白昼の音怪

とものけい

白昼の音怪

謎のウイルスが日本中で流行した。


感染拡大を防止するため不要不急の外出を控えるようにと政府が呼びかけている。


ゲームセンターなんてものも真っ先に休業となり、そこでバイトする俺のシフトも大幅に削られた。


具体的には今月の出勤は、0日。


その結果、バイト先から休業手当が、国から補助金が、親からは仕送りがもらえた。


数ヶ月くらいはなんとかなるのではないだろうかと、俺は楽観的に考えている。


普段からカップ麺やらレトルト食品やらを大量に買い込んでいたので外に出なくても生活はできた。


即席引き篭もりの完成だった。


個人的な意見だが、この休みはむしろ嬉しかった。


毎日の辛い労働から解放される。


これが長く続くといずれは困るということはどこかで分かっているのだが、それでも喜びを感じずにはいられなかった。


最初の一日は日ごろの疲れを取るために寝て過ごし、二日目は怠惰を貪るために寝て過ごした。


三日目の今日は寝ることも疲れたので数年前に買ったテレビゲームを引っ張り出してきて遊んだ、が直ぐに飽きた。


ベッドに大の字で仰向けになる。


やりたいこともなくなった。


いや、もともとなかったのか。


こんなことになるならやりたいことを用意しておけば良かった。


アパートのどこかで人の声がした。


工事業者だろうか。


このような事態でも工事はやるのか。


人が集まって、そこでウイルスが感染したら危ないじゃないか。


そんなに必要な工事なのか。


いや、まぁ必要だからやるんだよな。


人の声がやがて聞こえなくなった。


静かだ。


普段、休みの日は寝て過ごす。


昼間っから家にいるのはどれくらいぶりだろう。


自分の住んでいるアパートの一室がこんなにも静かなのかと初めて知った。


時計の針の音。


それすらもしない。


首を傾けて見ると、電池が切れたのだろう、時計の針は止まっていた。


いつからだろう、気がつかなかった。


この世界には自分以外の人間はいなくなってしまったんじゃないか。


そんなことを考え始めていたところで、


しと。


しと。


しと。


という、音。


水滴の音だ。


蛇口を締め忘れたのかと俺は起き上がるとユニットバスへと向かった。


が、蛇口やシャワーヘッドからは水の流れた形跡すらない。


ワンルームに戻って調理スペースのシンクを見たがこちらも渇いている。


窓を見た。


今日は外出日和とも言える快晴だ。


雨漏りはない。


音のありかを探そうと振り返ったところで、気がついた。


これは違う。


しと。


しと。


しと。


もっと近くから聞こえる。


しと。


しと。


しと。


水の垂れる音は絶えず続いている。


狭い部屋だ。


他に探す場所を失った俺は、ベッドに腰掛けた。


かち。


かち。


かち。


今度は等間隔で時を刻む音。


時計の針が再び動き出したのかと目を向けるが、針は止まったままだった。


しと。


かち。


しと。


かち。


どこかから聞こえてくる音は、やがて、


前から、


後ろから、


俺を囲むように、


少しずつ、


大きくなっている。


しと。


しと。


しと。


かち。


かち。


かち。


それは、俺の、胸の、首の、頭の、ずっと内側から漏れ出る様に、聞こえて、


ぁ、


ぁあ、あ、


あああぁぁぁああああああああああぁぁあああああああああぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ。


声が、男の声が、


水音、時計の針の音とやがては入れ替わるように大きくなる声が、辺りを埋め尽くす。


どこからだ。


どこから聞こえてくるんだ。


どくん。


どくん。


声に被さる様に脈打つ音。


どくん。


どくん。


しと。


しと。


かち。


かち。


どくん。


どくん。


それは、俺の、胸の、首の、頭の、ずっと内側から漏れ出る様に、聞こえて、


どくん。


それが俺の心臓の音だと気がついたとき、


ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ。


その男の声が、自分のものだと気がついた。

          

           

            

             

       

                  

               

               

        

               

          

     

目が覚めた。


全身汗でぐっしょり濡れていた。


窓の外からは夕暮れの陽が差し込んでいる。


カチ。


カチ。


カチ。


時計の針の音がした。


俺は音のする方を振り返る。


時計が、一定のリズムで秒針を動かしていた。


カチ。


カチ。


カチ。


時計の針は6時ちょうどを示している。


白昼に悪い夢を見ていた様だ。


ふいに静かな部屋に居心地の悪さを感じ、俺はテレビを点けた。


テレビは夕方のニュースが始まったばかりだった。


女性アナウンサーがやや興奮気味に話している。


ウイルスに効き目のある薬が確認できた事、それに伴って政府が外出自粛の措置を緩和すると決定した事が速報として報じられている様だ。


急激に戻ってくる日常に自分が追いつけていない奇妙な感覚だった。


喉が渇いた。


声も出せないくらいカラカラで、痛みすら感じるほどだった。


けれども、その痛みが唯一自分をそこに感じられる術だった。


水を飲もうと立ち上がる。


シト。


シト。


シト。


見ると、蛇口から水滴が落ち、シンクを叩いていた。


一定のリズムを刻むように。


シト。


シと。


しと。


カチ。


カち。


かち。


そして、


蛇口の栓が回る、ひとりでに。


水滴は止まり、時計の針の音も聞こえなくなり、窓から射す夕陽が肌に熱を籠める。


喉の渇きを感じた。


やがて、


ぺた。


ぺた。


ぺた。


少しずつ、近づいてくるのは、足音。


ぺた。


ぺた。


ぺた。


俺が聞くのはその足音と、もうひとつ、俺自身の心臓の音。


ドクン。


ドクん。


どくん。



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