第32話 ニューお布団


 お布団を寄付――

 その甘美なる言葉にヒルネは思わず両手を挙げた。


「やりました。苦節二年半、ついにお布団の寄付をいただきました――!」

「ヒルネさま、やりましたね!」


 ヒルネから常々、掛け布団の寄付はないか、敷布団の寄付はないかと聞かれていたジャンヌも、喜びで両手を挙げた。


「ばんざーい」

「ばんざーい」


 部屋の前で抱き合うヒルネとジャンヌ。


 金髪と黒髪ポニーテールが交差する様を横から見ていたホリーが、やれやれと肩をすくめて呆れた声を上げた。


「あのねえ……こんなときに何喜んでるの? 恥ずかしいから部屋でやりなさい、部屋で」


 ホリーがびしびしとドアを指差す。

 それを見たヒルネとジャンヌが姿勢を正して、すみません、と部屋に入った。


(いけない。お布団の寄付は嬉しいけど、今は緊急事態だった)


 ジャンヌがドアを開けてくれた。部屋に入ると、ヒルネのベッドには羽毛布団が置かれていた。


 大きな感動が押し寄せてくる。


 羽毛布団は前世のものと比べると薄くて中身もあまり入っていない。

 改良の余地はまだありそうだったが、今までの薄い掛け布団を思うと喜びはひとしおだ。


「ヒルネさま、まだ入ってはいけませんよ」


 ジャンヌに手を握られ、ヒルネの自動で進もうとしていた足が止まった。


「いけません。勝手に足が動いていました」

「寝巻きに着替えてからにしましょうね」

「私も部屋から寝巻きを持ってくるわ」


 ホリーが部屋から出ていった。

 その間に聖女服をジャンヌに脱がされ、着慣れたワンピースを着ていると、ホリーが自分の寝巻きを持って入ってきた。


「ここで着替えていいかしら?」

「もちろんです。はい、ヒルネさま、終わりですよ。ではホリーさま、こちらに」

「ありがとう」


 ホリーが寝巻きを椅子にかけてジャンヌの前に立つと、着替え終わったヒルネがベッドに入ろうとした。

 するとジャンヌが肩越しに声を上げた。


「ヒルネさま、まだですよ。朝ご飯も食べていないですし、そのあとの歯磨きもあります」

「いいではないですか。ちょっと布団に入るだけです。ね?」

「ダーメーでーす。ヒルネさま入ったらすぐ寝ちゃうじゃないですか。寝てるときに歯磨きするのって難しいんですよ」


 寝てる最中に人の歯磨きをするという高等テクニックを今までしていたらしい。起こさず、不快にさせずに歯磨きをするのは難しい。


「あなたジャンヌに何させてるのよ……」


 ホリーが万歳ポーズのまま呆れている。

 そう言っているあいだにもジャンヌの手は止まらず、ホリーの聖女服が脱がされていく。


「食べると眠くなってしまいます。これすなわち人間の真理です」


 ヒルネが眠たげな碧眼を光らせた。

 ゴーサインが出たらすぐに布団へ入るつもりか、ベッドの縁ギリギリに陣取っている。


「あなたといるとホント気が抜けるわよね。緊張がなくなってきたわ――ありがとう」


 ホリーが寝巻き用のワンピースをジャンヌにかぶせてもらい、形を整えられ、礼を言った。


「ではヒルネさま、ホリーさま、私は朝食をこちらに持って参ります。それまでは寝ないようにしてください」

「ジャンヌ、ちょっとだけ布団に――」

「あとでお腹が空いたら大変ですよ、ヒルネさま。ごちそうの夢を見るかもしれません」

「それは困りました。以前にごちそうをいっぱい食べる夢を見て、起きたとき胸焼けがしたんです」

「そういうわけなのでまだベッドには入らないでくださいね。では、失礼します」


 ジャンヌが一礼して部屋から出ていった。


「夢で胸焼けになるとか聞いたことないわよ」

「睡眠の神秘ですねぇ」


 ホリーがうろんげな目線を向けると、ヒルネが眠たそうに言った。



      ◯



 ジャンヌが戻ってきて三人で朝食を食べ、歯磨きをし、ヒルネとホリーはベッドに入った。


 ピヨリィの羽毛布団はふかふかで太陽の匂いがする。


(ピヨリィさん……いつか養殖してあげますからね……)


 布団の大量生産を夢見て、ヒルネがピヨリィの牧場を妄想した。


「ではヒルネさま、ホリーさま、私はメイドの仕事がありますので失礼いたします」


 ジャンヌはぺらぺら掛け布団と羽毛布団をかぶって幸せそうにしているヒルネと、気恥ずかしそうな顔でこちらを見てくるホリーを見て、微笑んだ。


「何よ。私の何か顔についてる?」


 ホリーがジャンヌに言った。


「いえいえ、何もついていませんよ」


 ジャンヌが金髪と水色髪の聖女が並んでベッドに入っている光景を見て、思わず手を伸ばし、掛け布団の位置を直した。


「それでは、お時間になったら起こしに参ります。おやすみなさい」


 最後にカーテンを閉めて、ジャンヌが出ていった。

 ヒルネの部屋が静かになった。

 カーテンからは昼前の日差しが薄っすらと漏れている。


「ホリー、寄付していただいたお布団はどうですか?」


 ヒルネが宝物を見せるみたいに、碧眼を輝かせて横を向いた。


「気持ちいいわ。軽くてあったかいもの」

「そうですよね。やっぱり羽毛布団は最高ですね」


 嬉しそうに羽毛布団へ顔をこすりつけるヒルネ。

 そんな無邪気なヒルネを見て、ホリーが眉をわずかに寄せた。


「ねえヒルネ……あなたは恐くないの?」

「その、何がでしょうか?」

「王都にたくさんの瘴気がやってくるのよ? あなた、瘴気を見たことあるでしょう。側にあるだけで不快になる、あの不浄のかたまりよ」

「とある商店街で見ましたし、ワンダさまに浄化の練習で見せていただいたことはあります」

「じゃあ怖さはわかっているでしょ? 平気なの?」


 ホリーの言葉にヒルネはきょとんとした顔を作った。


(ホリーは怖がってるんだね……それもそうか。だってまだ十歳だもんね……)


「平気ですよ。私たちには女神ソフィアさまがついています。それに、頼りになる聖女のお友達もいますし、なんにも不安はありませんよ」


 ヒルネの迷いのないキラキラした瞳を見て、ホリーは胸の内側があったかくなって、ちょっと涙が出そうになった。


 ホリーはあわててヒルネとは逆側に顔と身体を向けた。


「そう。ならいいけど。別に私は怖がってるわけじゃないの。ただ、ヒルネが怖がってるんじゃないかって心配していただけ」

「はい。いつも心配してくれてありがとうございます、ホリー」


 ヒルネが笑うと、ホリーが肩をもじもじ動かした。

 言うか言うまいか迷い、ホリーはためらいがちに口を開いた。


「…………いつもありがとね、ヒルネ」


 ホリーの小さな言葉に、ヒルネは幸せな気持ちになった。

 笑みを浮かべながら、布団の中をちょっと移動する。


「ホリーにくっついてもいいですか?」

「……別にいいけど」

「やりました。聖女抱き枕です」

「人を抱き枕にしないでよ」


 ヒルネも横向きになってホリーを背中から抱きしめた。


「あったかいです」


(ホリーって基礎体温高めなのかな。あったかいね)


 ヒルネはホリーの背中に顔をくっつけて、そのまま眠ってしまった。


「……もう寝ちゃった……ヒルネったら……」


 まだ眠くないなぁ、と寝息を立てているヒルネの体温を感じながら、ホリーは目を閉じた。


 しばらくすると、ホリーの口からも可愛らしい寝息が聞こえ始めた。

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