七日目・迷い
(……さて、どうするべきかな……?)
桔梗との話を終えた蒼は、やよいの部屋まで続く廊下を歩きながら彼女から提示された条件について考えていた。
暗く重く圧し掛かる自身の過去という問題に対して、いつかは向き合わなければならない日が来ることは覚悟していたつもりだ。
しかし、まさか自分が覚悟を固めたこのタイミングで不意に立ちはだかってくるとは思いもしていなかった蒼は、小さく息を吐くと共に己の運命を呪う。
桔梗の行動は何も間違ってはいない。血が繋がっていないとはいえ母として娘のことを思うのは当然のことであり、その伴侶となる男性に誠実さを求めるのは当然のことなのだから。
その期待に、願いに、自分が応えられればなんの問題もなかった。そう、自分が応えられさえすれば、何一つとして問題は存在しなかったのだ。
出来るだろうか、自分に。己の過去を、最も話したくない秘密を、誰よりも傍にいてほしい人に話すことが。
やよいのことを信頼していないわけではない。彼女ならきっと、自分のどんな傷だって優しく受け止め、包み込んでくれるはずだ。
問題は、蒼自身。自分の最も忌むべき記憶を受け入れることが出来ない、弱い自分自身こそが最大の問題だった。
あの男のことを、父のことを考えると、どうしても憎しみが先に立ってしまう。
やよいに己の過去を話すとするなら、彼のことも話さねばならないだろう。そうなった時、自分は普段の自分自身を保っていられるだろうか?
憎しみに身を任せた瞬間、やよいにだけは見せたくない、本当の自分が出てしまいそうで……それがどうしても恐ろしい。
自分の弱さを受け入れられない、本当に弱い人間だなと自身を嘲笑した蒼は、情けない笑みを浮かべてその場で立ち止まっていたのだが――
「たっだいま~! あれ、蒼くん? どうしたの? そんなところで立ち止まっちゃってさあ」
「あぁ……やよいさん。おかえりなさい」
どたどたと足音を響かせながら、同じく自分の部屋へと向かっていたやよいと鉢合わせた蒼は、自分の心の中とは正反対の明るさを見せる彼女の姿に少しだけ救われた気分になった。
対してやよいは、普段とは違う雰囲気を蒼から感じ取ったのか、訝し気な表情を浮かべながら彼の顔を覗き込む。
「む~……? 蒼くん、なんか変だよ? 悪いものでも拾い食いした?」
「君じゃないんだからそんなことしないよ。ちょっと、考えごとがあってね」
「ふ~ん……ま、大いに悩みたまえよ、少年! そうして子供は大人になるのだから! はっはっはっはっは!!」
愉快気に、楽し気に、そう言って蒼の不安を吹き飛ばすように笑うやよい。
おそらくは、蒼の悩み事が自分と過ごす今晩の行動についてだと考えたであろう彼女は、深くは突っ込まずに彼の中でその問題を処理するよう、敢えて踏み込まないことにしたようだ。
下手をすれば、ようやく縮まった距離が元通りどころか、逆に離れてしまうかもしれない……そんな風に考えているのは自分だけではなく、やよいも同じなのだろう。
自分だけでなく、彼女もまた多少の怯えや恐怖を抱いているということを悟った蒼は、改めてこれが自分だけの問題ではないことを強く実感する。
やよいを欲しいと望むのならば、彼女にも桔梗にも誠実さを示さねばならないと……そう、自分のすべきことを見定めた彼は、やよいの頭を優しく撫でながら彼女へと言った。
「大丈夫、大丈夫だよ。少しだけ、考える時間があればなんとかなるから……」
「……蒼くんがそう言うなら信じるけどさ、あんまり抱え込まないでよ? そんな思いっきり重圧感じる必要なんてないんだからね?」
やよいが彼女なりの気遣いの言葉を蒼へと送ってみせれば、彼はひらひらと手を振ってその言葉に応える。
やはり普段とは違う雰囲気を漂わせる彼の姿に若干の違和感を抱きながらも、今晩訪れるであろう大勝負のことを考えればそれも当然かと思い直したやよいは、自分もやや落ち着かない気分を抱えたまま、彼と共に自室へと戻っていくのであった。
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