第33話 祈祷開始


 午後四時になると、ジャンヌがヒルネとホリーを起こした。


 ヒルネとホリーの寝顔をずっと見ていたい気もしたが、これからのことがある。ジャンヌは優しく掛け布団を取った。


「……ふあっ。ああ、おはようジャンヌ。もうそんな時間?」

「ホリーさま、おはようございます。礼拝堂では結果魔法陣の準備が整っております。午後五時より聖女さまの祈りを開始するそうです」

「――むにゃ」


 約一名、まったく起きる気配のない聖女がいる。


 ジャンヌとホリーはヒルネの顔を見てくすりと笑った。

 んんん、と大きく伸びをすると、ホリーが吊り目をジャンヌへ向けた。ヒルネと寝てすっきりしたのか、寝覚めがよさそうだ。


「私は部屋に戻って準備をするわ。礼拝堂で会いましょう」

「はい。また後ほど」


 ホリーは自分の聖女服を持って部屋から出ていった。

 ジャンヌは五分かかってヒルネを起こし、準備をして、ヒルネとともに礼拝堂へと向かった。



      ◯



 礼拝堂の長椅子はすべて取り払われており、床には螺旋状に巻物が広げられている。その上からは魔石を粉末状にして混ぜた結界専用のインクで、びっしりと聖句が書かれていた。


 さらに大理石調の床にも聖句が書かれており、これも巻物に合わせて大きく螺旋を描くように計算されている。


 螺旋の中心部にはぽっかりと丸い空間が空いていた。

 円の中に入り、聖女が交代で祈りを捧げるようだ。


 千人が収容できる礼拝堂には、日常とは違う光景が広がっていた。


(準備が大変そうだよ……礼拝堂全体が魔法陣になってるんだね)


 ヒルネは礼拝堂に一歩入り、いつもと違う重々しい空気を感じた。

 礼拝堂の四隅では数名のグループになった聖職者が聖句を唱え続けている。


「ヒルネさま。あちらに皆さまがお集まりです」


 ジャンヌが小さく言った。

 すでに聖女が集まっている。ホリーもいた。

 礼拝堂の隅を歩けば魔法陣を踏まずに済むため、二人は静かに壁にそって歩いた。


「ヒルネ、あなたで最後ですよ」


 ワンダがやや緊張した面持ちで言った。


「申し訳ありません。お布団が気持ちよくて粘ってしまいました」

「……そうだと思ったわ。みんな、最年少のヒルネはまったく緊張していません。いつもと同じように祈りを捧げるだけですよ」


 ワンダとヒルネの顔を見て、聖女の少女たちがうなずいた。

 ふわわぁ、とヒルネが大きなあくびをする。


「今、聖女見習いたちが隣の部屋で祈りを捧げてくれており、起動の準備はできています。ご覧なさい。魔法陣に十二個の円がありますね?」


 ワンダが魔法陣をぐるりと指差した。

 螺旋を描く魔法陣には、人が一人入れる円が十二個描かれている。


「祈りながら、時計回りに交代で円を移動します。中心部の円にいる聖女が一番魔力を使います。私が判断して合図を送りますから、あなたたちは聖句と祈りを切らさず、移動して祈り、また移動する。それを一晩続けます――」


 順番で中心部の大役をつとめる。

 そういった流れであった。


 中心部以外の聖女は補助役として、祈りに徹する。


(大丈夫かな……眠くなりそうだなぁ……)


 ヒルネはこの世界に来て一度も徹夜をしたことがない。居眠りしないか不安だった。


「一番はアシュリー、――二番は――」


 ワンダが順番を伝えていく。


「――十一番、ホリー。最後はヒルネ、あなたよ」


 考えていたら眠くなってしまい、ヒルネは頭を振って、「はい」と返事をした。


「何周で終わるかはわからないわ。それでも、夜明けまで結界を維持するのです。瘴気が王都に入り込めば、たちまち不幸が撒き散らされます。王都の平和はあなたたち聖女にかかっているのです」


 はい、と全員が答えた。

 ホリーも真剣な表情をしていた。


(エヴァーソフィア……素敵な世界……この世界のために頑張ろう。なるべく寝ないようにしよう……!)


 ヒルネは眠たい目をこすって決意を新たにした。



     ◯



 時間が過ぎ、午後五時となった。


 ステンドグラスからは夕日の光が礼拝堂にこぼれている。

 その光はどこかくすんでいるように見え、皆を不安にさせた。


(いつもと空気が違う……夜になるのがこんなに不気味なんて……)


 ヒルネがステンドグラスを見つめた。

 瘴気が出る前兆なのか、普段感じるやわらかい空気にトゲが内包されているかのような、ぎこちないものを感じる。


「……ホリー、何か変です」

「あなたも感じる……?」


 ヒルネの右隣の円にいるホリーが、ちらりとヒルネを見た。


「はい。空気がよどんでいます……。ホリー、皆さんを守るため、頑張りましょう」

「もちろんよ。ま、瘴気ぐらい私一人で十分だと思うけどね」


 ホリーがニッと笑顔を作ると、ヒルネが笑みを浮かべた。


「それでは結界を起動させます。女神さまへ祈りを捧げなさい」


 厳かな口調でワンダが言うと、ヒルネを含め、聖女十二名が一斉に膝をついて手を組んだ。


 礼拝堂全体が淡く明滅を始めると、白い星屑がどこからともなく浮かび上がってくる。


 やがて半球状の結界が出現し、一気に外へと飛び出していった。

 魔法陣の中心部にいるアシュリーという聖女の少女が、少し苦しそうな顔をする。かなりの魔力を使ったらしい。


(結界よ……みんなを守って……!)


 ヒルネもこのときばかりは眠いことも忘れ、一心不乱に祈るのであった。

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