第32話 時計塔にて
ヒルネはイクセンダールの中心部にある中央女神広場に到着した。
かつて街の主要な施設があったこの場所は、倒壊した時計塔で見るも無残な姿になっている。
(瘴気と魔物の攻撃が激しかったみたいだね……)
時計塔は枝が折れるように中ほどから倒れており、下部も爆発があったように穴だらけだ。塔があったと聞かされていなかったら、ただの瓦礫の山だと思える悲惨な状況だった。
「お待ちしておりました、ヒルネさま」
かつて時計塔があった場所で、大司教ジジトリアが待っていた。
ゼキュートスも一目置く、南方の父と呼ばれる聖職者だ。つるりとした額に星型のあざが特徴的だ。
彼は柔和な笑みを見せ、聖印を切った。
ヒルネ、ホリーも聖印を切り、近づいた。
「ジジさま。お久しぶりです」
「そうですね、ヒルネ。このところ出張続きでお会いできませんでしたね」
「はい。お会いしたかったです」
ヒルネは自分の祖父のようにジジトリアを慕っている。
(おじいちゃんの空気だよ。優しくてあったかいねぇ)
笑顔を向けてくるヒルネに、ジジトリアも嬉しいのか笑みを浮かべた。
「ヒルネさま、時計塔のお話は誰からお聞きになったのですか?」
「ディエゴ村の村長さまにお聞きいたしました。昔はここに、大聖女マルティーヌさまがお造りになられた時計塔があったんですよね?」
「そうですね……」
ジジトリアは昔を思い出したのか、背後の崩れた瓦礫を見て、視線を空へと向けた。
「大きくて、美しい時計塔でした……私が小さかった頃は鐘の音が街中に響いたものです」
「そうですか」
ジジトリアが見ている空を、ヒルネも見上げた。
(きっと綺麗な時計塔だったんだろうなぁ……)
「残念なことに瘴気を防ぐのが精一杯の状態でして、今まで放置されておりました」
生きることに必死であったイクセンダールに時計塔を修繕する余力はなかった。
ヒルネが赴任してからは徐々に経済状況は改善されている。
「あの、折り入ってご相談があるのですが……私、新しく時計塔を建てたいと思っているんです。何か私にできることはないでしょうか?」
ヒルネが大きな瞳を向けると、ジジトリアは口の端を真横へ引き、何度もうなずいた。
「実のところ、そうではないかと期待しておりました。期待など聖職者として恥ずかしいことですが……大聖女マルティーヌさまもきっとお喜びになるかと思います……」
ジジトリアが何度も聖印を切り、聖句を空に向かってつぶやいた。
他の聖職者たちも同じように聖印を切る。
「ヒルネさま……ぜひとも時計塔の鐘を作っていただけませんでしょうか?」
「鐘ですか?」
「いかにも。大聖女マルティーヌさまは鐘を作られました。私たちメフィスト星教は街の職人たちとともに、鐘を設置するべく時計塔を建てたのです」
「わかりました。鐘は作るつもりだったので、あてがあります」
ヒルネはモルグール製鉄所を思い浮かべ、一呼吸おいてジャンヌへ視線を移した。
「ちなみにですが、専属メイドのジャンヌからも一言ございます」
時計塔の話を村長から聞き、ジャンヌがジジトリアに話があると言っていたのだ。彼女が自分から発言したがるのはめずらしいことだった。
ジャンヌは一歩前で出ると、恭しく一礼した。
「時計塔を建て直すお話を石職人の方々にしたところ、最低限の賃金で請け負っていただけるとのことでございます。他にも建築士、彫刻家、木工技師、時計職人の方から、ぜひともお手伝いをしたいとの要請をいただきました」
ぺこりと一礼し、ジャンヌが一歩下がった。
「ジャンヌ、先回りして聞いてくれていたのですか?」
「はい。こうなると思い、ワンダさまにお願いをしておりました」
にこりと笑い、ジャンヌがうなずいた。
少しでもヒルネに貢献したというジャンヌの想いから出た行動だった。
経済学をワンダから仕込まれていることもあり、ジャンヌは十歳にしてビジネス感覚を身につけ始めていた。何でもこなせる最強のメイドになる日はそう遠くない未来である。
「どうですか皆さん。うちのメイドはすごいでしょう」
胸を張って自慢し始めるヒルネ。
「恐れ入ったわ」
ホリーも感嘆してうなずいている。
「や、やめてください。ヒルネさま付きのメイドとして当然のことをしたまでですよ!」
褒められ慣れていないジャンヌがうろたえる。わたわたと両手を動かすとポニーテールが不規則に揺れた。
(恥ずかしがるジャンヌ……やはり可愛い)
ジジトリアは驚き、そのあとに笑顔を作った。
「イクセンダールの市民は大いに喜ぶでしょう。市民総出で手助けしてくれるはずです」
「それはありがたいですね! では早速、私は安眠……こほん……安らぎを得られる素晴らしい鐘を作ってこようと思います。善は急げです」
ヒルネはモルグール製鉄所へと足を向けようとし、動きを止めた。
「あ、時計塔のほうはジジさまにお願いしてもよろしいですか?」
「もちろんでございます。時計塔が復活すると思うと……感無量です」
「できれば、白くて可愛い感じの塔にしてほしいです。家族とか、恋人たちが待ち合わせ場所にするような」
ヒルネはかつてブラック企業に勤めていた頃、最寄り駅の広場を他人事のように眺めていた。
その広場には花壇と銅像のモニュメントがあり、人々の待ち合わせ場所になっていた。
幸せな人たちを横目に、自分は睡眠二時間で出社していた苦い記憶がよみがえる。
ともあれ、せっかく新造するなら可愛くてオシャレな建物にしたかった。
「それは大変素晴らしいお考えでございます」
ジジトリアが満面の笑みを浮かべた。
「塔の設計はそうですね……ホリーが詳しいと思うので、ホリーに総監督をお願いしたいです」
急に話を振られたホリーがえっと口を開いた。
「待って待って、そんなことを急に言われても……」
「ホリーが誰よりも本を読んで勉強していることは知っています。それに、ホリーは結構可愛い物が好きですよね? 知ってますよ、私、ホリーの部屋にお人形さんが並べてあって――」
「そうね! 私こそ次期大聖女だからねっ。勉強はしっかりしているわ!」
慌てたホリーが大きな声で胸に手を当てた。
「時計塔も色々と見てきているわ!」
「そうでしょうそうでしょう。ではホリー、お願いしますね」
(就寝前まで伝記とか聖句の勉強してるもんね。挿絵つきの童話なんかもよく読んでるし……きっといい出来栄えになるよ)
「……ッ」
つい流れで了承してしまったホリーは言葉に詰まり、何度が髪をかき上げてため息をついた。
「できる範囲でやらせていただきますわ」
ホリーはジジトリアへ丁寧に一礼する。
「聖女ホリーさま発案の設計ですか。それは皆も喜ぶでしょう」
ヒルネとホリーのコンビは街で大人気だ。
最近の酒場で吟遊詩人が頼まれる一番人気の曲は、大聖女ヒルネと聖女ホリーが力を合わせて王都を救う歌である。また、ホリーのトレードマークである水色髪のツインテールは少女たちの間で大人気の髪型だ。
ホリーは真面目な性格なので、一度やると決めると行動が早かった。
ジジトリアに以前の時計塔のデザインを聞き始める。
「ではジャンヌ、モルグール製鉄所へ行きましょう……ふああっ……あら、眠気が……」
「はい、まいりましょう!」
ヒルネはあふあふとあくびをしつつ、ジャンヌを連れてモルグール製鉄所へと向かった。
馬車ではなく歩きだ。
今日はのんびり街を見て回りたい気分だった。
「途中で寝具店ヴァルハラに寄らないようにね~!」
背後からホリーの声が聞こえる。
(バレていましたか……!)
ごまかすため引き締まった顔つきを作り、振り返ってホリーを見る。
だが眠気は止まらず凛々しい顔は二秒で消えた。
「ふあああぁああぁぁぁっ……あっふ……大丈夫です。寄り道しませんよ……ふあっ」
「そんな大きなあくびをしてぇ! 背筋を伸ばしてしゃんとなさい!」
面倒見のいいホリーから指示が飛ぶ。
「ジャンヌ、ヒルネが寝て起きなくなったら教えてね。私が聖魔法で運ぶから」
「わかりました~!」
ジャンヌが笑顔を浮かべて隣で了承した。
「私は赤ちゃんじゃありませんよ……ふあああぁあっっ、まったく……ふあっふ」
「ヒルネさま、全然説得力がありませんよ」
「むう……眠気には勝てませんね」
ジャンヌはくすくすと笑い、ホリーに手を振った。
ヒルネも左手で口を押さえながら右手を振る。中央女神広場を出て、風砂の大通りへと足を出した。
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