第3話 ハサミ使いドルジ

 鋼鉄の......榛色の......竜骨カチカチ......夢のような......先人......豚。くごくごくごくごくご。

 おほほほ、豚が泣きよるゾ!! おほほほ。豚が泣きよるゾ!!くごくごくごくごくご あーあ、疲れちゃった。

『ビールを飲むために、鼻毛を切る切るの巻。いーーーんいんいんいん』

「茶漬けにさ、チューブのわさびを、お腹爆発するんじゃないかってくらい、山盛り掛けて、食うと、美味いわけ」

「グルメだね」

 友人の言葉に、オレは思わず笑い、鳴いた。

「くごくごくごくごくご」

 そして、地上を見下ろす。黄土色か赤色か区別のつかない海。飛空挺の窓外からは、その色を正しく見るのは不可能な気がした。

「へい、スギヤマ。当直の時間だぜ」

 上司が艇内にアナウンスした。名指しされたオレは、同僚と交代で管制室に入る。同僚のドルジは、すれ違いざまに嬉々とした表情で言った。

「くごくご。ストロベリーフィールドの沖合に、座烏賊の漁船が打ち上げられたらしいぜ」

「数百年前のオーパーツが、なんでまた?」

「さあな。さしづめ、コダックの末裔の仕業だろうよ」

「淫靡な血族だ。淫靡てーしょん。くごくごくご」

 同僚から入室用のカードキーを受け取り、管制室のドア横の認証機にかざした。

『--------!!』

 呼応する自動音声は、何を言っているのかさっぱり分からない。恐らく、入室を認める旨のメッセージが発せられているのだろう。この飛空挺にしても、カードキーにしてもだから、オーバーテクノロジーの中に組み込まれた多くの機器的配慮は、オレらの種族の潜在的要望とは適合しない。オレの手中のカードキーも、複数の隊員で使い回しにしており、実際には誰のものなのかはっきりしない。

 自分の手を見つめる。手というよりは、蹄か。

 三日前まで家畜の豚だったオレらに、突如知能と道具(あと、二足歩行のコツ)を与えた奴ら--宇宙のどこかからオレらを監視する異星人--は、いったい何を考えているのか。人類の歴史や行く末、この星の最期も、知識として当然与えられたわけだが、それを教えることで、オレらに何を期待していたのだろう。

 管制室に行く前、便意を催し、トイレに入った。個室には、お尻拭きとして浩瀚な書物が脇に積まれていた。これらも、元を正せば異星人からオレらに与えられた体系的な知の結晶らしい。使い道がなくて処分に困っていたところ、トイレのちり紙が不足しがちという事実が飛び込んで、書物に偉大なる天命が与えられた形になる。

 書物に何が書いてあるのかは知っている。万物の理論とか、開闢の真実とか、そういう屁理屈が記されているのだ。

『ギバれよ、生命として』

 異星人の一部はそう言ってオレらに知能を授けた。自尊心のために記号を持たなければならないということで、元々暮らしていた養豚場の名前を氏名として譲り受けた。名前があるからと言って、すぐにすぐ自尊心が芽生えるはずもないが。

「スギヤマ、入りました」

 管制室の自動ドアが開いた時、上司の【スギヤマ】が振り返った。彼は、家畜時代からの知己の中だ。つい先日までは同列の存在だったオレらの関係は、急にガチガチの縦社会の中に組み込まれた。

「くごくごくご。来てみろ、大ニュースだ」

 欣喜雀躍する上司に対して、座烏賊の漁船が打ち上げられたことなら、もう聞いてますよ、オレはそう答えた。

「事態はとっくに進展しているさ。味噌汁。来てみろヨ」

 管制室のモニターには、件の漁船の空撮映像が映っている。

 半身を海につけた横倒しの漁船の姿は、ドルジからその事実を聞いた段階で想像ができた。問題は、その続きだったのだ。

 漁船の傾いだ帆桁に、一人の老婆が立ち尽くしている。帆桁は地面とほぼ垂直に立ち上がり、その先端のわずかな足場で、態勢を乱さずにバランスを取っているのである。

「誰ですか? あの老婆は?」

「老婆だと? どう見てもガキじゃねえか」

 上司の言葉に、目を擦ってもう一度老婆を見る。すると、先ほどまで老婆だった者は、いつのまにか壮年の男性に変わっていた。

「ガキではないでしょう」

「確かにな、あれの見た目に言及すること自体が、ナンセンスなんだろ。飯返しだ」

「あれは、一体なんなんでしょう?」

 上司が「あれは......」と話し始めた矢先、室外から悲鳴が聞こえた。

 会話を中断し、オレらは管制室の外へ出る。そこは、確かに修羅場だった。

 一人の隊員が、もう一人の隊員を背後から腕で拘束し、首に刃物を当てている。被害者の表情は、当然、恐怖に満ちている。

 問題は加害者の方だ。こちらもまた、慄然とした様子だ。「来るな!来るな......」狂気に満ち、血走った目でそう訴える加害者に、オレは声をかける。

「ドルジ。一体どうしたんだ」

 呼び掛けた瞬間に、彼は手元のハサミで被害者の首元を裂いた。ま、死ぬだろうな、イボ痔そーれ。

「漁船を見やがれ! 異星人の奴らめ! はめやがった! 知能だと!? 無駄なもの譲りやがって!! 俺らは、家畜以下だ!」

 それを遺言に、ドルジは恐怖に負けて、空挺のハッチから身を投げた。オレらが追った時には、開かれた昇降口と、艇内に置き去りのハサミがあるだけだった。

 これから、管制室の勤務体系が変わるかもしれない。勤務時間増えるの、嫌だなぁ。

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