第6話 父よ……貴方は愛と呼ばれる縛めを私にくれた

 王子は、まだ俺との戦闘を継続する気のようだった。

 だが相手の力量が知れた今、俺にそのつもりはない。


 会場の方を振り向くと、舞踏会の音楽は再び響き始め、バルコニーを心地のいい夜気が包んでゆく。


「おい、ドリスデン!」


 俺は暗闇に向かって声をかける。

 暗闇に潜んでいたドリスデンが、その気配をぬっとあらわした。

 彼女の身を包んでいた黒い布が、すうっと空気に溶けてゆく。

 闇の魔弦を編み合わせて作った布だ。

 一切の気配を感じさせない潜伏術に使われる。


 だが、慣れればこいつが隠れていそうな場所ぐらい、勘で分かるものだ。

 どうせ俺と王子のダンスを他人に見られては困るので、人払いをしてくれていたのだろう。

 気にする必要はないのに、こういうお節介なところがたまに癪に障る。


 俺は、床に散らばったパフスリーブやコルセットなどの兵装(ドレス)を指さした。


「つけてくれ!」


「かしこまりました、クラリスお嬢様」


 冗談でなく、俺ひとりでは着付けができないのだった。

 レイモンド王子は、まだ跪いた姿勢のまま、動けないでいる。

 足が石の床に挟まった状態で、抜けそうにない。

 瞳に炎をたぎらせながら、俺をぎろり、とにらみつけていた。


「まて、俺との勝負を捨てて逃げるのか……クラリス!」


「逃げる? 俺が一体どこに逃げるというのだ」


 俺は、皮肉気に笑った。

 この悪役令嬢にとって、身の安全の保障された場所が、いったいどこにあるというのだろう。


「この国のどこに行こうと、俺は常に戦場にいる。いつでも命を取りに来るがいい」


「なに……」


「お前が俺と戦う気があるかないか、それだけだ」


【好感度】10→60


 王子の好感度が急上昇した。

 俺は眉根を寄せた。

 全キャラの中でも、王子の好感度は非常に上げづらかった記憶があるのだが。

 まあいい。


 顔を赤くするレイモンド王子をその場に残し、俺はドレスを身にまとって、会場へと戻っていった。


 蝶のように踊っている紳士淑女の間に、さっきの神官がいた。

 彼は、俺の姿を認めてほっとしたような笑みを浮かべた。


「クラリス様! ご無事で……あ」


 だが、神官は左右から押し寄せてくる俺の取り巻き連中に押し流されて、あっという間に見えなくなってしまった。


「クラリス様、次はぜひ、この私と勝……いや、ダンスを!」


「ささ、お疲れでしょう、クラリス様、これで血を……いえ、汗を拭いてください! こちらへどうぞ!」


「お慕い申しております、クラリス様!」


 俺は、扇を広げて顔を隠した。

 ドリスデン曰く、たとえ「こいつらウザイ」と思っても、表情が見えないようにするのは、淑女のマナーだそうだ。


 取り巻きどもは、金が手に入りそうな権力にすり寄っているだけだ。

 いつ裏切るとも知れないと思っておいた方がいい。


 なるほど、ここは戦場なのだ。

 俺は戦場の心構え、というものを意識したことがなかった。

 戦場において表情を読み取られないようにするのは、非常に理にかなっている、と思ったので、このマナーには従うようにした。


 俺は彼らの間を通り抜けて、神官の所に向かった。

 紳士淑女の垣根が分かれ、ちっぽけな神官の姿が俺の前に現れる。


 俺の与えた剣を抱え、まだどこにも行けないでいる。

 こいつも自分では答えが出せない、普通の漢だったか。

 なにか面白い事をしてくれたら、と思ったが、期待外れだった。


 ……いや、本当にそうか?


 神官長の目は、剣や金を与えられてなお、俺に必死になにかを訴えていた。

 それを見て……俺は自分の考えを改めざるを得なかった。


「神官、お前は、俺になにか用があったのか?」


「あ……」


 神官は、はっと弾かれたように俺の顔を見た。

 一体、俺になんの用があるのかは、推し量るしかない。


 ひょっとして、貴族連中を次々と打ち破る俺の武勇を聞き及んで、俺に直談判に来たのだろうか?

 俺が暗殺者や用心棒のような真似をするとでも思ったのだろうか、そう考えれば、話が早い。


「剣はくれてやる。売ればいくらか金になるし、それで傭兵を雇うこともできるだろう。お前の目的は、それでは達成できないものなのか」


「……はい」


「いったい、何が目的だ。本当のことを言え」


 村の役員を襲うだけなら、十分に事足りるはず。

 こいつが傭兵を雇った程度では、手も足も出せない相手が、公爵領にいる。


 神官は、ぶんぶん、と首を振ったあと、俺に力強い眼差しを向けた。

 凄まじい憎しみのこもった目だ。


 俺に対する好感度が、マイナス30になるほどの憎しみ。

 それを俺に向けるとなると……相手は自然と限られてくる。


「それは……」


 神官の声が、不意に止まった。

 心臓が止まったかのように、目を丸くしている。

 そいつの圧倒的な存在感に、舞踏会の連中は誰もが息をのんだ。


 ダンスホールに現れたのは、身長250センチに到達しようかという巨漢。

 スーツから突き出た腹は、モンスタートラックのタイヤのように分厚く、何人もの人を轢き殺してきたかのように赤い。

 公爵家にしか許されない紫色の軍服に、首には国宝級の首飾りを提げている。代々伝わる魔よけの首飾りだ。


「クラリス、夜会は楽しんでいるかね」


「アルベルト公爵閣下」


 周囲の貴族連中が、深々と頭を下げた。

 俺の隣にいたドレスデンも、数歩下がって跪いている。


 アルベルト公爵領の領主、アルベルト公。

 現国王の甥であり、悪役令嬢クラリスの父親。

 つまりは、俺の父親だった。


 アルベルト公爵が腰に提げた黒刀は、異様に長い。

 まるで二足歩行の恐竜が地面にひきずる尻尾のように見える。


 その背後に控えているのは、近衛兵団長ハレル。そして宰相エウレクス侯爵。


 普段、王都にいる彼らは、公爵領ではめったに逢うことも許されない相手だったが。

 どちらもこの皇国において、王子を10人あつめたほどの戦果をあげてきた英雄だった。


 彼らの視線をうけて、神官長アリオードの様子がおかしくなった。

 全身にひどい汗をかき、体ががくがくと震えている。


「……ほう?」


 俺は、アリオードとその3人を見比べた。

 いずれも修道院と接点があるようには思えないのだが。


 アルベルト公爵は、にかっと口角をつり上げると、俺に向かって両手を広げた。


「おお、クラリス、愛する娘よ。下階にいる老人たちの事も考えておくれ。お前があまりに激しいダンスをするので、振動がわしの耳まで響いてきたぞ」


「クソじじぃ」


 アルベルト公爵は、俺を子供のように軽々と抱き上げ、むぎゅうとサバ折りを仕掛けてきた。

 白いひげでぞりぞりと顔を擦られる。

 いつもは母親が「本気でやめて」とたしなめるのだが、あいにくその姿はなく、やり放題でジジイの天下だった。


 ジジイらしい品のない物言いに、両雄の愛想笑いが追従する。

 貴族連中は、相変わらず頭を下げたまま、笑う余裕すら失っていた。


「さっき見たら、バルコニーの床が抜けておるではないか。どこまでお転婆なのだ。相手は一体どこの馬の骨だ?」


「レイモンド王子だ。婚約者と何をしようが俺の勝手だろう?」


「おお、そういえばそれっぽい軍靴を履いておったわ。だがクラリス、婚約者はお前に与えられたおもちゃではないぞ」


「足を踏んだだけだ、政務に支障をきたすほどではない。しかし、俺の婚約者があれとはな、もう少しいい男を期待していたが、目が腐ったか」


「なにを言う、お前と近い年齢で、あれほどの実力を持つ者は稀だ。つまりお前が強くなりすぎただけだ……そうだハレル。お前のところの息子はどうだ? 今度、魔法学園に入学するのだろう?」


 背後に控えていた近衛兵団長ハレルは、びくっと肩を震わせ、脂汗をだらだら流しながら頬をひきつらせた。

 そういえば、姉貴の乙女ゲームにも、こいつと似たようなキャラクターがいた気がする。


 魔法学園に入学する攻略対象のキャラクター、リヒター。

 近衛兵団長ハレルの息子で、脳筋だが実直な男だった。

 終盤には凄まじい戦闘能力を発揮し、ヒロインを守って命をなげうつ、俺的には憧れのポジションだった。

 リヒターをじゃっかん太らせたのが、ここにいる親父といった感じがする。


「い、いえいえ、私のバカ息子では、クラリスお嬢様の足元にも及びません。宰相閣下のご子息こそ、魔法の才に秀でておいでで、お嬢様とお話も合うかと」


 隣にいた宰相エウレクスは、メガネの奥の鋭い眼差しが嘘だったかのように、にこっと柔和な顔を浮かべた。

 まるで面の皮がくるっとひっくり返ったかのような、場当たり的で不自然な笑みだった。


 だが、こいつの顔も、やはり乙女ゲームで見たことがある。

 攻略対象の1人、ユトリロと同じだ。

 ユトリロは宰相エウレクス侯爵の息子で、ドレスデンとおなじ闇の魔弦を無数に操り、暗殺や諜報といった技能に特化していた。

 だが、父親とは顔つきが似ているだけで、その雰囲気はまるで別人だった。

 ユトリロの感情は死んでいるのだ。

 少なくとも、彼の攻略ルート以外で、ユトリロが笑ったところを俺は見たことがない。


「ハレル殿、なにを仰います。愚息は武術などからきしで……クラリス様に似つかわしいのは、レイモンド王子を差し置いておりませんとも」


「ま、まったくですなぁ、レイモンド王子が一番ですとも、わっはっは!」


 どうやら両雄とも、俺が嫁に来たら大変なので、お互いに擦り付け合っている状態みたいだった。


 というわけで、俺の婚約者になってくれる器の大きな男は、レイモンド王子以外になかった、ということだ。


 俺は、がっくり肩を落とした。

 ……序盤こそレイモンド王子にはかなわないが、リヒターもユトリロも、どちらも王子以上の強者に成長してくれる、優良な戦闘ユニットだというのに……。


 肩書のせいで、真の実力を埋もれさせてしまう、非常に腹立たしいことだが、ここは受け入れるしかない。

 アルベルト公爵は、俺の肩を剛力でバシバシ叩きながら、がははと笑った。


「どうだクラリス、わしの目は確かだったようだぞ! やはりお前の婚約者はレイモンド王子しかおらんわ! がっはは!」


「……ちっ」


 アルベルト公爵の足を踏んでやりたかったが、公爵の体つきは、相撲取り、いわば筋肉の戦車だ。

 まともにやりあえば、俺は一撃で殺されるだろう。

 それでも魔弦の使い方が下手だったらまだ俺にチャンスがあるのだが、公爵はかつて魔法学園を首席で卒業し、軍師に教えを請われたことがある、いくつもの最年少記録を塗り替えた天才美少年だった、という逸話があった。


 俺は舌打ちをして、ちらり、と足元の神官長に目を落とした。

 そういえば、こいつも俺と同い年ぐらいか。

 だが、魔法学園のキャラクターにこんな奴がいた記憶はない。

 この国の貴族はみんなこの学園に入学するし、白の魔弦を使う神官の系譜もその例に漏れない。

 ゲームでは顔が出ない脇役だった、という可能性もある。


 魂が抜けたようにその場に座り込んでいるが、じゃっかん落ち着いたみたいだったので、声をかけてみた。


「お前、名前はなんと言った」


「……アリオードです」


「おい、親父。ここにいるアリオードとかいう神官が、お前に用事があるそうだぞ」


「ひぃぃぃッ!?」


 俺が紹介してやると、がくがくと震えるアリオード。

 本当は俺ではなく、公爵に直接言いたい用事があったに違いない。

 だが、こいつでは上手く喋れないだろう。

 代わりに、俺は言ってやった。


「なんでも、先日の日照りで農村が被害を受けて、修道院の孤児が大勢増えたということだが……」


「ふむ? ……ふうむ、なるほど。つまり我々の支援が、下々まで行き届いておらぬ、ということか?」


 さすがは、呑み込みが早い。

 何十年も領主をやっていれば、自分の領地のどこかに不具合があることぐらい、ある程度は把握しているのだ。


 それに対して、アルベルト公爵が取った策は、シンプルだった。

 アルベルト公爵は、前かがみになると、長剣とは別に腰に帯びていた短剣を手に取った。


「拾え」


 そして、それを神官の目の前に放り投げる。

 アリオードはますます困惑するような瞳を、目の前の公爵に向けた。

 公爵は、にたりと意地汚い笑みを浮かべた。


「この剣でお前が何をするか、見てみよう」

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