第19話 ホリーの手伝いをしよう
ヒルネが農家に行きたいと言い出してから一週間。
寝泊まりしている大神殿は修繕が進んでいた。
(だいぶ進んできたね。ワクワクしてくるよ)
崩れていた瓦礫は綺麗に取り除かれ、
「ふああぁぁ〜……あっふ……天井の穴ぼこから朝日が落ちていますね」
うーんと伸びをするヒルネ。
大神殿の礼拝堂にヒルネのベッドが設置されている。
レースで何重にも覆われているため外からは見えない。
長いプラチナブロンドのヒルネがベッドから起き上がる姿は、物語の一ページのようであった。
(人をダメにする椅子はどこだっけ……? アレがないと私生きていけない……)
心の声が漏れない世界でよかったと心から思う。
「ヒルネさま、おはようございます。めずらしくお時間どおりですね。専属メイドとして鼻が高いです」
ジャンヌが笑顔でベッドの脇へと近づいてきた。
ヒルネが就寝中の際は、ジャンヌのみがレース内に入る権利を持っている。
「おはようございます、ジャンヌ。今日も可愛いですね」
「な、何を言ってるんですか。ほらほら、早く起きてくださいね」
ジャンヌが顔を赤くし、ベッドのふちに腰掛けているヒルネから掛け布団を取り上げた。
「今日はホリーの手伝いに行きますからね。早く支度をしましょう」
本当にめずらしく、ヒルネは駄々をこねずに両手を上げた。
「ヒルネさまったら。農家の方に会えるのが楽しみなんですね? さ、こちらにお立ちになってください」
くすくす笑いながら、ジャンヌがヒルネを寝巻きを脱がし、桶に用意していたぬるま湯でヒルネの全身を拭きはじめた。
「そうなんです。ホリーの手伝いをして、農家の方にも会う。これぞ一石二鳥というものです」
「ワンダさまと三日間交渉したかいがありましたね」
「ええ。ジャンヌも街の外に行けるのは嬉しいですか?」
「そうですね……私のいた村でも果実栽培は盛んでした。楽しみです」
ジャンヌがしゃべりながら、的確にヒルネの身体を布で拭いていく。
「そうですか……ふああっ……」
大きなあくびを一つ。
ヒルネは身を任せた。
(極楽ですなぁ……)
ぼーっと天井を見上げるヒルネ。
ちゃぷちゃぷとジャンヌが布をぬるま湯につける音が響く。
視線を下げると、大神殿の女神像が優しげに微笑んでいた。
◯
朝のお祈りを終えたヒルネは、イクセンダールから馬車で二時間の村に到着した。
「馬車内での昼寝もいいですね、ジャンヌ」
「ふふっ、そうですね」
「ジャンヌはまじめに勉強をしていたみたいですね……あっふ……」
「ワンダさんにもらった経済の本を読みました」
ジャンヌが馬車から出て、大聖女護衛の兵士たちに挨拶をする。
ヒルネはあくびを噛み殺し、外に出た。
(草木の匂いがする。のどかだな……)
木造の建物が点在し、村人たちは歌を歌いながら生活に必要な作業をしている。
牧歌的な景色が広がっていた。
前世で住んでいた自分の街がいかに無機質だったか、身にしみた。
「遅かったじゃない、ヒルネ」
大きな吊り目のホリーが青い髪を風なびかせ、早足で歩いてきた。
着ている聖女服がよく似合っていた。
「ホリー、おはようございます」
「馬車の中で寝てたんでしょ?」
「ジャンヌの太ももは最高です。帰りはホリーの太ももをお借りします」
ビシッと親指を立てるヒルネ。
行きの馬車はジャンヌの膝枕でごろごろしていた。
「相変わらずねえ……」
ホリーが苦笑すると、ヒルネがさらに口を開いた。
「訂正します。帰りはホリーのもちもちの太ももをお借りします」
ビシッとまた親指を立てるヒルネ。
「もちもちって……言い直さなくていいわよ!」
ホリーが顔を赤くして、スカートで自分の太ももを隠した。
「どちらの太ももを捨てがたいんですよ。ホリーのもちもちは疲れた身体に有効であると発表しておきます」
「どんな発表よっ」
「イクセンダール裏通りの露店で売っている、南方カステイラと同等のもちもちさです」
「南方カステイラって……というより、あなたまた大神殿を抜け出したの?」
ホリーが信じられないと口をあんぐり開け、ヒルネはしまったと口を真一文字にした。
(うかつ……つい口が滑ってしまった……)
「ヒルネさま、またですか?!」
今度はジャンヌが声を上げた。
「大聖女なのに露店で知らない人から食べ物をもらわないでください」
「だ、大丈夫です。変装してますから、はい」
「変装って……寝具店のトーマスさんからもらったあの市民の服ですか?」
「そうです。あれを着ていれば私も一般人です」
どうしても街を見たかったヒルネは、寝具店ヴァルハラのトーマスに言って、十歳の女の子が着る服を用意してもらった。
そこそこに上等な服で、着ればいいところのお嬢様、という雰囲気になる。
ただ、ヒルネが着ると、明らかに一般人ではない高貴な少女が私服で歩いているようにしか見えなかった。
市民は私服のヒルネを大聖女だと見抜いている。
というのも、長いプラチナブロンドと星海のような碧眼は、誰がどう見ても噂の大聖女そのものであった。しかも、ヒルネの絵姿はイクセンダールでのロングセラー商品になりつつあり、ヒルネの姿を知らないという市民はいない。
南方カステイラを販売している露店のオッサンはヒルネがよだれを垂らしている姿を見て、「可愛いお嬢ちゃんだ」と大聖女であることに気づかないふりをして、あまった商品をヒルネにあげていた。串焼き屋に続き、心優しいオッサンであった。
「絶対に皆さん気づいてますよ……」とジャンヌ。
「あんただって気づかないのは盲目のジャージャーだけよ……」と聖書の登場人物にたとえて言うホリー。
「いえいえ、変装は完璧です。露店のおじさんも気づいていませんでしたからね」
「黙っていてくれる優しさよ。それだけあなたが市民に愛されているってことね」
ホリーが肩をすくめ、ふうと一息ついた。
「ま、それは後でワンダさまに報告するとして――」
「ホリー、ホリー、さらりと報告宣言をしないでください。お願いですから黙っていてください」
ヒルネがホリーの袖をつかんだ。
「どう考えても規則違反じゃないの。しかも南方カステイラを食べてるとか、ずるいわよ」
「あ〜、ホリーも食べたいんですか? そうですかそうですか。そういうことですか」
「ち、違うわよ!」
ホリーが腕を上げてヒルネの手から逃れ、顔を背けた。
「とにかくワンダさまには報告しますからね!」
「ホリー……南方カステイラ、一つ持って帰ってきます……それで手打ちにいたしましょう」
「なん……なんてこと言うの!」
「とーっても美味しいんですよ。食べたら天に登る気分になります」
「……ダメよ」
「ふわふわのもちもちです。しかも甘いんです。信心深いおじさんに言えば、きっと分けてくださるはずです」
ヒルネが回り込み、ホリーの顔をじっと覗き込んだ。
うっとホリーが後退りして別の方向へと顔を背ける。
ホリーはしばらく考えると、何度か髪をかき上げた。
「まあ、この件は保留にしておきましょう……そうね」
「ありがとうございます、ホリー」
ヒルネがにっこり笑う。
ジャンヌは二人の姿を見て楽しそうにくすくすと笑った。ヒルネを止めても無駄だろうとわかっているらしい。
話を変えようとホリーが咳払いをし、背筋を伸ばした。
「それでヒルネ。私の仕事を手伝ってくれるって本当なの? 私はあなたが遊びに来たんじゃないかって、まだ疑ってるんだけど」
ホリーが目を細めてヒルネを見つめる。
「いやですねぇ、友達を手伝いに来ただけですよ」
ヒルネがニコニコと笑っていった。
ホリーを手伝うのが半分、農家に行きたいのが半分、といったところだった。
「ふうん、そう……さ、こっちよ」
ホリーがそう言って踵を返した。
口もとをむにむにと動かしている。どうやら嬉しいらしい。
ヒルネとジャンヌは顔を見合わせ、笑顔でホリーのあとについていった。
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