第18話 農家に行きたい
ヒルネはジャンヌ、ホリーと食堂で朝食を食べていた。
「果実が少ないですねぇ」
ヒルネがフォークで刺した洋梨っぽい果実を顔の前へ持ってきた。
(一人一個とはいえピンポン玉サイズしかもらえないとは……よほど食料事情が厳しいのかな?)
食べられるだけまだいいか、とヒルネは口に放り込んだ。
淡い甘みが口の中に広がった。
「そうなのよね。もっと食べたいわ」
ため息を漏らしながら、ホリーも果実を口に運ぶ。
「ホリー。聖女は食欲に負けてはいけないのでは?」
ヒルネがにやりと笑って言うと、ホリーがハッと顔を上げて頬を赤くした。
「そ、そうね! 私が言ったのはアレよ。皆さんの食べる分が増えたら嬉しいという意味よ。決して私利私欲で言ったんじゃないわ」
ホリーが髪を撫でながら、宙を見て言った。結構厳しい言い逃れであった。
「ジュエリーアップルさん、食べたいですね」
ジャンヌが王都西教会のジュエリーアップルを思い出したのか、笑顔でヒルネとホリーを見つめた。
(ジュエリーアップル美味しかったな。超ジューシーなりんごって感じだった)
ヒルネが甘さを思い出しているとホリーが、
「そうね。食べたいわ」
と、助け舟が出たと即座に返事をした。
ジャンヌの意見にヒルネも賛成だった。
(美味しいものをいっぱい食べて寝たい……。あれ? 南方に来てから全然ぐうたらできてなくない?)
ヒルネは美味しいものをたらふく食べて、のんびりしたい。そんな願望とは現在真逆になっていることに気づいた。
(何かしらの対策を講じないといけませんな)
権威ある科学者のように脳内で一つうなずいて、ヒルネはジャンヌを見た。
「ジュエリーアップルは南方には生えないのでしょうか?」
「王都より北側に生える木ですからね。南方はミニベリーとか、木苺が主流です」
ジャンヌが食べ終わった食器を集めながら言った。
「他に目玉商品はないのですか?」
「目玉商品ですか……うーん……」
悩みながらも、ジャンヌの手はヒルネ、ホリーの食器を集めていく。
「ジャンヌの手付きが日に日に職人じみていくわね」
ホリーがジャンヌの手さばきを見て、苦笑いをしている。
ヒルネと毎日寝て加護を受けているせいなのだが、まだ誰も気づいていない。
「果実は難しいかもしれませんね。農家の方に聞いてみるのがいいかもしれません」
「わかりました。早速このあと行きましょう」
(美味しい果実! 食べたい!)
ヒルネが力強くうなずいた。
だが気合いむなしく、ジャンヌがこほんと咳払いをしてじとっとした目線をヒルネへ向けた。
「ヒルネさま。本日は朝の祈祷、式典の予行練習、お昼を挟んで大神殿での聖句詠唱、貴族さまとのお茶会、辺境伯さまとの面会――」
ジャンヌがスラスラと予定を暗唱し始め、ヒルネはわざとらしく話の途中で両手を口で覆った。
「どうしましょう、大変です。私、部屋に忘れ物をしたみたいです」
そそくさと立ち上がって食堂から出ていこうとする大聖女。
隣にいたジャンヌにがしっと肩をつかまれた。
「ヒルネさま? お忘れ物はありませんよ? そもそもヒルネさまはいつも手ぶらですよね」
(ジャンヌの笑顔がキラキラとまぶしいっ。天然の聖魔法ですか? くっ)
ジャンヌは爽やかな笑顔で、ぜーったいに脱走しないでくださいね、と訴えかけている。
「あ〜、そうですね……聖書、そう、聖書を忘れたような気がするのですが――」
「聖書は各お部屋にありますのでお持ちいただかなくて大丈夫です」
「…………無念です」
大した言い訳もできず、ヒルネは椅子に腰を下ろした。
向かいのテーブルで様子を見ていたホリーがため息をついて、肩をすくめた。
「あなたは本当に大聖女としての心構えができてないわね? いいことヒルネ。あなたはこの南方地域の星なのよ?」
ホリーがくどくど大聖女とは、と説き始め、ヒルネは秒で眠くなってきた。
「――こうして大聖女が誕生したの。女神ソフィアが我々を不憫に思って御慈悲をくださったからで、聖魔法が使えるようになったのは人間の力ではなく――」
「はい、はい」
「――イシュトの湖に棺桶を沈めた初代国王が初めて大聖女を――」
「はい、はい」
「――大聖女は悲哀を胸に荒廃した土地を――」
「はい……ほい」
「――であるからして――」
「……ぐう」
ヒルネはジャンヌの肩に頭をあずけ、寝た。
ジャンヌが申し訳なさそうな目で、気持ちよさそうにしゃべっているホリーを見ている。
「って全然話聞いてないじゃない! 私が話してるのに寝ないで!」
ズビシと指をさして、ホリーがそのままテーブル越しにヒルネの頬に指を入れた。
「……んむぅ?」
「ぷにぷにしているわ。赤ちゃんみたいなほっぺたよ」
ホリーが指をぐりぐり動かして驚愕している。
ジャンヌがうんとうなずいた。
「ヒルネさまのほっぺた、やわらかいんですよ」
そう言ってジャンヌもつんつんとつついた。
「んん……ん? あれ?」
ヒルネがまつ毛を上げ、大きな碧眼でジャンヌとホリーを見つめた。
ホリーはあわてて手を引いて椅子に座り直した。
「すみません。意識がフライアウェイしていたようです」
「よくわかりませんよ、ヒルネさま」
ジャンヌがほっぺたから手を離し、ヒルネの大聖女服を整えた。
「ホリー、すみません。ホリーの話を聞くとすぐに眠くなってくるんです。あ、そうだ。今度寝る前にお話を聞かせてください。きっと安眠できますから」
眠たげに目をこすり、ふああとあくびをしながらヒルネが言った。
「私が話さなくても五秒で寝るじゃない……」
失礼しちゃうわねとホリーが腕を組む。
「これは一本取られたようですね。さて、それでは農家の方にお話を聞きに行くとしましょう」
ヒルネはさも当然といわんばかりに立ち上がった。
ジャンヌがまた爽やかな笑顔で引き止め、ヒルネの前に立ちふさがった。
「どうしたのですか、ジャンヌ?」
「今日はご予定がたくさんございます。頑張りましょうね?」
「農家に行きましょう。ええ、それがいいです。農家に行ってお茶でも飲みながら畑仕事を眺めましょう」
この大聖女、行っても手伝う気はないらしい。
「ダーメですよ? 大事な予定なのでサボり厳禁と、ワンダさまに言われているんです」
「異議あり。有給を申請します!」
「ゆうきゅうとは?」
ジャンヌが首をかしげた。
(異世界に有給制度はないんだった……!)
そんなこんなで、ヒルネは農家に行きたいと思いながらも、朝の祈祷へと渋々向かうのであった。
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