第8話 どこまでも澄んだ青い空で、この出会いは、赤い風船を見つけるように必然だったのです

 ピカソの月には、色々な事が一度に起こる。

 銀杏や紅葉が色づく、秋の到来。

 そして魔法学園に新入生がやってくる、入学式だ。


 馬車から次々と降りてくるのは、緊張した面持ちの児童たち。

 みな10歳にも満たないうちから、ここで社交辞令の練習をし、生涯でたった1人の婚約者を決める。


「クラリスお嬢様、新入生たちがやってまいりました」


「おお、ようやくか。もう授業が始まってしまったではないか」


「お嬢様の時も授業中でしたよ。初日は学園を案内するのでしょう」


 俺がはじめて学園を案内されたとき、学園の授業でまともな知識を学ばないことにびっくりした記憶がある。


 うさんくさい似非科学に、うさんくさい神学。

 あとはうさんくさい歴史とうさんくさい外国語がいくつか。

 科学知識は算数ですら「貴族の学ぶものではない」ということで、カリキュラムになかった。


 ここ魔法学園は、はっきりいって貴族の檻のようなものだ。

 もともと各地から貴族の子息令嬢を集めて、反乱をけん制する目的があったらしい。


 前世の感覚では立派な城に見える建物も、いまの俺には、生徒たちを拘束する巨大な檻にしか見えなかった。


 入り口のすぐ正面にしつらえられた巨大な噴水は、砂漠地方の民族に脅威を示す目的がある。

 水不足に悩まされる南部にとっても、豊かさを見せつけるという意味で、かなりの効果があった。


 おまけに、建物を取り囲むように配置された森は、兵士が隠れて見張るにはうってつけの構造になっている。


 今は王国兵の姿こそないが、生徒たちを観察するのに一番適した場所だ。


 俺は「木陰で休みたい」と言って、ドレスデンと共に森に潜んでいた。

 噴水から涼しい風が吹いてくる、ベストポジションだ。


 侍女や執事を伴い、次々と登校してくる生徒たちを食い入るように見ている俺を、ドレスデンは目を細めてみていた。


「けれど、お嬢様も年頃の女の子ですね。可愛らしいものに夢中になってしまうお気持ちは、よくわかります」


「ふうむ、今年も強そうな奴はいないな」


「クラリスお嬢様、そのようなことは思っても口に出さないでください。まわりのお嬢様方からは、共感していただけませんわ」


「だが事実だ。どう評すればいいというのだ、ドレスデン」


「そういう時は『まあ、初々しくて可愛らしいこと。おほほ』と評するのが淑女というものです」


「ふっ、今年も可愛らしい奴しかいないな、くっくっく、はっはっは! ……それで、強そうな奴がいたときは?」


「そういう時は『まぁ、ステキなお方』と控えめにおっしゃってください」


 ちなみに、新入生のなかに強そうな奴がいても、いまの俺は戦いを挑めなかった。

 王子の足を踏んでから、俺の60キロドレスはさらに65キロに増量されていたのだ。


 俺の動きを封じるためというのは分かるのだが、暑すぎる。

 例のごとく、胸元をがばっと開いて、扇でパタパタとあおぎながら木陰で涼んでいた。


【好感度】ダウン 160→150


 相変わらず、ドレスデンの好感度はごりごり下がっていく。

 俺は普通にしているつもりなのだが、まるでドレスデンは俺のすることが何もかも気に入らないみたいだった。


「クラリスお嬢様、たまには鏡をごらんになってはいかがでしょうか。そうすれば、こんなにお美しい方に、そのような行為は似つかわしくないと自覚するはずです」


「鏡などいらん。俺の容姿はいつもお前が見てくれているのだから、それで十分だ」


「それでは、私がいなくなった時はどうなさるのですか。寝相ねぞうのひどいお嬢様のことですから、すぐに寝ぐせだらけになってしまいますよ」


「お前がいないのなら、寝ぐせだらけでもいいさ。どうせ俺はお前の目しか気にしていないのだ」


「もう、お嬢様ったら……」


「俺の髪はお前が好きなように整えてくれ、ドレスデン」


「はうぅ……」


 ドレスデンは、顔を真っ赤にして、両手で挟んだ。


【好感度】アップ 150→210


 相変わらず、ドレスデンの好感度は上限知らずだった。

 ゴッホの月の舞踏会で王子の足を踏みぬいてから、200の大台を突破するようになった。

 乙女ゲームの限界を超えて、いったいどこまで上昇するのだろうか。


「クラリスお嬢様」


 さらに新入生たちを見張っている俺に、誰かが近づいてきた。

 どうやら俺の情報を聞きつけ、授業を抜け出してきたのだろう、みなドレスを着ているが、この学園の生徒たちだ。


 公爵領の者たちではない。

 いずれもこの学園でしか目にかかることのできない、王都の貴族たち。


 真ん中に堂々と立っているのは、黒髪の侯爵令嬢。

 口元のほくろが乳白色の肌の中で、アクセントのように目立っていた。


「クラリスお嬢様、ご機嫌麗しゅう」


「ああ……えっと、エリザだったか」


「はい! 覚えていただけて、光栄です!」


 名前を憶えられただけで、ぱっと顔を輝かせていた。


 エリザは、宰相の息子、ユトリロの婚約者だ。

 しつけの行き届いた娘、という評価は妥当だろう、同年代の中でも、顔つきにどことなく品があった。


 むろん国王派の者で、感情をあまり顔に出さないタイプだったのだが、俺に対する好感度が100になってから、よく笑うようになった。

 そういうところはゲームの攻略対象だった、ユトリロとよく似ていて、似たもの夫婦だな、と思った。


 ちなみに、いまの俺に対するエリザの好感度は130で、ドリスデンのように上がったり下がったりしないぶん、若干低めである。


 ゲームにおける、悪役令嬢の取り巻きその1だった。

 その1がいる、ということは、その2もいる。


「あらまぁ、クラリスお嬢様ったら! また独りで秘密の特訓をなさっておいでなのですか?」


 ちびっこい女の子が、つーん、と鼻をそらしながら、エリザの影からあらわれた。


「高貴な御身なのですから、少しは危険を考えて欲しいですわ!」


 きんきんと大声でまくしたてるように話す、伯爵令嬢。


 金髪がくるくると針金のように渦を巻いて、顔を振るたびにみょんみょんと揺れるのが印象的だった。


「えーと……ディアンナ」


「アンナとお呼びください! クラリスお嬢様!」


 柔らかな絹のグローブに包まれた両手で、俺のエキスパンダー仕様のガチガチグローブに包まれた手をふんわり包み込んでくる。

 両目にはハートが浮かんで見えた。


 彼女も、近衛兵団長の息子、リヒターの婚約者だった。

 活動的でいつも落ち着きがなく、絹のドレスを着させていなければ、ぴょんぴょん飛び跳ねていそうな女の子だった。


 やはり国王派の家系で、『ハインツの若獅子』の異名を持つリヒターに対して、さしずめアンナは無邪気な子猫、といったところだ。

 俺に対する好感度は150と、周りと比較して、飛びぬけて高い。


 学園でしか会えない彼らの好感度は、いつも傍にいるドレスデンの好感度ほどは上がりにくい。

 けれど、この前の誕生会には来てくれたし、どうやら好感度が高ければ高いほど、従順な下僕、という風に考えていいだろう。


「ディアンナ様? 貴女も、もう子どもではないのですから、クラリスお嬢様を困らせないでください」


 エリザが、むすっと頬を膨らませて口を挟んできた。

 どうやらナンバー2の立場を争っているらしく、好感度の高い者同士は、あまり仲良くなかった。


 その一方で、ドリスデンは、貴族同士の会話に口を挟まない。

 今日も影のように無表情のまま、目立たないところにたたずんでいる。

 好感度210になると、逆に俺に対する謎の信頼があるみたいだった。


「あら、いったいどういう事ですの? エリザさま」


「淑女は相手の体に軽々しく触れたり、相手のことをあだ名で呼んだりしません。そういうのは恋人同士がやるものですよ?」


「あら、ではエリザさまは、婚約者のユトリロさまには、どう呼ばれておいでですの?」


「ゆ、ユトリロさまは……紳士な方ですから、そういう浮ついたことは、なさらないのです」


「うふふ、可哀そうねぇ。私はうちのリヒターさまにママと呼ばせていますわ!」


「ママ」


「この前ご夕食をご一緒させていただいたとき、私がフォークで食べさせてあげましたのよ。アンナママ、だいちゅきーと言ってくれましたの!」


 アンナは自慢げに語っていたが、騎士にとって切腹もののカミングアウトに、まわりの取り巻きたちはドン引きしていた。

 アンナは見た目の通り、中身も子供なのだ。

 リヒターのルートだと、これが原因で2人は破局するのだが、そうでなくても色んな意味で将来が心配である。


「ええと……そうだわ、クラリスお嬢様、今日は授業をお受けになられますの? それとも武術の訓練でしょうか?」


「いや、まだ決めていない」


 貴族たちは、基本的に優秀な家庭教師を雇い、彼らから多くを学ぶ。

 なので、公爵令嬢の俺やその取り巻きともなれば、魔法学園で学ぶことのほとんどは既に知っていた。


「そうだな……初日は全員に顔ぐらい見せておいた方がいい気もするが……」


「でしたら! ぜひ! 私と手をつないで教室に行きましょう! さあ!」


「わっ、私とです! 抜け駆けは許しません!」


 俺に無邪気に飛びついてくるアンナと、その間に体をねじこんできて、なんとか俺の隣をキープしようとするエリザ。


 学園における国王派の2大勢力を、悪役令嬢の俺は12歳になるまでに掌握していた。

 それは心強いが、波風を立てないよう配慮してやるのが大変だ。


「お前たちは先に行ってこい、俺はここで待っている奴がいるんだ」


「あら、どなたです?」


「今日は転入生がやってくるはずだ」


 俺は、登校してくる生徒たちの方に、視線を戻した。


 そのとき、一台の馬車が学園の門の前に停まった。

 神殿のシンボルが刻まれていて、ひとめでそれと分かる、風格のある馬車。

 古びているが、不思議な威厳を感じさせる乗り物だった。


 公爵派、国王派のさらに上に君臨する、第三の勢力、神殿。

 俺たちの視線は、自然とその馬車に集まった。


 運転席から小柄な少年がいそいで降りてきて、ドアの前にひざまずく。

 昔の馬車は、ああやって、御者が自分の背中を貴人の踏み台にするのだ。


 すると、中にいる女の子の声が、静かに聞こえた。

 まるで葬式のような悲し気な声だった。


「アッシュ、やめて」


「ですが……メアリ様が飛び降りて、万が一があってはなりません」


「私は、いつからあなたの妹じゃなくなったの? アッシュ」


 そのドアが開く瞬間。

 ちかっと瞬いた光のようなものを、俺は避けられなかった。


 ドレスの重さに動きを封じられていたせいもある。

 だが、もっと大きな原因は、俺の慢心にあっただろう。


 その光は、馬車を中心にして八方に向かって放たれた。

 校舎や生徒たちの体を照らし、森の向こうの国土を照らし、俺のすぐ隣にいるエリザやアンナの額を照らした。

 それらの表面を、さらり、と軽く撫でてゆくように横切って、何事もなかったかのように消えた。


 何もかもが終わってから、ぞわっと、腕が総毛だった。

 いまのが『彼女の魔弦』だったら。

 ここにいる全員、ヒロインに命を握られていたのだ。


 ……なんだ、この力は。


 もともと魔弦は、距離を無視して届く『遠隔力』を束ねたものだ。

 しかし彼女は『遠隔力』そのものが一本一本途方もなく図太く、文字通り光速の魔弦を実現しているのだ。


 馬車の中から姿を現した女の子は、小柄なドレスを身に着けていた。


 ピンク色の髪、ピンク色の瞳。

 体の線は細く、これまで貧しい暮らしをしてきたことがしのばれる。


「貴方はいつも通りでいいよ、アッシュ」


「で、でも……! お前と俺じゃ……!」


「背負うのは、私一人でいい。貴方には、支えて欲しいの。いつもの貴方でいてくれないと、困る」


 そういえば、ゲーム内でヒロインは、自分の出自の事をまだ知らない。


 悪役令嬢の叔母に『魔法の才能』を見抜かれて、魔法学校への登校が特例で認められたのだ、と信じていた。


 この時点で、彼女の血統の秘密を知っているのは、兄貴分のアッシュだけだ。

 ヒロインは、アッシュと呼ばれる御者の少年に、両手を差し伸べた。


「ほら抱っこ、はやくしてよ?」


「お、おま……うう……! ほんと、かわんねーな、お前!」


 少年は、はた目にもすごく照れてながら、脇の下に手を差し入れて、ヒロインを抱っこして馬車からおろしてあげた。


 ヒロインは、にこーっと笑って、悪戯が生きがいといった女の子の顔をしていた。

 その笑顔から、また周囲に光が放たれて、学園が不思議な甘い光で満たされていくみたいだった。


 周囲の貴族からも失笑をかって、俺の取り巻きたちからも侮られているのは、一目瞭然だった。


 だが……腕の立つ者は、何人か気づいたはずだ。

 こいつの異常なまでの強さに。


 エリザとアンナは、表情を険しくしていた。


「なるほど……やりますわね、あの方」


「ふん……クラリスお嬢様の足元にも及びませんわ」


 それは、魔弦使いのみが感じる、相手の秘めたる力。

 父の魔力を感じたときと同じ。

 いや、それ以上の圧倒的な迫力を、俺は少女から感じていた。

 どっどっと、心臓がいつまでも高鳴っている。


「……へぇ、なかなかステキな奴がいるじゃないか?」


 俺がつぶやいたのを、取り巻きたちは、はっとした表情で見ていた。


 こうして俺とヒロインは、運命の出会いを果たした。

 それはある晴れた朝に、真っ赤な風船を見つけるように、必然的な出会い。


 俺の心は、空高く登ってゆく。

 真っ赤な風船と共に、遮るものもなく、はるか彼方へと。

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