第29話 お風呂に入ろう
ヒルネは湯屋『癒しの湯』の女湯に入った。
脱衣所はシンプルな作りで、木製の鍵がついた個別のロッカーがある。
(全部木でできてるね。鍵をかけて、首から紐でぶら下げる感じなんだ……へえ)
ヒルネは異世界の風呂屋に感心しながら、めずらしく素早い動きで万歳のポーズを取った。
するとジャンヌが何も言わずに聖女服を脱がしてくれる。
鮮やかな手さばきでヒルネの聖女服を畳んでロッカーに入れ、自分もメイド服を脱いで同じロッカーに入れた。
「ジャンヌの動きが職人芸ね」
呆れと称賛を込めてホリーがつぶやくと、ジャンヌが「失礼します」と言ってホリーの聖女服も脱がしていく。複雑な聖女服をものの三十秒ぐらいで完全に脱がされ、ホリーが戦慄してタオルで身体を隠した。
「ヒルネ、一番怒らせちゃいけないのはジャンヌよ。いいわね」
「ジャンヌは怒ったりしませんよ?」
安心しきっているヒルネを見て、それもそうね、とホリーがうなずいた。
そんなやりとりをしている間にも、ジャンヌがどこから出したのか髪結い紐でヒルネ、ホリーの髪をアップにした。自分のポニーテールも上にまとめる。ホリーの聖女服もロッカーに入れ、鍵をしめて首にぶら下げた。
「ホリー、ジャンヌ、入りましょう」
ヒルネが率先して風呂場の扉をがらりと開けた。
少女三人が湯けむりの中へ入っていく。
(おおおお! 銭湯! 異世界銭湯!)
中は広くて、部屋の中心部に一つだけ大風呂があった。
温泉が湧いているのか、石造りでできた風呂から滾々と湯が流れている。
すでに湯へ入っているご婦人たちは極楽だ、という顔つきだった。気持ちよさそうだ。
(早く入りたい。身体を洗うお湯は奥のお風呂から取る仕組みかぁ……シャワーとかないもんね)
奥には大きな木製の風呂釜が設置してあり、何人かいる客が湯を風呂桶に汲んで、近場の椅子に腰をかけていた。身体は手ぬぐいでこするみたいだ。石鹸はないらしい。
「ヒルネさま。まずはお身体を洗いましょう」
「そうですね。これは一刻を争います。早く洗ってあの大風呂へ入りましょう」
ヒルネが早足で歩くと、ホリーが後ろから声を上げた。
「ちょっとヒルネ、転ばないでよね」
「大丈夫ですよ」
少女たちが楽しげに入ってきて、先客が微笑ましそうに見ている。
ヒルネが空いていた椅子に腰掛けると、ジャンヌが湯を汲んできて、持っていた手ぬぐいで身体を洗ってくれた。
「ジャンヌ。バシャバシャお湯をかけてください」
「こうですか?」
ジャンヌが惜しげもなくお湯をヒルネへかけ、身体を拭いてくれた。
「いいですね。私たちにはこれが足りなかったんですよ」
「そうかもしれませんね」
ジャンヌがくすくすと笑いながら手を動かしてくれる。
(いつも桶に入っているお湯だけで拭いてるからねぇ……最高だよ……)
ヒルネがぼんやり考えていると、自分で湯を汲んできたホリーが隣に座った。
「あなた世界で一番まぬけな顔になってるわよ」
「そうですか?」
「聖女らしからぬしまりのない顔ね。気をつけなさいよ」
「お風呂にしかめっ面はいりませんよぉ」
笑っているヒルネを見ていると、つい自分も気が抜けそうで、ホリーが口を真一文字にして馬車のメンテナンスをする整備士みたいな顔つきで自分の身体を拭き始めた。
すると、ヒルネを洗い終わったジャンヌがホリーの背後にやってきて「失礼します」と言って、洗い始めた。
「自分でやる――」
驚いたホリーが手ぬぐいを持ち上げた状態で固まり、やがて目を閉じた。
「あ……ああ……っ」
くすぐったいのか、気持ちいいのか、ホリーが内股になった。
「痛かったら言ってくださいね」
「……痛くない」
「それはよかったです」
ジャンヌが嬉しそうにホリーを磨いていく。
しばらくして終わると、ホリーがだらりと身体を弛緩させた。
「ヒルネ、これを毎日してもらってるの?」
「ええ、そうですよ」
「ズルいわよ。私のメイドよりもジャンヌのほうが上手いわ」
「ジャンヌは史上最強のメイドですよ? だから仕方のないことです」
ヒルネがさも当然と言った顔つきで言った。
ちょっとした冗談のつもりであるが、寝ている間に女神の加護を誰よりも受けているので事実であった。ジャンヌは照れている。
「それじゃあジャンヌ、手ぬぐいを貸してください。今度は私が洗いますね」
「え? そんな! いいですよ、自分でやりますから!」
「日頃の感謝ですよ。さあ」
ヒルネがジャンヌの持っていた手ぬぐいを取った。
「私もやってあげるわ」
ホリーが立ち上がってジャンヌの肩を持ち、椅子へ座らせた。
「あっ」
ヒルネとホリーが入念にジャンヌの身体を洗い始めた。
「私は自分で……くすぐった……アハハ! わきは自分でやります! ダメです!」
ジャンヌが笑い始めてしまい、ヒルネとホリーが目を合わせ、湯をかけながら手ぬぐいで弱点を集中砲火した。
きゃっきゃと笑いながら身体を洗っていると、湯に入っているおばちゃんが声を上げた。
「お嬢ちゃんたち、洗ったらお湯に入りなぁ。気持ちいいよぉ」
その言葉に三人は手を止め、素直に「はぁい」と返事をする。
カーラが店主だけあって客も優しいようだ。
ヒルネ、ホリー、ジャンヌは大風呂へ近づいて、一段石段を上り、お湯へ足を入れた。
一気にお湯へ入ると、三人は肩まで身体が沈んだ。
(お風呂最高〜……気持ちいい〜……)
「はぁ〜……あったかいですね」
「気持ちいいわ……」
「ですねぇ……」
思わず目を細める三人。
(深いから座ったりできないかな……)
ヒルネが目を開けると、先ほど声をかけてくれたおばちゃんが、「こっちに子ども用の段差があるよ」と教えてくれた。
「ありがとうございます」
笑顔でヒルネは答えて、湯の中を進んで子ども用の高い段差に腰をかけた。
座ると肩から上が出る高さになる。
ジャンヌとホリーの手を引いて、二人が両隣に座った。
(いい湯だね……)
大風呂の中心部から温泉が出ているのか、湯の真ん中が不規則に膨らんでいる。湧き出る湯の流れで肩に当たる湯も形を変えた。そのかすかな肌触りの変化が心地よかった。
ヒルネが天井を見上げると、水蒸気でできた水滴が丸い粒になって連なっていた。
(あの水滴……人をダメにする椅子みたいだね……)
見つめていた水滴が落ちて、ぽちゃんとお湯に跳ねた。
「……来てよかったですね」
ホリーの大きな吊り目と、ジャンヌの鳶色の瞳を見て、ヒルネが笑った。
風呂に入って二人の頬がバラ色に染まっている。
「そうですね。本当に来てよかったです。とっても気持ちよくて楽しいです」
ジャンヌが一点の曇りもない笑顔を見せてくれた。
ホリーは口もとをむにむに動かしていたが、やがて観念したのか、口を尖らせた。
「まあ……気持ちいいのは認めるわ……ありがとね、ヒルネ」
「いえいえ。いつもわがままを言ってすみません。色々教えてくれてありがとう、ホリー」
ヒルネがいつも面倒を見てくれるホリーへ感謝を込めて笑いかけると、ホリーがぷいとそっぽを向いた。
「別にいいのよ。あなた、私がいないと何もできないみたいだし」
「頼りにしてます、ホリー」
「ああ、やだやだ。ヒルネといるといつも調子が狂うのよね。これがワンダさまに知られたら千枚廊下の掃除だわ」
そう言って天井を見上げるホリーは、言葉と違って楽しげな表情だった。
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