第35話 時計塔の奇跡
(くっ……これは想像以上に……魔力を使うね……)
ヒルネは両手を鉄塊に向けて聖魔法を行使する。
鉄塊の周囲には何十個もの魔法陣が重なり、シャラシャラと軽い金属のこすれ合う音を響かせて八方から星屑が流れ込んでいく。周囲は昼のような明るさだ。
「ヒルネさま……大丈夫ですか……!」
背後にいるジャンヌが目を細めながら心配した声を上げた。
「……モーマンタイです」
「よくわかりませんよ、ヒルネさまっ……」
二人がやりとりしている間も、星屑が我先にと鉄塊へ飛び込んでいき、いつしか鉄塊の周りには星屑の集合体で作られたミニヒルネが現れ、現場を監督し始めた。
(勝手に分身が出ちゃったけど助かる!)
ミニヒルネが細かい操作を受け持って、星屑を誘導する。
(それにしても……鐘の音色に浄化効果を付与したのは……ちょっとやりすぎだったかも……)
いつもは余裕のある状態で魔法を使っていたが、せっかくならと張り切ったのがいけなかった。莫大な魔力と、途方もない魔力操作を必要とする聖魔法になってしまっている。
付与した効果は、
自動鳴鐘(朝昼晩の三回、自動で鐘が鳴る)、
音色浄化(音の鳴る範囲にいる瘴気を浄化する)、
成長促進(農業に効果あり)、
造形維持(鐘の形が変わらない。劣化しない。錆びない)、
という四つである。
どれも破格の効果があり、特に音色による浄化効果は、聖女が百人集まっても付与できない、最高峰の聖魔法であった。
多種多様な聖魔法用の聖句をイメージ力でアレンジしているところもヒルネの特徴であり、もと日本人であったヒルネにしかできない想像力が存分に働いていた。例え他の大聖女であっても、これほどの効果を付与するのは厳しいだろう。
(どんどん星屑が吸収されていく。もっと気合いを入れないと……)
鉄塊の上では星屑がザアァァと音を立てながら、渦を巻いている。
「……ジャンヌ」
「な、なんでしょう?」
いつものヒルネらしからぬ真剣な声色に、ジャンヌが顔を突き出した。
「何か、やる気の出ることを言ってくれませんか……、このままでは……失敗しそうです……!」
「やる気ですね。わかりました! ヒルネさまの専属メイドとして頑張ります」
ヒルネに頼られてやる気を見せるジャンヌ。
ふんと両手の拳を胸の前で握り、数秒考えてから口を開いた。
「私のお小遣いで新しいおふとんを買いましょう!」
魅惑の言葉であった。
ヒルネは一瞬、ここが製鉄所であることも忘れて両目を見開き、ジャンヌの瞳を見つめた。
「ほ、本当ですか? いえ、いえ、いけませんよジャンヌ。大切なお金を私のおふとんに使うなんて」
「実はですね、寝具店ヴァルハラのトーマスさんにもう注文してあるんです」
「……それは本当ですか?」
「いつも一緒に寝ていますから……私のおふとんでもあるんですよ?」
えへへ、と照れ笑いをしてジャンヌがはにかんだ。
ホントは黙っているつもりだったんですけどね、と嬉しそうにつぶやいている。
(なんて……なんていい子なの?! 私の可愛いメイドさん!)
ヒルネは笑みを浮かべてうなずき、「おふとん、おふとん、おふとぉん」と掛け声つきでぴょんぴょん跳んだ。
胸の奥底から喜びがあふれ、それに呼応するかのように魔法陣から星屑が飛び出していく。
鉄塊の周囲で現場監督をしているミニヒルネも心なしか気合いが入ったようで、指笛を鳴らすポーズを取って螺旋を描いている星屑をコントロールする。
「本気を出しますよ! 見ていてください!」
ヒルネは喜びの気持ちそのままに、魔力をさらに注入する。
カッと閃光が瞬いたかと思うと鉄塊がふわりと浮き始め、その上部に巨大な魔法陣が出現した。
「鉄が浮いたぞ!」「こりゃあすげえ!」「おお、女神ソフィアさま……大聖女ヒルネさま……」
見守っている面々から感嘆の声が漏れる。
魔法陣に包まれた鉄塊は夜空へ上がり、幾筋もの流星が流れるようにして聖魔法の残滓が街へ落ちていく。鉄塊の周りでは星屑が舞い、躍り、新しい鐘の誕生を喜んでいるのか、煌めきが止まらない。
現場監督をしていたミニヒルネはもう手に負えないとあきらめたのか、近場にあった星屑をかきあつめてベッドを作り、ぐうぐうと鼻提灯を作って寝始めた。
「ヒルネさま……目が虹色に……」
ジャンヌが驚きの声を上げた。
ヒルネの大きな瞳が透き通るような七色に変化し、魔力によって絶え間なく色彩が変化している。
「ジャンヌ、もう少しで完成ですよ……ほら……見て!」
ヒルネが言った瞬間、周囲が真っ白になる閃光が走った。
〇
その頃、時計塔跡地である中央女神広場で作業をしていたホリーとジジトリアは街の北側に閃光が見え、空へと顔を向けた。
ホリーはノートを持ち、ジジトリアは持参した時計塔の聖典を見ていたところであった。
二人の他にも建築士、彫刻家、木工技師、時計職などといった職人が集まっている。
広場にいるすべての人々が空を見上げていた。
「ジジトリアさま、聖魔法の反応が……」
「なんということだ……星が……天へ集まっていく……」
「こっちに星屑が飛んできます!」
ホリーがノートを閉じて空を指差した。
キラキラと星屑が輝き、軽快に風を切る音を立てて時計塔へ向かってくる。
「これ……ヒルネの聖魔法?」
ホリーは莫大な魔力の本流を感じ、きらめく星屑に目を奪われる。
「そのようですな。ヒルネさまは製鉄所で一体何を……」
やがて星屑が瓦礫の山と化している時計塔に集結し、巨大な球体になって、ふよふよと形を変え始める。何か別のものへと変わりたいのか、もがいているようにも見え、少しずつ球体が縦長へと変化していく。
「これは何の魔法でしょうか……?」
「幾千もの聖魔法を見てきましたが……私にもわかりかねます」
ホリーは未知なる魔法に心細くなり、ジジトリアのローブの裾をつかんだ。
ジジトリアはこの光景を見逃してはならぬと直立している。
職人たちもいきなり起こった現象に目を向け、固唾を飲んだ。
絶え間なく星屑は降り注ぎ、小さな破裂音を響かせて瓦礫だらけの広場に落ちていく。
縦長に変形した星屑の集合体は数十秒ほどかけて、人間のような形へと変化した。
「ああ……これはなんという……」
ジジトリアが感極まって何度も聖印を切った。
集合体は大聖女の礼装に身を包んだ、髪の長い女性へと姿を変えた。
聖杖を持ち、ゆらゆらと髪を揺らし、星屑が集まってできているため顔の細部まではわからないが、表情は慈愛に満ちた微笑みを浮かべているように見えた。
ホリーは五月雨のように星屑が降る空を見上げ、得も知れぬ興奮を覚えた。
「このお方はどなたなのでしょう……ジジトリアさま……?」
「大聖女……マルティーヌさまでございます」
ジジトリアは何度も何度も聖印を切って、涙を流した。
年配の職人は大聖女マルティーヌを見たことがあるのか「マルティーヌさまだ……」「大聖女さまがご降臨なされた」などつぶやきを漏らしていた。
皆の声を横目に、ジジトリアが唇を震わせた。
「私は幼い頃、大聖女マルティーヌをお見かけして聖職者を志しました。天に召されたマルティーヌさまを、また、このような形で……拝見できるとは……ああ、奇跡でございます……」
「大聖女マルティーヌさま……」
ホリーはつかんでいたジジトリアのローブの裾を離し、銀色に輝く大聖女マルティーヌへ聖印を切った。
すると、大聖女マルティーヌがキラキラと輝きながら笑みをこぼし、ふわりとホリーのもとへと降りてきた。
煌めきと神々しさにホリーは動けず、大聖女マルティーヌに見入ってしまった。
瞳はないのだが、確かに目が合っているように感じて胸が熱くなってくる。
「大聖女マルティーヌさま……? 私はメフィスト星教南方支部の聖女、ホリーと申します」
ホリーがそうつぶやくと、手に持っていたノートがひとりでに浮いた。
「あ……」
ノートが宙で勢いよくめくられていく。
大聖女マルティーヌは中身を見たのか人間らしくうんうんと何度かうなずき、ノートを手に取ってホリーへと返した。
「あの……ありがとうございます……」
小さな手でホリーが受け取ると、大聖女マルティーヌがぱちりとウインクをした。
「――ッ」
どきりと心臓が跳ねると同時に、降り注いでいた星屑がぴたりと動きを止め、広場の瓦礫の山へと吸い込まれていく。
「時計塔が――」
瓦礫の山になっていた石材や木材が光り輝いたかと思うと、ホリーの考案した時計塔の姿へとみるみるうちに変化していった。
ものの数十秒で広場の瓦礫は完全に除去され、レンガで舗装された遊歩道ができ、可愛らしいゴシック調の時計塔がそびえ立っていた。最上階に登れば街を一望できる高さだ。
「私の、考えていた……塔が……一瞬で……」
ホリーは首を上へと動かした。
美しい曲線を描きながら伸びている時計塔には赤い円錐状の屋根が乗っており、時計をはめ込む大きな丸いくぼみがある。柱にもくぼみがいくつもあり、ここへ彫刻をしてくださいと大聖女マルティーヌが言っているように見えた。
職人たちは何の声も出せずに、目の前で起きた奇跡に口を開けている。
「……」
感動して震えているホリーを見て、星屑姿の大聖女マルティーヌはにこりと笑い、ホリーの頭とジジトリアの頭をゆっくりと撫でた。
そして、光の曲線を描きながら空へと昇っていき、掻き消えた。
いつしか星屑は止んでおり、粉雪のように残滓が広場へとゆっくり落ちていく。
銀色の煌めきが地面に吸い込まれると、遊歩道の脇に見える地面からぼこぼこと音を立ててユキユリが生え始め、広場は真っ白の花に包まれた。
「わあっ……すごい綺麗!」
ホリーはジジトリアがいることも忘れて飛び上がり、両手を広げてくるくると回った。
「大聖女マルティーヌさまを……きっと、ヒルネさまが呼んでくださったのですね……」
ジジトリアは涙を拭くことも忘れてその光景に見入っている。
彼の声が耳に入ったホリーはぴたりと動きを止め、はしゃいでいた自分を恥ずかしく思ってこほんと咳払いをし、聖女服のスカートを正した。
「ヒルネの聖魔法は想像をはるかに越えますね、ジジトリアさま」
「真に……真にそうでございますな……」
「綺麗な時計塔――素敵――」
ホリーはノートをぎゅっと抱きしめ、自分が考案した時計塔を見上げて笑みをこぼした。
時計塔の赤い屋根とユキユリの花たちが、いつか見た夢物語の一ページに見えた。
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