竹村登場
増田朋美
竹村登場
「今日はなんだか暑いなあ。ほんと、どっかでお茶でもしたいなあ。」
人通りのめっきり少なくなった商店街を歩きながら、杉三はそういうことを言った。まあ確かに、初夏になるにつれて、暑くなっていくのは事実だが、どうも今年は、暑くなるスピードが速いというか、急にある日突然あつくなってしまったような気がする。
「そうですね。じゃあ、お茶でも飲んでいきますか。非常事態宣言も解除されましたしね。」
ジョチさんは、手ぬぐいで汗を拭きながら、そういうことを言った。確かに、発疹熱が流行ったことによる非常事態宣言は、感染者が大幅に減少したということで、昨日解除されたのである。そのあとの、患者さんたちがどうなったかどうか、は不明であるが。
「この辺り、カフェというものはあっただろうか?」
と、杉ちゃんが聞くと、
「そうですね、たぶん、営業自粛も解除されましたから、もうやっているんじゃないでしょうか。」
と、ジョチさんは言った。確かに、商店街の中にカフェはあったが、長らく営業を取りやめていた。でも、昨日非常事態宣言が解除されたのだから、もう営業を堂々としてもいいはずだった。まだしまっているかなとおもったジョチさんであったが、手芸屋から少し離れたところにあるそのカフェは、ちゃんと営業を再開していた。
「さて、やってますね。入りましょうか。」
二人は、そのカフェのドアを開けて、リンリンとなる鈴の音と一緒に、店に入った。
「いらっしゃいませ。何名様ですか。」
店のおばさんが、そういって、二人を迎える。
「ああ、二人ですが。」
ジョチさんがそういうと、
「じゃあ、こちらのお席にどうぞ。」
とおばさんに案内されて、ジョチさんと杉ちゃんは、席に座って、サンドイッチとコーヒーを注文した。隣の席には、誰か先客がいた。その客は、まるで酒を飲んでいるみたいに、コーヒーをがぶ飲みしていた。
「あれれ、こんな時に、やけ酒ならぬ、やけコーヒーですか。」
と、杉ちゃんが、そうからかう。
「もしかして、夫婦喧嘩でもしたのか?」
と、杉ちゃんが言うとその客は、
「違いますよ!お酒は、校長の規制で飲んでいません!本当は飲みたいくらいのなのに、飲めないんですよ!」
と、言った。
「校長の規制ですか?」
と、ジョチさんが聞くと、
「ええ。校長先生が、教員一同、お酒をのんではいけないって、決めちゃったんです。なんでかって言いますと、未成年の生徒が酒を飲んでしまったという事件が、他校であったものですから!」
と、その客は言った。
「はあ、そうですか。ああ、植松さんではありませんか。」
と、ジョチさんが言う。確かにその顔は、植松直紀そのもので、ほかの誰でもなかった。
「なんですか。こんな時に、酒を飲むようにコーヒーを飲んだりして。」
と、ジョチさんが聞くと、
「だ、だって、こんな大事件が起きてしまったんですから、もうこうするしかないんですよ!」
と、植松は、テーブルに顔をつけて泣いた。
「大事件ってなんですか。何かあったんですか?」
とジョチさんが聞くと、
「ええ、うちの高校ではないんですが、運動会の組体操の練習中に、最上段から
転落して、大けがを負ったという事故が起きたんです。それで、うちの学校では、運動会を取りやめにしようということになりまして。うちは、支援学校ですから、生徒の安全性を何よりも、一番に考えなければならないって、校長先生の判断でした。」
と、植松は答えた。
「ああ、あの事件のことなら、報道で知りました。その男子生徒は、確か歩行不能になってしまったということでしたね。」
ジョチさんが相槌を打った。
「そうなんですけどね、運動会は、生徒に団結力の大切さを教えるべき、大事な時だと思ってたのに。まったく校長は、何を考えているんでしょう!」
「まあ、それはしょうがないじゃないですか。ああいう大事件が起きれば、そうなっても仕方ありませんよ。いくら、植松さんの学校があの事故とは無関係であっても、それほどのことをさせるような、大事故ではないですか。」
「でも、うちでも運動会をやりたかったですよ!なんで運動会まで取りやめにするんですか!うちでは、そんな、10段の人間ピラミッドなんてやりませんから。なんで、運動会を取りやめにしちゃうんでしょうか?」
まあ確かにそうだ。学校行事が生徒を育てると豪言している先生も少なからずいる。
「そうですが、その学校の生徒が、ぼくみたいに歩けなくなったっていうんだったら、自粛せざるを得ないよ。まあ、今年一年は、不運の年だと言って、あきらめるんだねえ。」
杉ちゃんは、植松の肩をポンとたたいた。
「まあ確かに、運動会とか、そういうことをしたいというのは、あるかもしれないけどさ、あんな大きな事故があったら、仕方ないじゃないか。」
「そうなんですけどね、、、。」
植松は、杉ちゃんにそういわれても、まだ泣き続けるのである。
「なんですか、泣いているのは、それだけではないんですか?」
ジョチさんがそう聞くと、
「はい、それだけじゃないんですよ。学校に、評論家とされる方が乗り込んできて、もうてんやてんやの大騒ぎ、、、。」
と、植松はまた泣いた。
「評論家?」
「ええ、そうなんです。弁護士が乗り込んできただけじゃない。そいつが、教育評論家とされている、人物を連れてきたんです。その評論家というやつが、天下の大物でして。」
「へえ、確かに学校の不祥事には、弁護士だけでは足りません。そういう人物が、学校に乗り込んできても不思議じゃありません。」
植松の話にジョチさんは、一般的なことを言った。
「だってしょうがないでしょう。学校というところは、変な風に保護された密室なんですから、そういう人を連れてきてもおかしくありませんよ。その人が、何か学校について、何か言ったんですね、そうでしょう?植松さん。」
「はい。そうなんです。さすが理事長さん!よくわかっていらっしゃる。そうなんですよ。そいつが、俺たちに向かって、本当に教育するのなら、学校の外に出さないとできないって、爆弾発言するもんだから、俺たちは、もう泣きたくて泣きたくてどうしようもなかったです。」
植松は、またコーヒーをあおった。
「まあ確かに、その人の発言も一理あるな。製鉄所に来るやつらは、みんなそういうことを言う。」
「そういったってね。俺たちは、一生懸命やっているつもりなのに、なんで俺たちは、こうして悪人にされたりしなきゃならないんですかね!」
杉ちゃんがそういうと、植松はすぐに反発する。
「だからあ、それだけ学校が、まずいことやっているってことじゃないの?ある意味刑務所みたいなところあるもんね、学校は。まあ、そういうことが、今起きている学校の現実みたいなもんだろうね。」
「だけどなんで俺たちがいつも悪人になっちゃうんだろう。一生懸命やっているつもりなのに。」
「だったらお前さんの実績を見ろ。だってお前さんの生徒で、成功したやつはどれくらいいるんだよ。」
「ううん、、、。」
植松はそれを言われると、黙ってしまった。確かに自分の受けもった生徒で、有名になったとか、そういう生徒は誰もいない。
「まあまあ、あんたたち、学校のことはちょっと忘れてさあ、ここに来たからには、ちょっと一服していきなさいな、はい、サンドイッチ。」
と、カフェのおばさんが杉ちゃんたちの前に、サンドイッチを持ってきた。おう、ありがとう、と杉ちゃんはすぐにガブリつく。まったく、こういうところで、すぐに切り替えができちゃうのも、杉ちゃんだねえと、ジョチさんと植松はため息をついた。
「まあ、それはしょうがないじゃないですか。学校の先生というのは、どうしようもなく、ダメな時だって、一度や二度はあるものですよ。まあ、それはしょうがないと思って、淡々と生きてください。」
と、ジョチさんに言われて植松ははいとため息をついた。
「でも、少しだけ泣かせていただけないかしらね、理事長さん。この人、まだ学校の先生になって、つらの皮が厚くなっていないのよ。」
カフェのおばさんがそういうことを言った。カフェのおばさんは、優しい人だった。そういってくれる人間は、なかなかそうはいない。
「ありがとうございます。俺、もうちょっと強くなります。」
と、植松はカフェのおばさんに言われて、また泣き出してしまうのであった。
その数日後のことである。杉ちゃんとジョチさんが手芸屋さんに行って、また帰りに暑いからお茶でも飲んでいくか、と言い合って、カフェに入ったときのことであった。
「おい、あの人、誰だろう。」
杉ちゃんが、ジョチさんにそっと言った。
確かに、見覚えのない人物が、座席に座っている。多分、外見から判断すると男性であるが、ちょっと、普通にそのあたりにいる男性とは、違う雰囲気を持っている。
「いらっしゃい。」
と、おばさんが、二人を案内した。
「なあおばちゃん、あの人、誰だ?」
と杉ちゃんが単刀直入に言った。その人は、椅子に座って何か書いていた。その持っている万年筆も、高級品とわかるもので、明らかに普通の人とは違うと思われる、古いものだった。その書いている紙が原稿用紙だったので、たぶんきっと、作家とか、そういう感じのひとなんだろうけど。
「多分、文筆家とか、そういう感じのひとではないですか?」
と、ジョチさんが言った。
「ええ、うちの店が静かで静かにできるから、いいんですって。」
と言って、おばさんは、二人を椅子に座らせた。
「よし、じゃあ、こないだと同じだ。サンドイッチとコーヒーを頼むよ。」
と、杉ちゃんが言う。
「コーヒーは、砂糖も何もいらないからね。」
「はいはい、わかっているわよ。杉ちゃんなら、そうなるってわかっているわよ。」
と、おばさんは言った。
「ええ、よろしく頼むぜ。それからな、サンドイッチは、なるべく持ちやすくしてくれよな。」
と、杉ちゃんがでかい声でいうと、
「ちょっとお二人とも、静かにしてくれないでしょうか。今、大事なところを書いているものですから。」
と、例の男性が杉ちゃんに言った。普通のひとであれば、ああすみませんというのだろうが、杉ちゃんではそうはいかない。
「大事なところね。それはなんで大事なところなんだ?」
と、杉ちゃんは彼に言った。
「なあ、教えてくれよ。どういう風に大事なところなのか、聞いてみたいやあ。」
「杉ちゃん、よしてください。すぐにそうやって誰かに話を求めるのは、良くないと思いますよ。」
と、ジョチさんは言うが、杉ちゃんは、それをやめないのだった。
「一体何を書いているんだ?何か小説みたいなものか?それとも、エッセイみたいなそういうもんかな?」
すると、その人は、杉ちゃんが、ちょっと何かわけがあるのではないかと思ってくれたらしい。そういうことがすぐにわかってしまうのは、やっぱりこの人はえらい人なんだろうなとおもわせた。
「まあ、小説ではありませんよ。本にする原稿ということは確かですが、小説というわけではないのです。」
と、その人は答えた。
「そうなんだね。なんでまたそうやって本なんか書こうと思ったの?」
「ええ、こういうことが平気で行われているとなりますと、本にして形に残さなければならないなと思ったんですよ。」
杉ちゃんが、理由を聞くと、彼はそう答えた。
「何か、本にして形に残すようなことがあったんでしょうか?」
と、ジョチさんが聞いた。
「その風貌からすると、ただのルポライターとかそういう方ではなさそうですね。何か、わけがあるのでしょうか。」
確かに彼は、一般的な男性というわけではなさそうだ。黒色の着物を着て、白足袋をはき、しっかり畳表の草履をはいている。
「ええ、あの、吉永高校で、体育祭の組体操の練習中に、人間ピラミッドが崩落して、最上段の生徒が重傷を負った事件がありましたね。」
「はい、確かにありました。あれは事故というより、事件というべきかもしれませんね。生徒が、SNSで、意図的に被害にあった男子生徒のことを悪く言っていたと、新聞でも書いてありました。」
と、彼の話にジョチさんは言った。
「そうですね。学校を訪れた、弁護士の先生もそういっています。あの吉永高校と言いますと、100年以上の伝統がある、名門校とされていますけれども、そういう主張はもはや通じないほど、ひどい高校になっていると、私のもとへ訪れた、クライエントさんやその保護者から聞きました。ですから、そのことを、本として書かなければならないと、そう思ったんですよ。」
「へえ、そんなにひどいもんなのか。あの学校は。」
杉ちゃんがそう聞くと、彼は黙って頷いた。
「クライエントのほとんどがそういっています。あの学校は、学校というよりサル山だったと。そのせいで、勉強したくてもできなかったこと。そして、何よりも、周りの大人に相談しても、あの学校は名門だから大丈夫だと言い張って、耳を貸してくれなかったともいわれました。彼女たちの訴えを証言するには、本を書くほかにないでしょう。ですから、私は、本を書こうと決めたんです。」
「サル山。」
とジョチさんは言った。杉ちゃんもジョチさんも、この人物は、植松が昨日言っていた、硬派な評論家なのではないかと思った。その推測は、風貌から見てそういう感じがした。
「そうですか。今だに、吉永高校は、そういうことを言われ続けているのですか。」
と、ジョチさんが言うと、
「ええ、特に、この町は、お年寄りが多いですからね。そうなると、若い親が発言しにくいという地域性の問題もあるんでしょうね。ですから、吉永高校に入ったというだけで英雄視されてしまい、本当のことを言えずに苦しんでいる生徒さんをたくさん見てきましたよ。」
と、その人は言った。
「ああ、なるほどね、それはそうですね。僕の店で雇っている従業員もそういうことを言います。年寄りが力が強すぎるあまり、若い人達に、相談事をするのはカッコ悪いなどと、嫌味を言われることもあるとか。それで、問題のある人たちが我慢してしまい、さらにその傷は深くなるんですよね。本当に、お年寄りには、少し黙ってくれと言えたら、どんなにいいでしょうか。」
と、ジョチさんも同じことがあるのか、そういうことを言った。
「ええ、同じ人間というか、同じ年齢があったとは、どうしても思えないほど、昔の若い人と、今の若い人は違いすぎますよ。ですから、初めからわかりあうことはできないんだって、そういう風に書いた方がいい。」
「そういうことですね。そういってくださると、こっちも助かります。うちの商売が繁盛するということは、学校や古い世代が悪いということですからね。僕もそういう風にしてみたいと思いましたが、なかなかそういうことは、できずにおりました。ぜひ、お願いします。」
ジョチさんは、苦笑いしながら、そういうことを言った。
「しかし、どうして、今の若い奴と、昔の若い奴は、話ができないんだ?」
杉ちゃんが二人が話している間に入って、そういうことを言った。
「ええ、よくわかりません。ですが、どこか変なほうへ行ってしまったことは確かだと思います。なぜか、一生懸命勉強して、一生懸命働けば幸せになれるという伝説は、やぶられてしまいました。それは、どうしてなのか、私にもわかりません。でも、そうなってしまったことだけは確かです。きっと、明治くらいの吉永高校の生徒であったら、あの茶髪にピアスに超ミニスカートという、今の吉永高校の生徒は、あり得ない話だったのではないかと思います。」
「ええ、本当は、昔の人に叱ってもらいたいくらいですね。」
と、ジョチさんは、また笑ってそういうことを言った。
「まあ、そういうことです。ですから、私たちが、描かなければならないんですよ。今の教育現場が正常と異常の間を揺れ動いていて、下手をすると異常のほうが強くなって、本当に教育を受けていたのかわからない人が、どんどん出てきてしまいそうな気がして。私たちは、そういう人にいじめられたり、バカにされたりした被害者たちを救うのに、非常に困っているというのに、目を向けようともしない。」
「一体、何をやっているの、お前さんは。」
その人の発言に、杉ちゃんが聞いた。
「ええ、私は、音楽療法をやっています。主に、体の機能を回復させるために、楽器を弾かせるなどするのが私の役目ですが、なぜか、学校の悪事で失敗した生徒さんたちがたくさん来て。」
「そうなんだねえ。」
杉ちゃんは大きなため息をついた。
「本当に、いろんな人が来ますよ。リストカットなどをして、指の機能を失った人が、大半ですが、大体の人は、学校の不祥事が原因であることが多いです。本当に、あの学校さえ行ってなければという人が多いんです。そして大体の人が、お年寄りから、嫌味を言われることも経験しています。私のところに来る人は、みんなそうですよ。それではおかしいと思われることが、私の周りでは、当たり前だったりして。」
その人は、ふっとため息をついて、原稿用紙の片隅に、数字を書き込んだ。
「今回の企画では、制限枚数があるんです。それを守らないと、出版社の人も困ってしまうようで。私が、ついつい文章が長くなってしまう癖があるからでしょうか。」
「へえ、面白いなあ。えらい先生でも、やっぱりそういう風に言われちゃうんだ。」
と、杉ちゃんはカラカラと笑った。
「もし、本が出版されたら、連絡をいただけませんか。同業者として、読んでみたいと思って。」
と、ジョチさんが言うと、カフェのおばさんが、そうよ、それがいいといった。
「名案ですよ。だって、うちにも、かわいそうな子がいっぱい来るもの。あたしたちもかわいそうで見てられないって子が。」
「ええ、わかりました。私はこういうものです。もし、よろしければ。」
と言ってその人は名刺をジョチさんに渡した。杉ちゃんがなんて書いてあるんだ?と聞くと、
「ええ、竹村と申します。竹村優紀です。」
と、その人は言う。杉ちゃんの態度にも驚いた顔をしなかったのでよほど、教育機関に詳しい人なんだろう。
「竹村さんね。ありがとうございます。」
ジョチさんは、軽く頭を下げて、自身の連絡先を書いて、彼に渡した。
竹村登場 増田朋美 @masubuchi4996
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