第3話 運命……それは愛の結び目、貴方がいたという証
「貴様が、巨象殺しか……」
悪役令嬢の俺と婚約者のレイモンド王子は、こうして舞踏会の会場で、初めての対面を迎えた。
この世に生まれ落ちたときから、婚姻する運命が定められていた2人。
お互いがお互いと出会うことを人生の目標として生きてきた、赤い糸の終着点である。
レイモンド王子が一歩前に進み出た瞬間、それまで止まっていた舞踏会の空気がようやく動き始めた。
そこにいるのは本当に人間なのか、俺にはなにか巨大なエネルギーの塊が蠢いているようにさえ思える。
レイモンド王子の白い靴が踏み鳴らされるたびに、厚く積もった埃が蹴散らされるかのように、火の粉が辺りに舞い上った。
恐らく、あれが王子の授かったという、火竜の加護。
全身が炎のマナをまとい、常に光と熱を放っている。
ガソリンをまいたらさぞ燃えることだろう。
「ところでそこにいる神官、名はなんと言ったかな?」
「はっ……ルーベンス修道院の、アリオードでございます」
「私のポケットマネーでよければくれてやろう、持ち帰るがよい」
平身低頭していた神官は、顔を勢いよくあげた。
「よろしいのですか」
「うむ、君は決死の覚悟で村の窮状を訴えに来たのだろう。その勇気に免じて、今回は私が手を貸してやろう」
「あ……で、でも……」
「さあ、早く帰って、子供たちを喜ばせたまえ」
王子は、両手を広げて花のように微笑んでいた。
周りの貴族令嬢からは、惜しみない拍手が降り注いだ。
この頃の聖皇国では博愛主義がもてはやされ、人間はすべて平等に扱うべき、という気風が貴族の間で流行っていた。
ただ、誰が人間で誰が人間でないかを決めていたのも、そいつらだったが。
その空気に押されて、神官は言いたいことを言えず、口つぐんでしまっている。
俺は、こいつらを軽蔑の眼差しで眺め渡した。
村の問題にまともに取り合おうとせず、適当に金を掴ませて帰らせようとしている。
王子がやっているのは、見た目の派手さだけを重視した、観客を喜ばせるためだけの、まったくもって中身のないパフォーマンスだ。
決死の覚悟で訴えに来た者を、どうせ金をやれば喜ぶだろうとバカにして見世物にしている。まったく意味のない稚戯。
俺は、知らないうちに声が強くなっていた。
「おい、巨象殺し。ルーベンス修道院の件は公爵領の問題だ、王家が軽々に首を突っ込まないでもらおうか……」
俺の言葉が終わるか、終わらないかという瞬間。
王子は、一部の無駄もない身のこなしで、いつの間にか俺のふところに飛び込んでいた。
いや、凄まじい威圧感をもってして、俺の間合いに体を無理やりねじ込んできたのだ。
レイモンド王子の右手から鋭い突きが放たれた。
避けられない突きではない。
実際に、完全に見切ることはできた。
王子の突きは、俺のドレスの左肩をかすめ、背後にある壁にドンッ、と音を立てて突き刺さった。
王子は、壁に手を付けたまま、額を近づけ、低く囁いた。
「君には君の正義があるのだろう、クラリス……だが、君のその行いは私の婚約者としては相応しくない。以後、改めたまえ」
王子は、俺の耳にかかった金髪をかきあげるようにして、俺の頬に熱い指をそっと這わせた。
さらに、人差し指で俺の顎をくいっと持ち上げ、自分の顔に向けさせる。
「クラリス、どうやら君は、公爵領を自分の物だと勘違いしているようだが……それは違う。君のすべては、私の物だ。いいね?」
……この男……ッ!
いったい何者だ、こいつは。
この俺が、場の流れに一切逆らう事ができなかった。
まるでヘビに睨まれたカエルのように。
俺は奥歯を噛みしめ、王子のサファイアブルーの瞳をにらみ返した。
ドレスデンは、顔を真っ青にして、俺とレイモンド王子の顔を見比べている。
「く、クラリスお嬢様……落ち着いてください」
俺は呼吸を整えようとしたが、乱れる心臓の鼓動だけは、どうしても抑えようがなかった。
60キロのドレスの重りを抜きにしても、こいつと戦ってまともに勝てる公算がない。
だが……だからと言って、俺がここで逃げていい理由にはならない。
レイモンド王子は、にこっと、世界中の花が咲いたような笑顔を浮かべて、俺の腕をぐいっと引っ張った。
「ほら、君が怖い顔をするから、せっかくのパーティがしらけてしまったではないか。もう帰りなさい……」
俺の腕を掴んだレイモンド王子は、驚愕に目を見開いて立ち止まった。
信じがたいものを掴んでいるかのように、自分の手を見下ろしている。
「……ほう?」
悪役令嬢の俺の二の腕は、見た目は柔らかい曲線を描く、女の細腕だった。
だが、王子の腕に捕まれたそれは、まるで甲冑をまとった武将の腕のように固く、微動だにしていない。
俺は、ようやく吸っていた息を吐き出した。
「おい、巨象殺し……」
びっと、親指で外を指さす。
「俺と一緒に踊らないか」
レイモンド王子は、俺の指さした方向を、じっとり汗ばんだ顔で見つめていた。
そこにはバルコニーがあって、涼し気な夜風がカーテンを揺らしている。
王子は、襟に指を突っ込んで、緊張した面持ちで服を直した。
「なるほど、ここは暑いからね……」
王子は、俺の方に手のひらを差し伸べた。
俺が何かを渡すよう催促しているようにも見える仕草だった。
俺は、いままで男から女らしい扱いを受けたことなどなかったので、それがエスコートだとすぐには気づかなかった。
俺がぽつねん、としていると、ドレスデンが後ろから囁いた。
「クラリスお嬢様、エスコートです。お手を取って差し上げてください」
「エスコートだと……この俺が?」
「武術にルールがあるのと同じです。王子はそれを守らねばならぬお人なのです」
貴婦人が部屋を移動するときは、殿方が手を引いて差し上げる、というルールがあった。
気持ち悪い事このうえない作法だったが、一体どんな武人であろうと、ルールを守らなければ勝負には勝てない。
俺はその手を取ると、王子と並んでゆっくりバルコニーへと歩みを進めた。
後に、永遠のライバルと謳われる悪役令嬢の俺と王子の戦いは、この日ついに幕を開けたのだった。
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