六日目・就寝


「……ああ、あ、安心して! この勢いのままやよいさんに手を出すとか、そんなつもりは一切ないから!!」


「へっ? あ、そうなの……?」


 ここでようやくやよいの困惑を感じ取ったらしき蒼が大慌てで彼女の懸念(期待ともいう)を払拭するような言葉を発しながら手を振ってみせる。

 その様子からこれが嘘ではないことを察したやよいが軽い安堵の気持ちを抱く中、咳払いをして気持ちを落ち着けた蒼は改めてこう話を切り出した。


「あ、あくまでこれは僕自身の意思表示であって、君にそれを受け入れろという強要をするつもりはこれっぽっちもないんだ。やよいさんが怖いというのならすぐに布団の位置も元に戻すし、僕の意志を尊重しろと言うつもりもない。あくまで君が許してくれるなら、ある程度は距離を詰めておこう……ってだけの話なんだよ」


「……とかなんとか言って、あたしが油断したところを襲おうとか思ってない?」


「ないない! 思ってない!!」


「明かりを消した瞬間に狼になって、あたしのことを食べちゃおうとか思ってない?」


「一切合切! 天地神明に誓って! そんなことは考えてません!!」


 全力を以て、途轍もない勢いで、やよいからの言葉を否定してみせる蒼。

 そこまで本気で否定されるとそれはそれでなんだか腹が立つなと思いつつも、やよいは自分の不安が現実のものとなることはなさそうだと判断し、ほっと一安心した。


(まあ、考えてみれば蒼くんだしね。いっきにどががっと襲いに来れるような性格してたら、そもそもここに辿り着くまで六日も掛かってないもんね)


 改めて考えてみれば、こうして彼と自分の部屋で夜を過ごすようになってから六日もの時間が過ぎている。

 その間、彼は自分に手を出すことどころかむしろ目を逸らすようにしながら毎日を過ごしていたはずだ。


 確かに布団を近付けたということは、蒼の性格から考えれば大きな進歩ではあるが……逆にいえば、その程度の進歩しかしていないのである。


 ようやく彼が一歩踏み出したことに驚いていたやよいも、それがたかだか一歩目であるという事実に気が付いて徐々に冷静になってきた。

 大丈夫、まだ自分の方が関係性は優位であると、まだまだ蒼のことをお尻に敷き続けることが出来ると、自分自身に言い聞かせた彼女は、ふうと大きな溜息を吐いてから再び普段の調子を取り戻したようだ。


「にゃははっ!! そんなに慌てないでよ~! 蒼くんも頑張ったみたいだし、あたしも殿方の決意を無下にするような女じゃありませんって! 別に気にしないからさ、むしろくっつけるくらいに布団を寄せてみれば?」


「い、いや、それはまだ覚悟が出来ていないっていうか……流石に今はそこまで大胆なことは出来ないかな、って……」


 からからと笑いながらいつも通りにからかうような言葉を投げかけてみれば、蒼も普段の女性に対する免疫がない童貞くさい雰囲気で返事を口にしてみせる。

 これで完全に自分たちの関係性も元に戻ったと、ようやく完全なる安心を得たやよいは、残っていた団子を袋に包むと、行燈へと手を伸ばしながら彼へと声をかけた。


「ふぅ、驚いちゃったから今日はもうお夜食はいいかな? 残りは明日食べるとして……そろそろ寝よっか、蒼くん」


「あ、ああ……そうだね、そうしようか」


 このやり取りで少し疲弊した蒼も、就寝を望むやよいの言葉に肯定の意を示す。

 彼の反応を確認した後、改めて行燈へと手を伸ばしたやよいは、それを弄って明かりを消すと、布団の中に潜り込みながら暗闇の中にいるであろう蒼へとおやすみの挨拶を口にする。


「おやすみ、蒼くん。また明日ね」


「うん、おやすみなさい……」


 ここ六日間で繰り広げられたのとほぼ同じ、静かな就寝の時間。

 暗闇に満たされた部屋の中で、静寂と共に押し寄せる眠気に微睡ながら、やよいはふわふわとした思考で蒼の言動について考えていた。


(いや~、蒼くんも頑張ったなあ! あたしも少しは動揺しちゃったけど、蒼くんは蒼くんだよね! 二人きりで過ごし始めて六日目でようやく布団を近付けるところまでこぎつけるだなんて、勇気を出しても蒼くんは蒼くんだなあ!!)


 蒼も頑張りを見せたが、やはりまだまだだ。

 ここで一気に自分を押し倒すくらいの気概がなければ、立場というか攻守が逆転するはずもない。


 これならば蒼との関係に変化が訪れるまで大分時間はかかるだろうと、そんな安心感を胸に眠りに就こうとしたやよいであったが……そこでふと、先程の彼の言葉を思い出し、何か違和感を覚える。


『い、いや、それはまだ覚悟が出来ていないっていうか……流石に今はそこまで大胆なことは出来ないかな、って……』


 それは一見すると普段通りの蒼の態度から発せられた、ヘタレな彼の反応だと思えるだろう。

 だがしかし、やよいには何かその発言に対して違和感のようなものが感じられている。


 いったいどこが変なのか? 何に違和感を覚えているのか……と、考え続けた彼女は、その答えに気が付くと共に感じていた眠気が一気に吹き飛ぶほどの衝撃に瞑っていた目を大きく見開いてしまった。


(ま、まだ……? 今は……? え? それってつまり、将来的には手を出すつもりってこと? いつ? どの時期で?)


 これまでずっと、蒼はやよいに手を出すつもりはないだとか、そんな不埒な真似はしないと断言し続けてきた。

 しかし、先の発言を振り返ってみるに、あくまで今日は手を出さないだけで、そのうち彼女との関係を深めるつもりだという意思が明らかに見え隠れしているではないか。


 『今は動揺しているだろうし、すぐに手を出すのは止めるね。ただ、君が落ち着いたら食べるつもりだから、その覚悟はしておいてね』……先程の蒼の言葉を言い換えると、こういうことになると気が付いたやよいが再びパニック状態に陥る。

 ただ布団を近付けただけでなく、そういった意思表示を行った蒼の真意に気付けなかった自分自身を恥じると共に、彼に気を遣われたことに対する動揺で大きく心を震えさせる中、彼女はもう一つの恐ろしい事実に思い至った。


(今日は、六日目。明日は、七日目……蒼くんと同じ部屋で眠る、最終日……!!)


 桔梗曰く、蒼の部屋の修理には一週間を要するとの話だった。

 つまりは明後日には彼の部屋は修復され、そうなったら蒼も自室で就寝するようになるのだろう。


 明日が、自分と蒼がこうして二人きりで、誰の邪魔も入らずに夜を過ごせる最後の日。

 こんな絶好のチャンスは次にいつ回ってくるかわからない。それをむざむざ見逃すというのはあまりにももったいない話だ。


 ならば、ならば、ならば……この好機に、蒼が勝負を仕掛けてくる可能性は十分にある。

 今日という日は、この布団を近付けるという行為は、そのための前準備なのではないだろうか?


 ごくり、とやよいが息を飲む。

 眠気が吹き飛び、完全に冴えてしまった目を開いた彼女は、自分が許可した布団を接近させるという蒼の行為の裏に、なにかとんでもない思惑があるのではないかという考えに至りながら、こんなことを考えていた。


(だ、抱かれる……? もしかしてあたし、明日蒼くんに食べられちゃう……?)

 

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