第20話 果樹園


 ホリーが担当している主な仕事は果樹園の浄化だった。


 村は聖女の力で守られているが、果樹園は瘴気のせいで九割が栽培不能になっているらしい。


(収穫量がマイナス九割か……そりゃあ果実が都市にも届かないわけだ)


 そんなことを考えながら、ヒルネは村に入った。


「大聖女さま……村に来てくださってありがとうございます」「大聖女さま……」


 村人が挨拶し、ヒルネとホリーを見て聖印を切る。


 大聖女の来訪はありがたい様子であったが、彼らの表情の裏には、あきらめの感情があるように見えた。


(歓迎はされてるけど、なんか無気力?)


 大聖女がヒルネのような小さい女の子で、がっかりしているようにも見える。

 牧歌的に見えた村は、いざ入ってみると、どこか寂しげな空気が流れていた。


 ヒルネたちは村長に挨拶をし、村を抜けて果樹園へ入った。


(これは……壊滅的だね……)


 果樹園は魔物のせいでほとんどの木が倒れている。


 土はめくれ上がり、倒れた木に瘴気がこびりついていた。


「村の皆さんは果樹園がこんな状態だから落ち込んでるのよ」


 ホリーが寂しそうに言い、瘴気に近づいていく。


「だから、私たち聖女ができる限り土地を浄化するの」


 朗々と聖句を唱え、ホリーが両手をかざして浄化魔法を使った。

 キラキラと星屑が舞って、周囲五mから瘴気が消える。


 だが、すぐに地面から水が滲み出てくるように、瘴気が這い上がってきた。


「何度浄化してもダメなのよ……。昨日は頑張って浄化魔法を使って、あそこからここまでを浄化したわ」


 ホリーが指さして浄化した範囲を伝えてくる。


(ちょっとしか進んでない……ホリーはそれでもあきらめずに浄化してるんだ)


 ヒルネにはホリーのひたむきさが眩しく見えた。なんて素敵な子なんだろうと思う。


「浄化するにしても、別の方法を考えないと果樹園は復活しないわ……」


 ホリーが腕を組むと、ジャンヌと護衛の兵士たちも、真剣に考え始めた。

 ヒルネもむうと唸り声を上げて考え始める。


(ただ浄化するだけじゃダメ……となると……ああ、お日さまぽかぽかしてて眠く……って、いけないいけない)


 自分の太ももをつねって、ヒルネは周囲を見回した。


 すると、果樹園の端のほうで、何やら人が動く姿が見えた。

 ヒルネはそちらに近づいた。ジャンヌとホリーもついてくる。


「まだ儂はあきらめんぞ」


 そんなつぶやきをしながら、鍬を振り下ろしている農家のじいさんがいた。

 倒木を脇へよけ、地面を掘り返している。

 苗木を準備していることから、これから新しい木を植えようとしているみたいだった。


「おじいさんこんにちは」

「んん? おおっ……聖女さまですな?!」


 じいさんが鍬を置いて帽子を外し、丁寧に聖印を切った。


 ヒルネはぺこりと頭を下げる。


「私はヒルネと申します。何をされているのですか?」

「儂は地面を掘り返してシュガーマスカットを植えようとしております。これが苗木です」

「シュガーマスカット?」


 美味しそうな響きにヒルネは聞き返す。

 ジャンヌが後ろで驚いた声を上げた。


「ヒルネさま。シュガーマスカットはかつて南方の名産だった果実です。結晶が出るほど甘くて、やわらかくて、香りもいいんですよ!」


 前傾姿勢で説明するジャンヌを見て、じいさんが顔を向けた。


「メイドさんは南方出身かい?」

「はい、そうです」


 ジャンヌがうなずく。


「シュガーマスカットは美味しかっただろう?」

「はい……とても」


 ジャンヌが昔を懐かしむように言った。


「じじいの酔狂だと思って儂を止めないでくれ。村の連中は儂が自暴自棄になったとか言って、土地を耕すのをやめさせようとするんだ……頼む……」

「……シュガーマスカットは瘴気のせいで実をつけなくなったと聞きました。もう五年も経つって……」


 かつて南方の名産であったシュガーマスカットは繊細な植物であり、瘴気を少しでも感じると実を作らない。十数年前から南方の瘴気が拡大し、五年前からシュガーマスカットの流通はなくなった。現在の環境では実を作ることができない。


「儂はあきらめきれん! もう一度孫にシュガーマスカットを食べさせてやりたい! だから聖女さま、儂のことはどうかほうっておいてくだされ!」


 じいさんはそう言って、鍬を取って土を掘り始めた。


 そんな話を聞いていたヒルネは、土を見て何かに気づいた。


(あれ? いま一瞬瘴気が土に混ざっていたような……。光を避けるようにして地中に逃げていった?)


 ヒルネは目を細めて、じいさんの鍬が振り下ろされる付近を見つめる。

 ザクッ、と音がして土が掘り返されると、瘴気が一瞬だけ見え、すぐに地中へ消えた。


(やっぱり! 果樹園を汚染してる瘴気は光に弱いのかな? でも……倒木に張り付いてる瘴気は太陽を浴びても平気そうだよね……。とすると……)


 ヒルネは見習いだった頃に受けた講義を思い出した。


(そういえばワンダさんの講義で、核を持った瘴気がいるって話があったな。端っこを切り離すと、本体と合流してもとの形に戻るってやつ……)


「おじいさん……」


 ジャンヌがつらそうにつぶやいた。


「あの方は何を言ってもずっとああなのよ。危ないからやめなさいと言っても聞かないの」


 ホリーが心配そうに彼を見つめた。

 護衛の兵士たちはじいさんの気持ちがわかるのか、それとなく見守っている。


(……ちょっと試してみようか)


 ヒルネだけはまったく別のことを考えており、じいさんに近づいた。


「ヒルネ?」


 ホリーの呼びかけも聞こえず、ヒルネにはとあることが浮かんでいた。


「おじいさん、ちょっと失礼いたします」

「え? 聖女さま?」


 ヒルネはじいさんが掘り返した土の前に膝をつき、両手をずぼっと土に入れた。


「え?!」

「ヒルネさま?!」


 ホリーとジャンヌがヒルネの奇行に声を上げた。

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