第15話 パンのおみやげ


 ジャンヌへのおみやげを懐に忍ばせたヒルネは、満ち足りた気持ちで宿舎へ帰った。


(美味しかったなぁ……あとはお昼寝するだけだね)


 帰りも馬車だ。

 車内はパンの香りで充満している。


「ピピィさま、本当によろしんですの?」


 あれから苺パンを三つ食べたホリーが、馬車に積んであるパンの山を見て言った。


「はい。お二人に浄化魔法を使っていただいたんです。これくらいしかできず、申し訳ないぐらいです」


 ピピィの感謝の仕方が尋常でなく、先ほどまで店で販売していたパンすべてを聖女見習いへ寄付すると言って、社員一人を連れてパンを積み込んだ。


 御者がパンの香りを嗅いで「腹が減ってきたな」とつぶやいている。

 そうこうしているうちに馬車が到着し、ピピィと社員の手でパンが西教会・聖女見習い宿舎へ運び込まれた。


 ヒルネ、ホリー、ピピィ、社員一名が宿舎の食堂に到着すると、ちょうど休憩をしていたワンダが何事かと目を見開いた。


「ヒルネ、ホリー、これはどういうこと? どこに行っていたの? そちらの方は?」

「あっ……あのぅ……」


 言いよどむホリーを尻目に、ヒルネが悪びれずワンダを見つめた。


「ピピィさんに苺パンを食べさせていただきました。あまりに美味しかったので、感謝の気持ちを込めてピピィさんのお店を二人で浄化したんです。そうしたらピピィさんが、今日の販売分のパンをすべて寄付してくださると、そう仰ってくださったんです」


 ヒルネの目がキラキラしている。

 これは叱るに叱れない。


 事情はさっぱり飲み込めないが、エプロンをつけたそばかす顔の女性がテーブルにパンを並べている。とりあえず寄付してくれることは間違いないらしい。


 ワンダはさっと立ち上がって聖印を切った。


「ピピィさま、パンを寄付してくださるとのこと……感謝申し上げます。女神ソフィアさまはあなたの善行をきっとご覧になっておいでです。ピピィさまと、経営されているお店に祝福があらんことを……」

「いえ、こんな寄付しかできなくてすみません。毎日パンを持ってきたいのですが生活があるもので……」


 法衣を着た威厳あるワンダに言われ、かえってピピィが恐縮した。


「聖女見習いさまは五十名ほどとお聞きしております。一人で二、三個食べても大丈夫な量がありますので……あの、聖女さまもお一ついかがですか?」


 ピピィがワンダへ苺パンを差し出した。


 ワンダはまじまじとパンを見つめたあとに、こほんと咳払いをして、口を開いた。


「申し遅れました。私は教育係のワンダと申します。それでは……遠慮なく、いただきたいと存じます」

「はい! どうぞどうぞ」


 ワンダが聖印を再度切り、苺パンを受け取って、じっくりと眺めた。


「ワンダさま、美味しいんですよっ」

「そうなのです。苺パンが身体を包み込んでくれますわ」


 ヒルネとホリーが駆け寄ってきて、興奮ぎみにワンダを見上げた。

 子ども二人の目の輝きがまぶしい。


 自分も昔はこうだった。世界が輝いて見えていたなと懐古し、ワンダは二人に

微笑んだ。


「……」


 お淑やかにワンダが苺パンをかじると、「まあ」と右手で口を押さえた。


「甘くて……苺の味が……美味しいです」


 普段見られない驚いた顔に、ヒルネは嬉しくなってホリーとピピィと目を合わせ「よかったね」と笑い合った。いたずらが成功したような、そんな笑みだ。


 その後、ワンダがピピィに詳しく事情を聞き、行き帰りが馬車であることから、ヒルネたちのおしおき千枚廊下掃除は一週間のところ、三日に減刑された。無断外出はやはり罰則であった。ワンダ、苦渋の決断と言った表情であった。


「今回はお手数をおかけいたしました。この子たちのために馬車まで手配していただいてしまい、後ほど、西教会からかかった費用をお送りいたします」

「とんでもないです! そんな恐れ多い! 聖女見習いさまに来ていただくだけで名誉なことですから、馬車のお金など――」

「ですが――」


 ホリーが二人のやり取りを申し訳なさそうに聞いている。

 一方、ヒルネは椅子に座り、パンの香りで眠くなっていた。


(……お腹いっぱいで……眠くて……パンの匂いに包まれて……)


 大人が話し合っているうちに、ヒルネはテーブルに突っ伏して寝てしまった。

 早業である。


 お腹いっぱいで眠るのは久々で、気持ちがよかった。


「あっ、ワンダさま。もうヒルネが寝てます」

「あら、本当ね。ちょっと目を離した隙に」

「……パンのおうち……えへへ……」


 長いまつ毛を閉じて、むにゃむにゃと寝言を言うヒルネ。

 ジャンヌのおみやげである苺パンを懐に隠し、大事そうに両手で抱えている。


「しかも変な夢見てるし……」


 ホリーがヒルネの頬をつついた。


「仕方ないわね。しばらく寝かせておきなさい」

「毛布を持ってきますね」


 手慣れた様子でホリーが食堂を出ていった。


「可愛い寝顔ですねぇ」


 パン屋のピピィが微笑みながら見下ろした。

 ヒルネが白い頬をバラ色に染めているのは、苺パンをたくさん食べたからだろうか。


「そうなんです……ヒルネの寝顔を見ていると、叱るものも叱れなくなってしまって……」


 ワンダがため息をついた。


 ヒルネは幸せそうな顔で、すう、すうと寝息を立てていた。


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