第5話 狐と竜……甘く切ない、舞踏会での出会い

「ごめんね、痛くするよ」


 レイモンド王子が一足飛びに跳んでくると、その長剣がうなりをあげて俺に襲い掛かった。

 体格のわりに異様な速さだが、見えない動きではない。

 それを受け止めた夜の剣が、夜闇で火花を散らし、耳障りな金属音を鳴らした。


 ……強いッ!


 痛覚さえ覚える激震。

 剣を通じて、王子の力量がこちらまで伝わってきた。


 この火力なら、夜の剣も3回以内にへし折れると考えた方がいい。

 動きが見えるからと言って、何発も受けてはいられないだろう。


 そのとき、風圧とも、衝撃とも違う、不可解な力が俺の足元から吹き上げてきた。

 あたかも夜の剣と長剣の接点に、超質量の惑星が生まれたかのように、俺の両足は地面から離れ、そちらを地面と誤認するかのように浮かび上がった。


 重力、いや、それは遠隔力だ。

 そこにあるのは惑星ではない。

 巨大な魔弦の中心……ッ!


 王子は、このとき剣を通じて、魔力の塊を自分と俺の間に産み落としていた。

 空中のその一点を中心にして、放射状に魔弦が伸び、周囲の物を無作為に引き寄せている。


 なるほど、これが……巨象殺しを成しえた王子の隠し玉だ。

 魔弦の使い方を心得ている。


 魔弦という魔法は、伸び縮みする性質があることから、筋肉の代わりに体の動きを補助するのに使われている。

 それは筋肉のひと回り外に形成される、パワードスーツのようなもので、俺のような非力な者にも戦える力を与えてくれる、神の筋肉だった。

 魔弦を扱える者は、力を容易に生み出せるこの魔弦のとりこになる。


 だが、レイモンド王子は違った。


 肉体を鍛え、物理の限界に到達し、さらにその一歩先に進むために、魔弦の使い方を研究している。


 全ての力を集めた先にある、本当の限界を求めようとしているのだ。


 ドラゴンだ。

 全てをほしいままにした上で、さらにその上を求める、貪欲な魔獣だった。


 俺はその強さが純粋に嬉しかった。

 俺のライバルになる男は、そうでなくてはならない。


 王子の魔弦によって、空中に浮かばされた俺は、そのまま長剣によって押し流され、振り子のように背後の壁にたたきつけられた。


「もっと顔をよく見せてくれ、クラリス……僕の妻になる女の顔を」


 壁に王子の掌底が突き刺さり、バルコニーがびりびりと震えた。

 王子の掌底は、俺の顔の右側、肩の上をかすめ、背後の壁に突き刺さっていた。


 レイモンド王子には、俺の頭をひねりつぶすことも容易に出来ただろう。

 だが、王子は俺を脅迫することも、痛めつけることもしない。

 本当にじっと俺の顔を見ているだけだった。


「一体何を考えている」


「君の心を掴む方法を考えている」


「だったら残念だったな、お前は千載一遇のチャンスを逃した」


「心臓を掴みたいと言っているわけではないよ。君が大人しいウサギだったら、僕も迷わなかったんだけどね」


「なに?」


「こういう事さ」


 レイモンド王子の指先が俺の唇に触れると、顔面がしだいに俺の顔に近づいてきた。

 常人には一瞬の出来事だろうが、俺の目には、王子の動きは何千枚にも分割されたスローモーションの映像に見える。

 一体、何の動作だ、これは。

 俺の格闘術の知識が、『噛みつき』や『毒霧』といった特殊攻撃の可能性を導き出すが、様子が少し違う。


 この時代の貴族は肉料理ばかり食べているので、口臭がきついはずだが、爽やかなペパーミントの香りがするのは魔法のなせる技なのか。


 俺は思い切り眉をしかめて、そして、はっと思い当った。

 壁に手を付けて、女子に顔を近づける。

 この体勢は……まずい、『あれ』に違いない。

 そう思うと、もう『それ』にしか見えなかった。


 王子に会うのは今日が初めてだったが、俺が王子のこの技を見たのは、1度ではない。

 それは、王子ルートにおける通過儀礼のようなものだったから、何度も見てきた。


 それは姉貴の乙女ゲームにおいて何度も味わってきた、地獄のような強制イベントのひとつだ。

 この軟弱極まりない王子は、学園で出会ったばかりのヒロインを気に入ったらしく、こうして壁に押し付けたあと、あろうことか強引に接吻をするのだ。


 婚約者がいる身でありながら、なんという軽々しい男であろうか。

 しかも、この様子を見るに、出会ったばかりの女には手当たり次第に同じことをしていたというのがうかがえる。


 悪役令嬢もその毒牙にかかっていたに違いない。

 悪役令嬢は、王子に一方的に婚約を解消されたあと、王子を平手ではたいていた。

 いまならその気持ちが分かる。

 こいつは許せん。


「俺に近づくな……下郎」


 俺は、思い切り息を吸い込むと、へその下から力を込めて吐き出した。

 気海丹田は、この世界の人間にも共通で存在する機関だ。


 マナを高めることで、圧倒的な数の魔弦をどんどん生み出した。

 無数の金の糸をより合わせ、さらに強靭な縄を編んでゆく。


 そうして生み出された強靭な尻尾をしならせ、王子の体をからからめとり、引きはがすことに成功した。


 王子は、すぐに長剣を使って黄金の尾を切り飛ばすが、周囲を埋め尽くす無数の尾に、絶句している。


「これは……」


 俺の体から解放された魔弦は、まだ余力を持て余して暴れ、触手や尻尾の形をして周囲をのたうち回っていた。

 それらはお互いに結びつき、やがて金色の妖精のような不可解な生物を形作っていく。


 強大すぎる魔力からは、ときに魔獣と呼ばれる存在が発生し、この世界の平和を脅かすのだそうだ。


 悪役令嬢クラリスは、ゲームのラストでこの力を解放させ、彗星の化身である『白髪を振り乱す魔女』に変貌する。


 それは最悪の凶兆。世界に破滅をもたらす、諸悪の根源である。

 だが、いまの俺はそれとは違う。


 俺は、これも綿の代わりに鋼が詰まった肩の膨らみ(パフスリーブ)を外し、エキスパンダーのように手から肘までの動きを抑制する強靭な手袋(グローブ)を外す。

 さらに、重さ2キロの懐中時計を手放すと、まるで羽が生えたように軽くなった。


 薄着になった俺の体がまとう魔弦は、まるで全身に金色の毛が生えたように、ふわふわと柔らかく波打っていた。


 さらにきわめて太い束が、金色の九本の尾っぽとなって、俺を背後から扇を仰ぐように、反復運動を繰り返していた。


 東洋では『九尾の狐』と呼ばれる形態。

 どうして公爵家の令嬢がこの力を顕現させたのか、分からなかったが、国家を転覆させる国母の能力としては、ちょうどいいだろう。


「素晴らしい」


 王子は、興奮に目を見開いていた。

 そういえば、こいつは動物が好きだったな。


「クラリス、僕は君を本気で物にしたくなった!」

 

 レイモンド王子の背後に、一瞬だけ火竜の影が見えた気がした。

 火竜のその光る双眸は、王子が前に踏み込む瞬間を教えてくれる。


 俺は3歩ぶんほど飛び下がると、レイモンド王子が繰り出してきた長剣による突きをさばき、体勢が整う前にその長剣を空高く弾きあげた。


「約束だ……足を踏むだけで勘弁してやろう」


 俺は王子の足ごと床を踏み抜いた。

 石でできたバルコニーの床がべごん、と音を立てて穴を空け、片足を取られた王子が身動き取れなくなった。

 その隙に俺は反対側の膝裏に蹴りを入れて、強引に前後に開脚させ、その場に跪かせる。


 鉄扇で肩を押さえつけてやると、がくん、と王子の姿勢が低くなった。


「ぐ……ッ、は……ッ! はははは!」


 屈辱的な格好をさせられても、笑顔を崩さなかったのはさすが王子だ。


「この、僕に膝をつかせるとは……! こんな女に出会ったのは、生まれてはじめてだ……! クラリス、僕は君を一生許さない……! 君を倒すために、僕は全てをなげうってでも、強くなる……!」


 王子の体から噴き出していた火のマナが、遅れてバルコニーを吹き抜け、麦穂のように一面に広がった金色の尾を揺らした。

 魔弦の妖精たちが、上昇気流を受けて一斉に空に舞い上がってゆく。


 俺は、夜の剣を夜空に投げ放った。

 金の魔弦に導かれるその剣は、馬車に備えてある鞘にかつん、と音を立てて収まった。


「無駄な事をするな……たかが10年の人生をかけた程度で取れるほど、俺の首は安くはない」


 俺との戦いにかまけている場合ではない。

 王子には、この国のためにもっとやるべきことがあるはずだ。

 そう思って、口では王子をはねつけていたが、俺は、なぜか口元が緩むのが抑えきれなかった。

 厄介な敵(ライバル)が生まれてしまったものだ。

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