第30話 時計塔の話


 製鉄所の黒煙が出なくなって三日が経過した。


 大聖女ヒルネがお忍びで街を救っているという噂で街は持ち切りだ。

 酒場に行けば「大聖女さまが――」という会話の出だしを何度も耳にする。

 舞台となった製鉄所モルグールも注目の的であった。


 ちなみに、噴水が聖水になったという情報はズグリ親方が話していないため、噂になるのはもう少し先のお話である。


 ズグリ親方なりの義であろう。


 大聖女ヒルネが名前を変えて出歩いているのだ。自分が言いふらしてどうするという心持ちのようだ。


 さて、そんな噂の中心人物であるヒルネは現在イクセンダール郊外の村へと来ていた。


 瘴気と魔物の被害をどうにか抑え、村としての機能を失っていない場所である。


 ヒルネは空を見上げ、農作業に精を出す村人たちへと手を振った。

 純白の大聖女服に身を包んだヒルネの長い金髪が風でひるがえる。


「それでは、自警団の皆さまが瘴気から村を守っているんですね」


 横を歩いている村長へと視線を向けた。


(ザ・村長という見た目のおじさんだね。地味だけど優しそうな方だ)


 彼はへへえ、と頭を下げて聖印を切った。


「そうでございます。聖女さまと連携をさせていただいて、村を守ってまいりました。村が瘴気に汚染されてしまうとイクセンダールの食料がなくなってしまいます」

「辺境都市の台所、というわけですね」


 広大な農地を見てさもありなんとうなずくヒルネ。

 風が吹くと実をつけ始めた小麦が一斉に揺れ、波紋のように色を変えた。


「本日は大聖女ヒルネさまにお越しいただき、村の者たちも喜んでおります。イクセンダールからも兵士さまを送っていただいておりまして……それもこれもすべてヒルネさまのおかげ……感謝の念にたえません」

「私はこれといって特別なことはしておりませんよ」


 ヒルネはにこりと笑った。


(大神殿の女神像に予約を入れて、製鉄所の噴水に聖魔法を付与しただけだし……)


 ヒルネの言葉を謙遜と取った村長は大聖女の奥ゆかしさ、謙虚さに感動して嗚咽を漏らした。


 ついには号泣し始め、ヒルネは驚き、後ろを歩いているジャンヌはおろおろと村長を心配した。


「すみません……ヒルネさまを見ていると、私は物語の中にいるような……少年のような気持ちになってしまうもんで……」

「そうですか。ええっと、それでは、村に残っている言い伝えのようなものはございますか?」


 話を変えようと、ヒルネは質問をしてみた。

 村長はハンカチをポケットから出し、ずびぃと鼻をかんで、うなずいた。


「言い伝えではないのですが、前に辺境都市にいらっしゃった大聖女マルティーヌさまが、時計塔をお作りになりました」

「時計塔ですか?」


(ふむ……聞いたことないね)


 実のところ時計塔の話題は教会内で上がっていたのだが、ヒルネは眠気で意識を飛ばしていたので聞いていないだけである。


「時計塔には大きな鐘がございまして……美しい音色はこの村まで届きました。私が若い頃は、昼と夜に鳴る鐘の音とともに生活をしておりました」

「美しい音色……。村まで届くとは、大きな鐘なのですね?」

「それはもう大きな鐘です。大聖女マルティーヌさまが聖魔法を込めてお作りになったと聞き及んでございます」


 村長は両手を何回も広げて鐘の大きさをアピールした。


 さらに村長は興が乗ってきたのか口を大きく開いた。


「鐘の音を聞くとですね、不思議と安らぎを得られるんですよ。昔、“女房とケンカするなら鐘の鳴る直前にしろ”と言ったぐらいで――音色を聞くと、怒ってる女房も静かになったもんです」

「なるほど……ということは、安眠効果も得られるのですね……?」


 ヒルネは目を細くして村長を見つめる。


 後ろを静かに歩いているジャンヌが、これはヒルネさまが勝手に行動する予兆……とわずかに背筋を伸ばした。聞き逃すまいと耳に神経を向ける。


(重大な昔話を聞いた気がする)


 ヒルネに見つめられ、村長が若干うろたえた。


「もちろんあったように思います。ただ、なにぶん昔のことなので不確かかもしれませんです」

「いえ、いえ、有益な情報をありがとうございました」

「そうでしょうか?」

「ちなみにですが、時計塔はイクセンダールのどのあたりに建っていたのでしょう?」

「街の中央部分だった気がします。目立つ建物だったので、真っ先に魔物によって破壊されてしまったと兵士さまから聞きました」

「なるほど……」


(これは一刻を争うことですね。鐘の音色で安眠できるとは……。しかもお説教中にワンダさんに聞いてもらえば、怒りも収まるかもしれません。決まりですね)


 ヒルネは前任の大聖女マルティーヌが作ったという時計塔と鐘を直すと決めた。


「ふあああっ……あっふ」


 いざやることができるとそわそわしてきてしまうが、あくびも止まらない。お昼すぎの村はのんびりとした空気が流れていて眠気がやってくる。


「ヒルネさま、次の村へ参りましょう」


 ジャンヌが予定を確認し、馬車へ戻るようにヒルネへ言う。

 今日はイクセンダール周辺の村々へ周り、農作物を浄化する仕事内容であった。


(時計塔……鐘……安眠の音色……)


 安眠できる鐘が気になり、ヒルネはその後の予定に身が入らなかった。







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