第17話 刻む模様は


 聖水晶セントクォーツの採掘場が解放されて、一週間が経過した。


 採掘場解放のニュースは辺境都市イクセンダール中に広まった。

 街にある職業斡旋所は大神殿建築のため雇用が生まれ、にわかに活気づいている。


「我が大神殿の工事がはじまりましたね。目指せ世界一のホワイト企業。週休四日、三食昼寝付き、長期休暇あり、フレックス制度」


 街の様子などつゆ知らず、ヒルネは腕を組んで大神殿に集まる人々を見ていた。


(朗読、巡業、浄化、聖句詠唱、治療……大聖女アカン。のんびりできない。たまのサボりは許してほしいね)


 ヒルネは遠い目をして、崩れた大神殿の廃材を運んでいる作業員を眺めた。


(ジャンヌは今頃、寝具店ヴァルハラ・イクセンダール支部へ行っているでしょう。灯台もと暗しとはこのことです……ふふふ……)


 お付きのメイドを巻いてきた大聖女。

 朗読の時間であったが、こっそり抜け出してきたらしい。


「あ、ジジさまがいる」


 額に大きなあざのある大司教ジジトリアが、石職人のポンペイじいさん、大男バルディックと話し合っている姿が見えた。


 設計図らしきものを見て、何か話し合っている。


 ヒルネは大司教の服を着たジジトリア、白髭のポンペイ、大男のバルディックへと近づいた。


「皆さん、こんにちは」

「おお、これはこれはヒルネさま」


 ジジトリアが好々爺といった笑みを浮かべて聖印を切った。

 ポンペイ、バルディックも笑顔でヒルネを迎えた。


「ポンペイさま、バルディックさま、大神殿はいかがでしょうか? 明日にはできそうですか?」


 この大聖女、いささか気が早い。


「作業は急がせていますぞ」

「ガハハハハッ! そんなすぐにできるわけないですぜ!」


 ポンペイが落ち着いて言い、バルディックは豪快に笑った。


「楽しみに待ちましょう、ヒルネさま」


 ジジトリアが子どもに言い聞かせるように、ヒルネに笑顔でうなずいてみせた。


(だよねぇ……ああ、早くできないかな!)


 ヒルネは半壊している大神殿を見上げた。

 これが新しく生まれ変わると思うと、気分が高揚してくる。


「ヒルネさまが着任して大神殿が喜んでいるようですね。これなら無事に終わりそうです」


 ジジトリアが感慨深げに大神殿を見る。


 ヒルネが着任するまでは、改修作業をすると、勝手に倒壊して元の崩れた形に戻ってしまった。人を巻き込むような事故は起きていないが、大神殿は修理できない――これが聖職者と職人での共通認識だ。


 大神殿がヒルネを大聖女として迎え入れた。

 女神ソフィアが祝福している。

 そんなことを人々は囁いている。


 当の本人はあまり気にしていないのか、青い瞳をキラキラさせて大神殿を見上げていた。


 ジジトリア、ポンペイ、バルディックは温かい視線をヒルネに向けていた。


「そういえば何を話し合っていたのですか? ポンペイさまのここに皺が寄っていましたよ?」


 ヒルネが額を指さした。

 ポンペイは自分の眉間を触って、力を抜くべく何度か揉んだ。


聖水晶セントクォーツに刻む図柄で悩んでおりましてな」

「図柄ですか?」


 ヒルネの問いに、ジジトリアが代わりにうなずいた。


「切り出した聖水晶セントクォーツに模様を刻み込むのです。メフィスト聖教としては、女神ソフィアさまを推奨しております」


 ジジトリアの発言に、バルディックが首を振った。


「そりゃ無茶だよ大司教さま。全部に女神さまを彫ってたんじゃ完成に十年かかるぜ」

「十年? それは困ります!」


 ヒルネが思わず声を上げた。


(十年後とは聞き捨てならない。一刻も早くホワイト企業の本社を建てないと……安心して昼寝ができなよ)


 お昼寝ファーストな大聖女。


 ポンペイ、バルディックがそうだよな、とうなずき、大司教ジジトリアが残念ですね、と肩を落としている。時間があれば、じっくりと彫刻をしてもらうつもりであったのだろう。


 バルディックが太い腕を上げて、力こぶを作った。


「そこでだ。俺は鉄と煙の街にふさわしい、力強い図柄がいいと思う」

「え〜、むさ苦しいのはちょっと……」

「ダ、ダメですかい?」


 ヒルネの怪訝な顔に、今度はバルディックが両手を下げて困った顔になる。


「わしは翼の図柄がいいと思う。採掘場で飛んでいたヒルネさまを見て、これだと思った」


 今度はポンペイじいさんが言った。


 翼の絵。

 悪くないかもしれないとヒルネは想像した。


 しかしこれには大司教ジジトリアが納得しなかった。


「翼の絵柄は西の大神殿にて使われております。南方の救世主ヒルネさまが、すでに別の大聖女が使っているものを後追いするなど――言語道断。いけません」

「えー、そうですかね? 私は結構いいと思いますよ」


(空を飛ぶ想像をすると、寝付きがよくなりそうだし)


 ヒルネが言うと、ポンペイ、バルディックは「ジジトリアさまの言う通りだ」と翼を除外した。


 大聖女ヒルネの評価が高いからだろう。いや、自分の孫が一番可愛くて優秀だ、というじいさま視点かもしれない。


「こんな具合で、彫るべき図柄が決まらんのですよ」


 ポンペイじいさんが白髭を撫でて言った。


「ふーむ……」


 ヒルネは顎に手をおいて、首をかしげた。


(辺境都市イクセンダール――別名、鉄と煙の街。名前にちなんだ図柄がいいのかな? でもなぁ、鉄とか煙とか、むさ苦しいのはなぁ……)


 大神殿の外壁が可愛くないのはちょっといただけない。

 布団の絵がいいような気もするが、さすがに却下されるだろう。


「それでしたら、お花の絵はどうでしょうか?」

「お花?」


 バルディックが片眉を上げた。


「花なんてこの街には一本も生えてないぞ?」

「そうなのですか? それならなおさら必要です。イクセンダールには癒やしが足りませんよ。街を歩いても鉄と煙の匂いしかしません。なので、可愛いお花でお願いします」


 ヒルネは名案だとうなずいた。

 後にこの発言が街を変えていくとは、誰も思っていない。


聖水晶セントクォーツに花柄の彫刻。素敵じゃないの、ねえ奥さん? ついでに人をダメにする椅子も導入しましょう)


 誰に向かって言っているのだろうか。

 ついでにと言うか、ダメ椅子の導入はヒルネの中で確定事項である。


「花ですか……よろしいかと思います。聖書にもいくつかの花が出てまいりますので、そちらを参考になされてはいかがでしょう?」

「ジジさま、聖書もいいのですが、南方地域で親しみのあるお花にしませんか?」

「ほう、ほう、そうですか」


 ジジトリアがにっこりと笑みを浮かべた。

 南方地域の大司教としては嬉しい提案だったようだ。


 どんな花にしようか?

 そんなことを話し始めたところで、ヒルネの背後から声が響いた。


「いた! ヒルネさまぁ!」


(まさかジャンヌ?!)


 声に驚いてヒルネは振り返った。


 ジャンヌがメイド服をなびかせ、猛烈なダッシュで芝生を駆け上がってくる。


「ヒルネさま! もう朗読の会は始まっているんですよ! 皆さんヒルネさまをお待ちです!」


(十歳とは思えない走りっぷり!)


 ジャンヌの足が速すぎて、逃げようにも後ろには作業中の大神殿。左右に走っても飛びつかれておしまいである。


 浮遊の聖魔法で空に逃げるのも一手ではあるが、ワンダに禁止されたばかりのためジジトリアの目の前で使うわけにもいかない。八方塞がりであった。


 サボり魔の大聖女は観念して、両手を差し出した。


「む、無念です……」

「捕まえました!」


 駆け寄ったジャンヌがヒルネの手をつかみ、頬をふくらませた。


「もうヒルネさまったら。いつまで経ってもヒルネさまが来ないので、皆さん一言もしゃべらずにお待ちですよ。なんというか、いたたまれない雰囲気なんです」


 ジャンヌは必死だった。


「今日お集まりの方々は生真面目なんです。神聖な礼拝堂で私語などできぬと、黙ってじーっと座ってるんですよ。大聖女はまだかと聖職者さまの視線が私にグサグサと――」

「ああ、それはいたたまれない感じですね」


(百人が黙って座ってる図はキツいもんがあるよね)


 そんな空気を生み出した張本人はのんきに考える。


「お花を摘みに行くと言って脱走しないでください!」


 ジャンヌがヒルネの両手を持ったまま、顔を近づけた。

 この大聖女、トイレに行くと言って脱走を試みたようであった。


(ジャンヌのお目々は大きいなぁ……可愛いなぁ……)


 まったくもって心に響いていなかった。


 そんなやり取りを後ろで聞いていたジジトリア、ポンペイ、バルディックから笑い声が上がった。子どもたちが元気で嬉しいようだ。

 ちなみに大司教ジジトリアはヒルネを自由にさせて見守ろうと思っているらしく、怒るつもりはないらしい。叱るのはワンダの役目と考えている。


「笑われてしまいましたね」


 ヒルネがジャンヌに微笑む。


 ジャンヌは星海のような蒼い瞳を向けられて怒る気持ちが吹き飛んでしまい、恨めしそうに目を細めた。


「ヒルネさまはズルいですよ。私、何も言えなくなるんですからね」

「何がですか?」

「いいです。ぷん」


 ジャンヌがぷんと言って顔を背けた。


「あの、すみませんでした、ジャンヌ。今から行きますから、怒らないでください。ね?」

「怒ってません」

「ああ、そういえば、南方地域で有名なお花はありますか?」

「お花ですか?」


 ヒルネの質問に、真面目なジャンヌはすぐに考え始めた。


「そうですね……私の住んでいた村では、春はミニベリー、冬はユキユリが綺麗に咲いていました」

「ユキユリってどんなお花でしょう?」


 ヒルネが聞くと、ジジトリアが大司教服のポケットからメモ帳を出して、絵を描いた。


「このようなお花ですよ」


 六枚の花弁を持った、艷やかで気品のある花だ。


(前世で見たユリと結構似てるけど、それよりもゴージャスな感じだね)


 ヒルネはジジトリアに礼を言って、顔を上げた。


「ユキユリとミニベリーを聖水晶セントクォーツに刻みましょう。いずれはイクセンダールの街もお花であふれる街にしたいですね」


(鉄と煙じゃ安眠できないからね)


 そんなヒルネの言葉にジジトリア、ポンペイ、バルディックは顔を見合わせ、力強く首肯した。


「そりゃあいい」とポンペイじいさん。

「大聖女さまが言ったら、みんな種を植えるかもな」とバルディック。

「この街を花であふれるように……」空を見上げるジジトリア。

「完成が楽しみです」


 笑みを浮かべるヒルネ。


 四人が考えている横で、真面目なメイドさんがヒルネの背後に回り込んで両脇に手を入れた。


「さ、ヒルネさま。もうお話はお済みですね? 足に根っこが生えて動けない病になった、とか言わないでくださいね」

「な、なぜ私が言おうとしていたことを……!」

「ヒルネさまのことはお見通しですよ」


 ジャンヌが笑い、ヒルネを引いて歩き出した。


「ああ、ジャンヌ! 私はまだ皆さんとお話を!」

「皆さま、お騒がせいたしました」


 ジャンヌが謝りながら、後ろ歩きでヒルネを引いていく。


「あと五分だけ! いえ、芝生でお昼寝もしたいのであと十五分だけ!」

「なぜ時間を増やすんですか!? 皆さんが礼拝堂でお待ちですよ」


 困った人だなとジャンヌが笑い、ジジトリア、ポンペイ、バルディックが引きずられる大聖女を見てハッハッハッハ、と楽しそうに笑った。


 ジャンヌに引っ張られて身体が自然とななめになっているヒルネは、視界に大きな青空が映った。


(あの雲、たこ焼きみたいだな……ああ……眠くなってきた……)


 引きずられて、うとうと目を細めるヒルネ。


 結局そのまま寝てしまい、ヒルネが礼拝堂で朗読を始めたのは一時間後であった。


 参加者には聖魔法でたっぷりと祝福をかけたので、全員大満足で帰っていった。大聖女の祝福は一生自慢できるものだ。


 ちなみに、ワンダのお説教も一時間コースだった。

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