第2話 ユメクイの使命
学校での授業が終わった放課後、明里は友達の誘いを断って校舎の屋上へと来ていた。立ち入り禁止の立て看板を避けつつ、普段は鍵が閉まっているドアを開ける。
「お待ちしてました、稲田さん」
「ゴメン、待ったか?」
「いえ、今来たばかりですよ」
フェンス越しにグラウンドを見つめていた美月が振り返り、屋上の隅に置かれたボロいベンチへと明里を誘導した。
「こういう場所で内緒話するのってワクワクしますよね」
「幸崎は優等生だと思ってたけど、案外悪いんだ」
「真面目に生きているだけでは疲れてしまいますからね」
いたずらっぽく笑みを浮かべる美月は子供のようで、明里の頬も自然に緩んだ。
「それでさ、話って?」
「そうでしたそうでした。昨日のことについてです」
思い出されるのは青白い人型の幽霊とビーストタイプと呼ばれる獣だ。人知や常識を超えた存在と明里は対峙したのだが、いまいち実感は無かった。
「結界の中でも説明しましたが、アレはナイトメアレヴナントと呼ばれる悪霊です。眠っている人間の中に入り込んで結界を発生させ、魂をその結界に閉じ込めて嬲り喰らうのです」
「なんでわざわざ結界なんて作るんだ?あんな強いんだし、普通に人間を襲いそうなもんだけど」
「奴らは実体を持っていない霊体なのです。そのままでは物理的に人間に干渉することができないうえ、陽の昇っている内は行動できないのです。夜になり睡眠中の無防備な魂を肉体から分離して、抵抗できないようにしてから取り込もうとするんですよ」
「なるほどな」
そんな非科学的な存在を昨日までの明里なら信じなかったろう。しかし、実際に体験すれば信じざるを得ない。
「ユメクイはそうしたナイトメアレヴナントを退治し、人間を守るのが役目なのです。この力は限られた少数の者にのみ発現し、どうやら稲田さんもユメクイとしての素養があるようですよ」
「アタシが?」
「はい。昨日稲田さんは私の落とした刀、霊器を使って強力なビーストを撃破しました。あんなことができるのはユメクイであるからなんです」
「ユメクイのねぇ・・・・・・」
今まで明里は何の取柄も無い一般人だと思ってきた。だがそれは間違いであったらしい。
「そこで稲田さんにお願いがあるんです」
「どんな?」
「私と一緒にナイトメアレヴナントと戦ってくれませんか?」
なんとなくそう言ってくるだろうなという予感はあった。誰かに必要とされるのは嬉しいことだが、あんな化物とまた戦わなくてはならいっていうことには躊躇いがある。
「アタシにさ、上手くできると思う?」
「できますよ。おだてて言っているのではなくて、昨日の稲田さんの活躍を見ていれば私でなくてもあなたに将来性を感じますよ」
「そうなのかな」
「あなたならきっと人々を影から苦しめるナイトメアレヴナントを打ち倒すことができると、私は確信しています」
何の変哲もないつまらない人生を変える機会だろうかと明里は真剣に悩む。誰の役にも立てずただ時間を浪費するだけの生き方ではなく、人の役に立てる新しい自分になれるのではという期待が心の中で大きなっていく。
「あのさ、とりあえず職場見学的な感じのお試し期間を経てからどうするか決めていいかな?」
「はい!これは危険を伴う事ですから、実際にユメクイの仕事を知ってから考えてみてください」
「で、なんでウチまで来るん・・・?」
「ユメクイの活動は夜ですし、特殊な方法でナイトメアレヴナントの結界内に入るんです。その方法をお教えするには外ではなくお家の中でないといけないんです。あっ、別に私のお家でもいいですよ?」
「いや、ウチでいいけどさ。どうせ誰も居ないし」
「そうなんです?」
玄関を開き、ついてきた美月を招き入れた。美月は丁寧な所作で脱いだ靴を整えており、靴を脱ぎ捨てたままの雑な明里とは正反対の性格だ。
「どうやって敵の結界に入るんだ?」
「まだ早いです。ナイトメアレヴナントが活性化するのは深夜になってからですから、それまではゆっくりしてましょう」
それからというもの、夕食をご馳走したり一緒にテレビを見たりとごく一般的な友人のように時間を過ごした。明里はこれまで美月と交流はほとんどなかったが、あの一件で共通の秘密ができたせいか自然と打ち解けることができたのだ。
そうして迎えた夜11時。美月は読んでいた本をパタンと閉じる。
「そろそろ行きましょう」
「おうよ」
「じゃあベッドに横になってください」
「え?」
なんでベッドに寝なくてはいけないのか分からないが、とりあえず指示に従う。
「お、おい」
「なんです?」
「わざわざ隣に寝ることはないだろ!?」
「このほうがやりやすいですから」
「な、何をヤルって・・・?」
美月が何故か明里の隣に寝転がる。シングルベッドに二人の人間が横たえれば狭くなるのは必然で、お互いの体が密着して明里は少しドギマギしていた。
「私の手を握って目を閉じてください」
「分かった・・・・・・」
「行きますよ。アニマシフト」
そう美月が呟くと、スッと体が軽くなるような浮遊感を感じた。
「目を開けていいですよ」
「うわっ!アタシ浮いてる!?」
「私達の魂が体から抜けたのです。幽体離脱ってやつに近いですね」
ベッドを見てみると、そこには眠っている自分の体があった。本当に魂だけが分離してしまったらしい。
「こうやって私達も霊体となることでナイトメアレヴナントに干渉できるってワケです」
「へぇ・・・ってか、その格好は何?」
よく見てみると美月の魂は昨日と同じ巫女服を纏っていた。霊体になっても人としての容姿は保っているのだが、衣服だけが異なっている。
「これは霊装束です。霊体時にはその人の魂のカタチに応じた服装に変わるんですよ」
「アタシはどんなのだ?」
部屋に置いてある鏡を見てみるが、そこには明里は映っていない。
「今は霊体ですから鏡には映りません。なので自分で見える範囲で確認するしかないんです」
仕方なく明里は自分の格好を目で確かめる。どうやらいつも着ている学生服に似ているが細かいデザインが変わっていた。胸元は大きく露出しているし、ワイシャツの丈が短いためにお腹も丸見えだ。更にはスカートも短いのでかなりキワドイ。
「これ、別の姿に変えられないのか?」
「変える方法は知らないですね」
「マジか・・・幸崎のは清楚な感じでいいけどさ、アタシのこれは・・・・・・」
「痴女って感じですね」
「ド直球だな、オイ」
美月が言うには霊装束は魂のカタチによって決まるらしい。つまり、自分の魂には淫乱の気があるのかと明里は少し落ち込んだ。
「今の私達は霊体ですから普通の人には見えません。なのであまり気にしなくても大丈夫ですよ」
「まあそれならいいケドさ」
「ではパトロールに出発です」
美月は窓をすり抜け、外へと飛び出した。それを追って明里も窓を通過する。
「不思議な感覚だ。浮いてるし、物をすり抜けることができるんだものな」
「最初は違和感があるかもですが、慣れてくると飛び回るのが楽しくなりますよ。コツは脳内で動きをイメージし、体に伝えるんです」
「む、難しいな。そういやパトロールって言ってたけど、具体的には何をするの?ナイトメアレヴナントを見つけて倒すとか?」
「結界が出現していないか見て回るんです。結界外のナイトメアレヴナントは気配が微弱なために探知するのは困難なので、基本的には発生した結界に侵入して倒すしかないんですよ。ヤツらは結界内で真の力を発揮し、大きな脅威となるのです」
つまり対応が後手になり、被害者が出てからでなければ退治することができないのだ。こればっかりはどうしようもないので、ナイトメアレヴナントが行動を起こさないことを祈るしかない。
「ナイトメアレヴナントの結界はまさに悪夢そのものです。取り込まれた人間は恐怖と苦痛にうなされ、悪霊の餌とされてしまう」
「確かに昨日のアレは悪夢を見ているようだったぜ」
「古来より結界は悪夢と同義と捉えられていて、実際に結界から助け出された人は悪夢を見たと錯覚します。ユメクイという名称も私達がまるで悪夢を祓っているようであるから付けられたものなのですよ」
睡眠中に悪霊に襲われるなんて非現実的な体験をすれば悪夢を見たと錯覚しても仕方ない。ユメクイの素質がある者はそれが結界内で起きた現実の事だと理解できるが、一般人はそうは思わないのだ。
「と言っているそばから結界の気配です。こっちです!」
「ま、待ってくれ」
普段は地に足をつけて歩いているわけで、こうして飛行することに慣れていない。美月はまるで飛行機のように真っすぐ飛んでいくが、明里は風に煽られたヘリコプターのように不安定な動きだ。
「この家から気配を感じます」
「変な頭痛がする。これが結界を探知しているってことなのか」
住宅街の一角、平凡な平屋の中へと侵入し、就寝している老齢の女性へと近づく。どうやらこの女性の中に結界があるらしい。
「稲田さん、覚悟はいいですか?この先はナイトメアレヴナントが待ち受けている危険な場所です」
「ああ。いつでもいいぜ」
「では」
再び明里の手を握り、美月は女性の胸の中へと手を突っ込んだ。すると二人はその胸の中へと吸収されていく。
「この風景・・・・・・」
先日明里が閉じ込められた時と同じように、廃村に似た光景が広がる。無機質で薄暗く、不気味な空間でしかない。
「結界内ではこうして半分実体化された状態となります。なので足を地につけることができますし、逆に飛行することはできません」
「このほうがやりやすいな」
「ではまずは霊器を装備してください」
「ユメクイ用の武器だよな?でもどうやって?」
明里の疑問に答えるように美月は手を高く伸ばし、空中に魔法陣を展開した。そして魔法陣からスッと刀が出現してグリップを握る。
「こんな感じにやるんですよ」
「いや、分からんが」
「イメージするんです。私のような魔法陣を頭でイメージしてみてください」
「おう」
美月と同じように手を掲げ、魔法陣を脳内で描く。すると掌の先にパッと光が収束し、見事魔法陣を展開することができた。
「なんだろ。武器のカタチが伝わってくる。すぐそこにあると分かる」
「霊装束と同じでそれぞれに霊器が与えられるのです。さぁ取り出してみてください」
明里が武器に対し、こちらに来い、と念じる。
「これが・・・・・・」
輝く魔法陣から出現したのは片刃の大剣だった。漆黒の刀身は美月の白銀の刀と対になっているように見える。
「これが稲田さんの霊器なのですね。大きな刃でビーストさえも両断できそうです」
「でも結構重たいぜ」
「重量級の霊器は攻撃力が高い分、取り回しづらく機動力が低いです。なので立ち回りが重要なんです」
「素人用の武器じゃないよな・・・・・・」
こればっかりは実戦で慣れるしかないだろう。
「この感じは・・・?」
「敵もこちらに気がついたようです。来ます!」
美月が霊器を向けた先にはナイトメアレヴナント十数体が蠢いていた。青白く奇妙な顔をしたタイプで、明里を襲ったものと同型だ。
「イービルゴーストですね」
「どういうんだ、それは」
「ナイトメアレヴナントの一種で、戦闘力は低いタイプです。結界でよく見かけるヤツらなんですよ」
「主力量産型みたいなモンか。まあ手慣らしには丁度いい相手だぜ」
「油断はしないでくださいね。個々は弱いですが、囲まれると厄介です。まずは私が攻撃しますから、よく見ていてください」
そう言って駆け出した美月の背中を目で追う。
「いきます!」
美月の刀が一閃し、二体のイービルゴーストの胴体を切り裂いた。真っ二つになった二体は断末魔の奇声を発しながら崩れて消滅し、残りのイービルゴーストは散開して美月を包囲する。
「こんな感じでやってみてください」
「幸崎みたいに上手くやれるか分からんが、とにかく実践あるのみだな!」
明里もイービルゴーストのもとへ駆け寄り、大剣を振るう。
「そりゃあああ!!」
あまりに大振りで対人戦だったら簡単に避けられてしまいそうな攻撃であるが、イービルゴーストはその一撃を腕で受け止めようとし、重い斬撃を防ぎきることができずに腕ごと頭を切断されて消滅した。
「やったぜ」
戦果を挙げることができて明里は強気になる。戦いでは弱気になってしまったら勝てる戦いも勝てなくなるので強気な心持ちでいることは大切なのだが、時に慢心にも繋がるので冷静な理性も保っておかなければならない。
「まだ敵はいますから、気を抜かないでください」
「おうよ!」
大剣をかまえて美月と背中合わせに敵に対峙する。
こうして悪霊達との戦いの幕があがった。
-続く-
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