第7話 どれだけ楽しい夢も、貴女が私の愛しい人である限り、切なく終わるのです
父がアリオードの前に投げ捨てた剣は、いまだ怪しい光沢を放っていた。
「……恐れながら、公爵様。私には、自分がこの剣で何をすればよいのか、まったく見当がつきません」
その剣は、深紅の絨毯の上で揺り籠のように揺れている。
シャンデリアのほの暗い明かりを反射して、彼を興味深そうに見下ろす周囲の貴族たちの瞳の中に映りこんでいた。
父は、「くだらない」と吐き捨てて、鼻を鳴らした。
「あまりに世俗を離れすぎて、剣が何の道具かも忘れてしまったのか。そいつは人を殺すための道具だ」
「いいえ、これは七聖人の手によって清められ、貴人の身を守るための道具となったものです。鞘に納めて、はじめて本来の使い方がされるものです」
「剣は飾りではないし、まじないの道具でもない。お前の考える悪を裁け。これはその権限をお前に与える道具だ」
聖典が絶対の権力を持つヘインツ聖皇国において、神官が領主のやり方に意見する事は、さして珍しい事ではなかった。
けれども神官のうるさい説法など、まったく受け付けない父の方に、俺は好感を持った。
血の気の多い父は、神官たちから危険視されていて、そのために王位も弟の現国王に奪われたりもしたのだが。
柔和な国王に対して、公爵は悪役令嬢のクラリスと同様、憎まれ役だったのだ。
アリオードは、赤い刺繍の入った祭礼用の頭巾で額の汗をなんどもぬぐい、細い喉を鳴らした。
「アルベルト公爵様、私も、何かが悪いことぐらいは、分かっているつもりです。村には、改善しなければならない歪みがある。それは、はっきりと肌で感じております」
「ほう?」
「ですが、何を切ればこの病が治るのか、それを断じることは、私にはできません」
「つまりお前は、悪人が誰なのかを知っているが、にも関わらず、自分で手を下すのが怖いから、俺にかわりにやってもらいたい、と言っているのか?」
「その通りです。弁解しようとは思いません。ですが殿下、よくお考えください。目をつぶされ、手足をもがれた男が、はたして正しい犯人を指させるものでしょうか……?」
極端なたとえ話がはじまって、父は眉をしかめた。
こういう迂遠な話をするから神官は嫌いだ、と父はよく言っていた。
「公爵様、虐げられた者に、判断を任せてはなりません。彼らはしばしば間違え、その過ちの責任をさらに負わされることになる」
緊張していたアリオードは、唇が湿って勢いがついたのか、さらに前のめりになって言った。
「困窮し、明日をどう生きるかさえ分からず、不安に心がさいなまれている者に、それ以上を求めるのは、果たして正義なのでしょうか。世界には、導き手が必要なのです」
「お前の求めている正義と俺の正義は形が違うだけだ。俺にとっての正義とは、弱い者に力を与え、自分の身を自分で守り、自分の望みを達成させることだ。お前はここにいるアルベルトが、悪を成そうとする魔物に見えるのか」
「とんでもございません……ですが、私には、切るべき悪者など、どこにもいないように思われるのです。みんな病で歪んでいるだけで、本当は善良な民なのです」
「ふはははっ、善良な民だと? よくもそんな事を、人前で恥ずかしげもなく言えるものだ。もしお前たち以外が善良な民なら、お前たちは、誇りも尊厳も奪われた人間の掃きだまりで、他者を見下すレッテル貼りで自己満足しているクズだ、恥を知れ。せっかく力を得ても、自ら立ち上がることもせず、他人に責任を負わせる生き方しかできないのだ」
「笑われても、かまいません。たとえ孤児院への支援が、隣村の商会に横流しされていたとしても、彼らは私腹を肥やそうとしている訳ではありません。彼らは家族を、隣村を、従業員を守ろうとしている。飢饉で苦しんでいるのは、どこの村も同じなのです」
「御託はいい、お前は俺の娘の誕生会に土足で踏み入った。おまけに武人に血を流させておいて、自分たちだけ安全圏に引っ込んだままで、事件を解決してもらおうなどと甘えた考えでいる。甘ったれるな。この公爵領に神の威光が届くと思うな。神官よ、俺を動かしたければ、お前の覚悟を見せてみろ」
父の鋭い目つきに、周囲の貴族たちも、はっとしたように息をのんだ。
鉄血公。
その二つ名を彷彿とさせる、底冷えのするような声音。
アリオードは、俺の渡した方の剣を、ぎゅっと握りしめた。
そして、納得したように頷いた。
「公爵様、私は、どうやら思い違いをしておりました……申し訳ございませんでした」
アリオードが、剣をくるっとひっくり返し、柄に両手を添えた。
その刃は、自分の喉元に向けられている。
「誰を切ればよかったのか、たった今、分かりました。……私です。どうか孤児たちに、寛大なご慈悲をお与えください」
俺は、この神官長の頭の良さに、少しばかり興味をもった。
なるほど、剣にはそういう使い方もあるか。
俺には思いつかない使い方だった。
そのとき、父の目に、血の気を好む猛獣のような輝きが宿った。
気が付くと一歩先に進んでいて、人差し指と親指で、剣の先端を軽くつまんで、その動きを止めている。
速い。
ぞっとするような速度だ。
相撲取りの巨体が、まるで猫のような俊敏な動きだった。
アリオードが自分に向けた剣先は、針金に絡まったように、ぴくりとも動かなかった。
「おいクズ神官。お前、俺に何か隠していないか?」
「は……」
父が突然放った一言に、アリオードの表情が蒼白になった。
父は、なにやら値踏みするように、その表情を見つめている。
「お前は判断力が鈍いわけではない。俺はお前のような頭の切れる男が、たかが孤児の生活を守るためだけに、そこまで必死になるとは思えない。いったい修道院に、何が起こった?」
「ああ……神よ」
何もかもを見破られた、といった様子のアリオードは、答える代わりに、その場にうずくまってしまった。
ざわめきが大きくなり、人々の間に緊張が走った。
近衛兵団長と宰相の目つきも、それにあわせて、異様な気配を帯び始めた。
俺も、彼らとほとんど同時に、父の周りの人間の顔を眺め渡した。
怪しい素振りを見せる者は、特に見当たらない。
どうやら、神官がこの中の誰かを告発するような雰囲気ではない。
だったら面白かったんだけどな。
アリオードの言う通り、もしも犯人が隣村の商会どまりだったら、なんとも張り合いがない。
その頃になって、ようやくバルコニーの床から右足を引き抜いたレイモンド王子がやってきた。
ズボンの裾が破れ、相当なダメージを負っているはずだが、それをまったく感じさせない、スマートな足取りなのはさすがだった。
「おい巨象殺し、お前は何か知っているのか」
レイモンド王子は、俺に向かって人差し指を立てて、怒りのあまり両目をつり上げた。
何かを言いかけたが、そのとき会場の様子に気がついた様子で、ふっと肩の力を抜いた。
父とアリオードが話し合っている姿を見て、彼は額にぺしん、と手を当てた。
「ああ、やってしまったか……まあいい、君だけには、伝えておくべき内容だったかもしれないな」
「どういうことだ」
「もうじき、君も無関係ではいられなくなる、ということだ」
そういえば、アリオードは最初、俺に孤児院の救助を訴えかけてきたのだった。
レイモンド王子のアリオードへの対応も、いま思うと、俺を事件に関わらせないようにしていた、とも捉えられる。
公爵領で起きた事件なのに、王子が先になにもかも知っていて、公爵家が気づかないよう水面下で事をすすめていたのだ。
なんとも鼻持ちがならなかったが……この国の構造上、仕方がない。神官たちは、完全に国王派よりなのだ。
「……先日、修道院に大勢の孤児が集まってきました。今日の私の願いは、彼らを助けて欲しい、本当に、それだけです。……ただ、公爵様の、妹様が……」
ルーベンス修道院にいる、俺の叔母のことを言いかけて、アリオードはいったん口つぐんだ。
どうやら、そこから先は、人前では言いにくい事なのだろう。
だが父は、その程度では動じない人だった。
隠し事など一切できないタイプだ。
周りの事など構わず、その先を促した。
「言え、俺の妹がどうした」
「はい、妹様が……その孤児たちの中に、どうやら『王族の子』がいると、仰せになられたそうなのです……王族のみが持つ魔弦を、生まれながらにして持っていると。これまで私たちが調べたところ、その少女は、公爵様のお姉様、エスタンシア様の血を引く方ではないかと思われます」
「なんと……」
気丈な父が、絶句して口元を押さえた。
エスタンシアは俺の伯母だ。
俺が生まれるより少し前、公爵の地位を捨てて、行方不明になった、と聞いている。
父は、姉の捜索などにまったく興味を示さず、領地の改革を推し進めた。
裁判や商取引、税制度などにおける神官の優遇措置を弱め、少しずつ自治を国民の手に取り戻していった。
父が悪辣な手を使って公爵の地位を奪ったのだ、などと、彼をよく思わない神官たちや国王派は風評を流した。
たぶん、アリオードもそう思っていたはずだ。
けれど、父の反応を見るに、実際はそうではなかったのだろう。
父は伯母の強さを知っていた。
閃光の魔弦使いと呼ばれ、父が恐れるほど、圧倒的な強さをほこった。
手助けなど、余計なことだと信じ、彼女がもどってくるまで公爵領を維持することに、全力を注いだのだ。
一同は、唐突なスキャンダルに騒然となっていた。
問題は、この公爵領の元領主の娘である。
ひょっとすると、悪役令嬢クラリスを差し置いて、この公爵領の正当な後継者になる可能性があった。
神官に嫌われていた父が、神官たちの意向で、弟に王位を奪われたのだ、それは十分にありうることだ。
俺は、そんなことに興味はない。
ただ、このゲーム世界に、このような一幕があったとは思いもよらず、感心していただけだった。
全ルートをクリアしても、まだまだ知らない事が多いのだ。
けれど同時に、とうとう来たのだ、という実感があった。
レイモンド王子は、苦虫を噛み潰したような顔を浮かべていた。
「君の従妹だよ、クラリス」
ああ、知っている。
俺は、早速うずうずしはじめた。
彼女はまもなく、俺やレイモンド王子と同じ、魔法学園に編入されることになる。
その少女こそ、このゲームのヒロイン。
悪役令嬢クラリスを打ち破る、閃光の魔弦使い。
そして恐らく、この俺が知る中で、最強のキャラクターなのだった。
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