしに行く雅史であった。



 朝食を取りながら山形と簡単な打ち合わせをした。

 今日は山形が美良を案内した順に連れて回ってくれるのだが、山形は午前中は役場の仕事をしなければ不味いので、午後から案内してもらう事になっている。

 そこで、今日は村の長老の一人に村の由来を聞いた後に、姫星の着替えの調達に出かける予定にした。車で三十分程行った所にショッピングモールがあるそうだ。

 とりあえず、姫星の着替えを調達しなければならなかった。黒のゴスロリ服は雅史的には『有』なのだが、この村の日常には不釣り合いだ。山形母が娘の服を貸してくれると言っていいだした。


「こんなメンコイ娘さんが着てくれるのなら服も喜ぶのにー」


 山形母はニコニコ顔で言ってくれたのだが、本人不在で勝手には出来ないと丁寧に断ってしまった。山形の妹は、大学に通うために隣の県で、下宿生活しているのだそうだ。


 まず、長老の伊藤力丸氏の家に向かった。家の呼び鈴を鳴らすが反応が無い。どうやら留守のようだ。


「あれれ、畑仕事に行ったのかな……」


 雅史は家の隣にある田んぼに、視線を移してみたが誰もいない。どうしたものだろうかと思いあぐねていると、隣家の人が家から顔をだした。


「その家の爺様は、朝から山に薪拾いに行ったから当分帰って来ないよ」


 都会だろうが田舎だろうが年寄は早起きで働き者なのだろう。事前に電話しておくべきだったのを失念していたのだ。どうも、雅史は焦る気持ちばかりが優先してしまい空回りしてる感じだ。


「ああ、そうなんですかー、村役場の山形さんに伊藤さんを紹介して貰ったんですけどねー」


 怪しげなセールスマンに思われたら嫌なので山形の名前を出してみた。


「ああ、昨夜いらっしゃった方たちですね。 爺様は昼過ぎには戻って来ると思うよ。 巻拾いのついでに山菜取りもやるって言ってましたからね」


 田舎では噂が駆け抜けるスピードは、インターネットのそれを上回るのだ。山形の名前を聞いて安心したのか、隣人はにこやかな表情に変わった。見知らぬ人は警戒するが、知り合いの知り合いならば安心するらしい。


(……噂が出回るの早くね?)


 驚異の伝播速度に驚愕したが表情には出さずに軽く会釈した。


「分かりました、有難うございます。 また、昼過ぎにまた伺います。 そういえばショッピングモールへの行き方を教えて貰えませんか?」


 隣家の住人にショッピングモールの場所を聞いて、そのまま車で出発する事にしたのだ。



 大型のショッピングモールは遠鳴市に有り、複数ある店は東京でも馴染みのがある店舗が多い。デートの時にショッピングを付き合わされた雅史は、知っている名前を思い出していた。


「きゃあ、可愛いーーっ」


 ズラリと並んだ可愛らしい服に、姫星のテンションは上がってしまっている。姫星は雅史を置いてけぼりにして、一人で服と姿見鏡の間を往復している。女性の買い物に付き合うのが苦手な雅史は一休みする事にした。


「向こうの柱の処にあるベンチで待ってるからね」


 姫星が服を選んでいる間、雅史は通路のそこかしこに設けられているベンチに座った。隣を見ると中学生ぐらいの男の子集団が対戦ゲームをしている。

 この手のモール店は、客サービスで無料の無線LANを用意している事が多い。子供たちの格好の遊び場になっている。

 席が近いので彼らの会話が耳に入って来た。どうやら、この夏休みに肝試しを計画している話題らしい。


「でも、あっこの村まで行くのタルイっしょ」

「先輩方はチャリで行ったらしいよ……」

「あの変な看板のあるトンネル抜けるだけでも、十二分に肝試しになると思わね?」


 雅史はピクリという感じで反応した。


(変な看板のあるトンネルって……霧湧村の入り口に或るトンネルか??)


 霧湧トンネルの入り口にあった奇妙な看板を思い出した。確かに誰が見ても変な看板だ。


「でも、あそこの神社はマジでヤバイって噂だぜ?」

「神隠しに遭うって話か?」

「実際に行方不明になった奴がいるって先輩が聞いたと言ってた」


 少年たちは携帯ゲーム機から目を離さずに喋っている。昔は考えられなかったが、これでも彼らは一緒に遊んでることになるのだ。


(むぅ……トンネルに神社……どう解釈しても霧湧村の事だよな……)


 雅史は黙っている事が出来なくなった。


「あの…… その話。 もう少し詳しく聞いてもいいかな?」


 雅史は中学生たちの方を向いて、それと無く質問してみた。


「オジサン…… 誰?」


 いきなり話しかけて来た雅史に、中学生たちは怪訝な顔を向けた。


「霧湧村を取材しに東京から来たんだ。 さっきの話で出てた変な看板のあるトンネルって、霧湧村の入り口にある奴だろ?」


 昨日見かけた看板の話を中学生たちにした。雅史の話に興味を示したが、お互いに顔を見合わせている。


「いや、知らない人と話しちゃ駄目っていうし……」


 今は男の子でも安心出来ない時代だ。不審者を警戒するなと言う方が無理なのだろう。


「怪しい者じゃないよ。 僕は府前大学の民族学者なんだ。」


 雅史は自分の名刺を中学生たちに見せた。『大学助教授』と書かれている名刺を見ても、彼らは対応に困っている。大人と話をするのに慣れていないのだろう。そこに新しい服を購入してホクホク顔の姫星が戻って来た。


「どうしたの?」


 中学生たちはいきなり現れた黒いゴスロリ少女に面喰ってしまった。顔を上気させている子もいる。どうやら好みにドンピシャだったらしい。


「ああ、霧湧村の噂話を取材してたんだよ。 でも、知らない人と話してはイケナイらしくてね」


 雅史は苦笑しながら姫星に助けを求めた。


「ふーーん、そう言わずに噂話を聞かせてよ。 お・ね・が・い」


 姫星が両手を胸の前で合わせて可愛くおねだりした。色々とメンドクサイお年頃である少年たち。

 そのハートを姫星が射止めるのは容易い物だった。


 姫星に頼み込まれた少年たちは喜んで話を始めた。


「自分たちの中学の先輩たちから、伝え聞いた話なんですが……」


 少年たちが言うには、昔肝試しに行った中学生が行方不明になったという噂だ。

 二十年ほど前に霧湧村の中学生たちが、神社で肝試しをおこなったそうだ。神社の鳥居の所から灯り無しで、本殿に行き中に紙を置いて来る。ただ、それだけの肝試しだ。


 最初の一番目は無事に帰って来たが、二番目と三番目が帰って来ない、最初は二人が示し合わせて悪戯しているのだろうと思って、鳥居の所で小一時間ほど待ったが帰って来ない。声をかけながら神社を探し回ったがやはり居ない。

 流石に不味い事態になったのかもしれないと、一旦帰宅して夜中にも関わらず自分の父親に相談した。


「あの神社は遊びで行く場所じゃないと言っておいたろうが!」


 話を聞いた父親は叱ったが、行方が分からない二人を放っておけず、自ら神社に向かった。そして神社の本殿に入って、中学生たちが居ないのを確かめた。事態を重く見た父親は、直ぐに村中の男たちに声をかけた。そして村中を捜索したが見つからない。ついには山狩りまで行ったがやはり見つからない。


(さて、どうしたものか?)


 一同で思案していると、村の長老が『コケシ塚』の石蓋をどけて見ろと言い出した。二メートル位の正方形で、重さが数トンはある奴だ。


 村中の男たちでロープと滑車を使ってエンヤコラと石蓋を退けてみると、そこには二メートル四方の石室があって、中に行方不明の二人が居たんだそうだ。

 石室は石蓋以外に出入り口は無い。数トンの蓋を中学生二人で持ち上げる事などは不可能だ。一体どうやって中に入ったのかは当人たちも分からない。


 神社の境内を歩いていて『急に景色がグラリとしたと思ったら気を失った』と言っていたそうだ。あとは発見されるまで気を失っていたらしい。


 村人たちも分けが判らず、中学生たちの悪戯ということで落ち着いたらしい。先の村の長老の話では、昔から良くある神様の悪戯だそうだ。


「ふむ、そういう噂もあるのか。 いや、どうも有り難う。 とても参考になったよ」


 雅史は少年たちに礼を言った。聞いてみれば学校の怪談や都市伝説程度の噂話だった。それでも引っ掛かりがある。

 『行方不明』というキーワードだ。雅史は霧湧村に帰ってから、山形に『コケシ塚』にある石蓋の事を質問してみようと考えた。


「じゃ、次の買い物に行きましょ」


 雅史の隣で髪をいじりながら、退屈そうに話を聞いていた姫星は、買い物の続きの方が気になるらしく話を切り上げたがった。


「みんな、ありがとーねーー」


 姫星は少年たちに手を振って雅史の袖を掴んで先を急がせる。少年たちは名残り惜しそうに、手を振りながら姫星を見送った。


(うむ、少年たちよ。 君たちの気持ちは痛いほどわかるぞ…… でも、だーめっ)


 少し意地悪な雅史は、少年たちから姫星を引き離すために次の買い物先へと向かった。


「ぶぅぅぅっ、こっからは宝来さんが来ては駄目なのっ」


 姫星が腕を胸の前でバッテンにしている。ふと、上を見ると『婦人用下着売り場』とある。

 その文字列を見ただけで雅史は焦ってしまった。


「ぬぅおぁっ。 じゃ、僕は向こうで待ってるから、これで清算して於いてね」


 雅史は自分の財布をそのまま渡して壁際に有ったベンチに避難していった。

 そして、椅子に座って深くため息を付き、愛用のタブレットに質問の要点をまとめ始めた。

 朝からバタバタしてしまい、今日のスケジュールを考えていなかった事に気が付いたのだ。

 雅史は、タブレットを手帳代わりに使っている。こうしておけば、美良の足取りを時系列で考える事が出来ると思ったのだ。

 三十分ほど、そんな作業をしていると、姫星が小さな袋を持って戻って来た。


「ちょっと、奮発して良いのを買っちゃった……」


 姫星がニコニコしながら財布とレシートを雅史に渡した。

 渡されたレシートをチラリと見て、その値段の高さに驚愕してしまった。


「たかがパンツで、何故にこの値段なのだ……」


 ショーツのレシートを睨みつつ財布にしまった。

 二枚組で五百円のパンツを愛用している身からすれば高いと思える値段だった。


(生地の使用量の少なさと、価格が反比例する謎を是非とも追求したいものだ……)


 明後日の方向に火が付いた学者魂で、雅史は真剣に考えるのであった。




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