第14話 苺パン


 ヒルネの治療院での働きを見たママミラン司教が、早速上司である大司教ザパンへ報告した。


 それにより聖女昇格の会議が行われることになり、王都中央にある本教会に幹部たちが集まっていた。ヒルネの後見人でもあるゼキュートスもその中にいる。


「それでは聖女昇格可否会議を行います」


 進行役の司祭が号令して、会議がはじまった。



      ◯



 さて、そんな重苦しい本教会のやり取りなど知らないヒルネは、渋るホリーの裾を引いていた。


 治療院の翌日は魔力回復のために、軽い仕事のみになる。

 時刻は昼の三時だった。


「治療院でパン屋さんの店主とお知り合いになったんです。そのパン屋さんが、なんと、あの、見習いたちが噂している苺パンを売っていると言うじゃありませんか」

「それでタダで食べさせてくれるって? 冗談はやめてよ」

「冗談ではありません。私が骨折と一緒に虫歯と頭痛も治してあげたら、向こうから言って来たんですよ。ウチのパンをタダで食べさせてあげるって――」

「だとしても、また無断外出になるでしょうが」


 ホリーが生真面目に言って、ヒルネが握る裾を引っ張った。

 自分の手から裾が離れ、ヒルネはホリーを逃すまいと飛びついた。


「捕まえた」

「ちょっとヒルネ――」

「私は知っています。ホリーさんが食いしん坊だと言うことを……!」

「そ、そんなことありませんっ。敬虔な聖女見習いが食い意地が張っているなんて、あ……あるわけないでしょう」


 ヒルネが上目遣いに見てくるので、ぷいとホリーが顔を横へ向けた。


「こっそり行って、こっそり帰ってくれば平気ですよ」

「あなたこの前、叱られたばかりじゃないの」

「ワンダさんに心配をかけないため、パン屋さんが迎えに来る手はずになっています。ジャンヌは祭典の準備で抜けられないので、おみやげをあげましょう」

「私は行くって一言も言ってないわよ?」


 ホリーがヒルネを引き剥がし、一歩下がった。

 ヒルネに見つめられるとノーと言えなくなる。ヒルネ対策だ。


「苺パンは……甘くて……ふわふわで……口に入れると苺の香りがいっぱいに広がるんですって……夢見たいです……食べたいですねぇ……」

「……」


 思わずツバを飲み込んでしまうホリー。


 聖女見習いの食事は質素だ。ジュエリーアップルも最近実をつけなくなって、甘味に飢えていた。


 ヒルネが何かに気づいたのか部屋の窓から顔を出し、手を振った。


「ホリーさん。パン屋さんが来ました。行きましょう」

「……ほんっとうにしょうがないわね。別に行きたくはないけど、あなたが心配だからついていってあげるわ。あーあー、私ってお人好しよね」


 自分に言い聞かせるように肩をすくめ、ホリーがヒルネを見る。


「楽しみですね!」


 瞳を輝かせているヒルネに見つめられ、ホリーが顔を赤くした。


「……別に、仕方なくよ……」

「さあ、行きましょう」

「あっ。ちょっと引っ張らないでよ。ヒルネっ、もう……!」


(たくさん食べて幸せな気持ちでお昼寝しよう!)


 ホリーの手を引きながら、ヒルネは笑みが止まらなかった。



      ◯



 パン屋の店主は安全を考え、馬車を呼んでいた。

 ヒルネたちが乗り込むと五分ほどで到着する。馬車は決して安くはない。いかに店主が恩を感じているかがうかがえる。


「ヒルネさま、ホリーさま、こちらです」


 店主は二十代の女性であった。

 清潔なエプロンにキャスケットをかぶり、頬にはそばかすが散っている。鼻がつんと伸びているのが、機敏な印象を抱かせた。


 パン屋の名前は『ピピィのパン屋』だ。

 店主の名前から取っている。

 近所で人気の店は、ピピィパン、という愛称で親しまれていた。


「裏口からお入りくださいね」


 嬉しそうにピピィが二人をうながした。


 ヒルネは堂々と、ホリーは初めてパン屋の裏側を見たのか、ドアをくぐって興味深そうに首を動かしている。


 中には大きな窯と、寝かせているパン生地が木の板にたくさん乗っていた。

 今も何かを焼いているのか窯からは炎が見えていた。工房を進むと店内だ。パンを買いに来た客がいる。


(はあ〜っ。パンの甘い匂い……たまらんよ……)


 ヒルネは工房へ戻り、逃してなるものかとスーハースーハー鼻で息を吸った。


「ロールパン、食パン、フルーツパン、クロワッサンはないんだ……ああっ。噂の……、ホリーさん、これを見てくださいっ」

「こ、これは……ッ!」


 ヒルネとホリーは焼きたてであろう、ピンク色をしたパンを見つけた。

 香ばしい焼き具合が星屑と見紛うばかりの光を反射させており、苺の甘い香りを周囲に漂わせていた。


(これは絶対に美味しいやつ……間違いない!)


 ヒルネは興奮して、笑顔を向けているピピィを見上げた。


「こちらが当店一番人気、個数限定の苺パンです」

「おお……おおおっ……」


(贅沢品は前世でもほとんど食べたことがない……すごい……本当にタダでもらっていいのかな。さすがに悪い気がしてきた……)


 ヒルネは苺パンを目の当たりにして、申し訳ない気持ちになってきた。


 目は何よりも雄弁だ。

 眉を寄せ、それでも瞳を輝かせているヒルネに見られ、店主ピピィは気持ちを察して胸がキュンと締め付けられた。


「ヒルネさま、食べていいんですよ。手を洗ってください」

「本当にいいんでしょうか? やはりお金を払わないのは気が引けます」

「私の気持ちです。頭痛と歯痛がなくなって、仕事がいつもよりはかどるんです」


 ピピィは自然とヒルネの頭に手を乗せて、ゆっくり撫でた。


「ピピィさん、ありがとうございます」


 ヒルネは笑顔を作って水場で手を洗い、苺パンを手に取った。

 そこで、一人忘れている人物を思い出した。


「ホリーさん? どうして固まっているのですか?」


 ホリーの肩を叩くと、彼女はハッと我に返った。


「こんな可愛くて素敵なパンを食べられるのが夢みたいで……」

「ピピィさんに感謝ですね」


 にっこりとヒルネが笑う。

 ホリーがピピィへ丁寧に礼を言った。


「工房には椅子がないんだった……どうしようかな」


 手を洗ってきたホリーを見て、店主ピピィがつぶやいた。

 忙しく動き回るため、邪魔になる椅子は置いていない。


「立って食べますよ?」

「それはいけません。聖女見習いさまに立ち食いをさせたとなっては、家族に怒られてしまいます。あ、そうだ。店先にベンチがあるので、そちらで食べてください。食べ終わったら戻ってきてくださいね」

「わかりました」

「ありがとうございます」


 ヒルネ、ホリーが礼を言って、店外に設置されているベンチに腰をかけた。

 金髪碧眼の少女と、水色髪の少女が仲良さそうに苺パンを持ち、腰を下ろした。


「人がたくさんいるわね」


 ホリーが言った。

 商店街には人が行き交っている。


「そうですね。皆さんが幸せに過ごせるのも、いま頑張っている先輩聖女のおかげですね」

「たまにはいいこと言うじゃない」


 そう言いながら、ホリーは何度も苺パンへ視線を落とす。


「食べましょう」

「ええ、そうしましょう」


 ヒルネとホリーは同時のタイミングで苺パンにかじりついた。


「……!」


 ヒルネは「んん〜」と頬を押さえて足をぱたぱたさせ、ホリーは天に昇るような甘い表情を作った。


(あまーい、美味しーい。幸せだ〜。パンがもふもふしてる。口の中で苺とミルクの味が混ざって……天国だ……)


 ヒルネが頬をリスみたいにふくらませて苺パンを食べる。

 ホリーも「んふふ」と頬を赤くさせて微笑みながら苺パンを頬張った。

 やがて食べ終わると、二人は顔を見合わせた。


「美味しかったです!」

「すっごく美味しかったわ!」

「なんかもう、苺の匂いとふわふわに包まれて眠くなりました」

「そうなのよ。すごいのよ。苺なのにパンなのよ」


 二人は感想を何度も言い合い、苺パンのいいところを語り尽くした。

 やがて、お礼をしようと言う話になり、二人でパン屋を浄化する流れになった。


 ホリーがベンチに座ったまま目を閉じ、聖句を唱え始める。


「聖なる星々が我らの地から不浄を洗い流すとき――」


 魔法陣が展開されると、ヒルネも合わせて聖魔法を行使し、魔法陣を浮かび上がらせた。

 聖句が刻まれ、白く発光する魔法陣が二重に重なり合い、二人の身体から星屑が舞う。


「な、なんだ?」「星屑?」「パン屋が光ってる!」


 通行人が気づき始め、店の中からあわててピピィが飛び出してきた。


「これは――」


 星屑が祝福するかのように躍りながらピピィのパン屋を包み込んでいく。

 小さな少女二人から、次々に星屑が溢れ出てくる。


 ピピィは棒立ちになってその光景に目を奪われた。


「聖女の祝福――うちの店に――」


 多忙を極める聖女の浄化魔法は大金を積んでも受けられない。

 商売人にとって店の浄化は奇跡であり、とてつもない幸運であった。


 ピピィは帽子を取って、何度も何度も聖印を切る。


「なんて尊い――尊い――」


 いつしか通行人が遠巻きに集まって頭を垂れていた。


(ピピィさん、美味しいパンを食べさせてくれてありがとう。ホリーさん、一緒にパンを食べてくれてありがとう。あなたのおかげでパンが百倍美味しかったです。女神さま、この世界の私は幸せです。皆さんとっても優しいんです――)


 幸せな気分のヒルネに呼応するように、星屑が楽しそうに少女二人の回りで躍り、跳ねている。

 ヒルネは美味しいパンの分だけ感謝を祈り続けるのであった。

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