第31話 辺境都市の最重要店舗
イクセンダール周辺の村々を回ったヒルネは早速街の中心部へと向かっていた。
馬車で行きなさいというワンダの言いつけを押し切り、徒歩である。これには訳があった。
(途中で寄らねばならない場所があります)
純白の大聖女服に身を包み、ジャンヌ、ホリーと大通りを歩く。
メフィスト星教の聖職者たちが後に続いている。
ヒルネ着任前まで街には暗いムードが漂っていたが、今は巨大結界のおかげで活気が戻りつつあった。人々は商売に精を出し、子どもたちの遊んでいる姿も見える。
「ヒルネさま!」「ああ……なんて神々しい」「息子が街に帰ってきたんです! ありがとうございます!」「お近くでお姿を目にできるとは……」
市民はヒルネを見ると聖印を切り、笑顔を向けてくれた。
ヒルネは律儀に聖印を返して歩く。
(私の力は女神さまにいただいたものだからね……調子に乗らないようにしないと……)
そんな思いがあるため、どうだ、偉いだろうなどと、自身の力を誇る気になどなれなかった。
むしろこの世界に転生できた幸運をありがたく思っている。
前世では仕事に追われて心休まることはなかったが、今では驚くほど穏やかな気持ちでいることができた。何かに焦る必要もないし、深夜に鳴るスマホも、クレームを言う取引先も、仕事を丸投げしてくる上司もいない。
(初めて見た街は暗い雰囲気だったけど、今じゃ愛着が湧いてきたよ)
鉄板で補強された街並みには色気もオシャレさも皆無であったが、イクセンダールに赴任してこの光景も見慣れてきた。あの鉄がモルグール製鉄所で作られたものだと想像すると胸を張りたい気分になる。
ズグリ親方や職人たちが街のため、一生懸命に作った鉄を使っているのだ。
(鉄だけじゃない……家も、地面の石畳も、お店の商品も、全部みんなが作ったものだ)
そう思うと、街にあるすべてのものが愛しく見えてくるから不思議であった。
「イクセンダールは素晴らしい街です。人が助け合ってここまで続いてきたのですから」
思わずそんなことをつぶやくと、隣にいたホリーが大きな瞳をぱちくりとさせた。
「急にどうしたの?」
「なんとなく思っただけですよ」
ヒルネは水色髪の可愛らしい聖女に笑顔を向けた。
星海のような瞳を優しく細めているヒルネを見てホリーは少し顔を赤くし、ごまかすように顔をそむけた。
「ふぅん……ま、皆さん優しいから過ごしやすいわよね。南方の人って明るいし。それより、どこに行くつもりなの?」
ホリーが手を振っている子どもに笑顔を返し、流れるように聖印を切りながら聞いた。
「ええ、少し心配なことがあるのです。これは大変に重大なことですよ」
ヒルネが普段見せない、まるでスナイパーに命を狙われているかのような目をし、周囲を見回した。
「あなたらしくない真剣さね……」
ホリーが市民に笑顔を向けつつ、ちょっと身を固くした。
しばらく“風砂の大通り”と名付けられた道を歩くと、ヒルネが嬉しそうな声を上げた。
「もうそろそろです」
「まだ中央女神広場には着いてないけど?」
「ホリー、違いますよ」
首を振るヒルネ。
それを見て後ろにいたジャンヌは薄々察していたのか「またですか……」とやや呆れ気味のつぶやきを漏らした。
一行が向かった先は大通りに面した寝具店ヴァルハラ南方支部であった。
ホリーが「あなたねえ……」と額を右手で押さえた。
ヒルネは限定グッズを自慢するかのように両手を広げ、どこぞの偉い学者のように「うむ」とうなずいた。
「例のブツが入荷したとの一報をいただいたので、試し寝をしようと思いまして――」
「試し寝って何よ?! 緊張した私が間違いだったわ!」
ホリーが寝具店ヴァルハラを見てため息を漏らした。
ついてきた聖職者の面々は「居眠り大聖女……噂は本当だったんですね」となぜか嬉しそうにしている。
寝具店ヴァルハラは王都からヒルネに同行してきたナイスミドルな店長トーマスが運営している。
新作であるハンモックと、ピヨリィの羽毛布団の手配に忙しいのか、店にはひっきりなしに人が出入りしていた。空き店舗を買い取ったばかりということもあり、急ごしらえの看板が目についた。
「大丈夫です。すぐに終わりますから」
ヒルネはうきうきした気分で店に入ろうと足を出した。
「待ちなさい」
だがホリーにがしりと肩をつかまれ、後ろに倒れそうになった。
「おっとと。どうしたのです、ホリー?」
「壊れた時計塔を見に行くのよね? 素敵な話だからみんなでついてきたのだけれど? んん?」
「ホリーが日に日に怖くなっていきます。ジャンヌ、助けて」
いい加減ヒルネに振り回されっぱなしなので、ホリーも容赦がない。
ジャンヌは苦笑いをしてヒルネに一礼した。
「試し寝をなさると三十分は起きないので、どうか今日は自重してください」
「ジャンヌまで敵に回るとは……これはいけません」
賛成一、反対二で試し寝は否決である。
ヒルネは致し方なしと店に寄るのはあきらめ、代わりに店へ手をかざした。
(入れないとなれば、いつもの加護を付与しておきましょう。時間がないから聖句省略で……まずは浄化――疲労軽減――安眠付与――幸運アップ――腐敗防止――防虫――貫通防御――耐震――耐熱――)
ビカビカに魔法陣を光らせ、これでもかと寝具店ヴァルハラに聖魔法を使うヒルネ。
あまりの早業にホリー、ジャンヌ、お付きの聖職者は目を点にした。
星屑が金と銀にきらめいてヴァルハラへと吸い込まれていく。
店内まで星屑の光がいかないのか、店の人々は気づいていない。
遠巻きに大聖女を見ていた人々からは「わっ」と歓声が上がった。
「ふう……これでいいでしょう」
「ちょっとちょっと、あなた今何をしたの?」
肩をつかんでいたホリーは手を離して顔を寄せ、小声でヒルネに聞いた。
「寝具店ヴァルハラに聖魔法をかけました」
「一つじゃないわよね? ものすごく高度な技術を使っていた気がするけど……」
ホリーが腕を組んで寝具店ヴァルハラを見る。
それこそ聖女十人がかりで使うような、ありえないレベルの聖魔法が付与されているように見える。
「そうですね、まずは浄化をかけて、あとはお店の方が疲れないように疲労軽減、安眠付与。追加で不慮の事故で怪我をしたらいけませんので幸運になる聖魔法を――これは気休めのレベルですけどね。あとはお店も心配です。腐敗防止、防虫、耐水、耐震、耐熱などの加護をかけました」
事もなげ言うヒルネ。
ホリーは「あなたそれ王宮よりも手厚い保護よ……」と呆れ、ジャンヌは「ヒルネさまは心配性ですねえ」と呆れ半分、優しさ半分でくすくすと笑っている。
「寝具店ヴァルハラはイクセンダールの復興にかかせない重要店舗です。ここをしっかり保護せず、どこを保護するというのですか」
「過保護が過ぎるわよ!」
ホリーが思わず大声で言い、こほんと咳払いをして気持ちを落ち着けた。
「でもまあヒルネがしたいならいいんじゃない? 別に、聖魔法を寝具店に使っちゃいけないって教義はないし」
「さすがはホリー、わかってますね」
「ただ、過剰よ。大聖女らしく行動してよね」
ホリーがそう言ったところで、イケオジの店主トーマスがヒルネ御一行に気づいて店から出てきた。
「大聖女ヒルネさま、聖女ホリーさま。ようこそお越しくださいました」
白い歯を見せて笑うトーマス。身体の調子がすこぶるよさそうだ。王都にいたときよりも若く見えるのは気のせいではない。疲労軽減と安眠のおかげであろうか。
(加護の効果が出ているね。よしよし)
ヒルネはトーマスと五分ほど会話をして、「例のブツは――」「また来ます」と約束を交わして満足し、壊れた時計塔のある広場へと足を向けた。
「あなたより自由な大聖女はいないわよ」
ホリーのため息交じりの言葉はヒルネには聞こえなかった。
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