?日目・???


 ……桜の花が舞っている。楽しそうに騒ぐ、賑やかな人の声が聞こえてくる。

 きっちりとした正装に身を包んだ多くの人々の視線を浴びる小柄な少女の姿を、蒼もまた黙って見つめていた。


 表裏白一色、穢れを知らない乙女としての衣装である白無垢を纏った彼女は、それに見合った化粧を施した顔を赤く染めている。

 本日の主役であり、この場に集った全員から祝福されている彼女の姿を目にした蒼は、自分の心臓がどきりと高鳴っていることを感じていた。


 おめでとうと彼女に言ったのは、誰だっただろうか?

 燈? こころ? 栞桜? 涼音? それとも、他の誰でもない自分自身?


 めでたい場のはずだ、心から彼女の幸福を祝福すべき場面であるはずだ。

 だが、どうしてだろうか? そんな気持ちとは裏腹に、自分の心が沈んでしまっているのは?


 相反した感情を抱き、その不可思議さにもやもやとした晴れぬ感情を募らせる蒼。

 そうやって、彼が一人悩みを抱える中……もう一人の主役が、彼の前に姿を現した。


 それが誰なのかは、蒼には判らない。顔もよく見えないし、見えたとしても誰だなんてことは判らないのだろう。

 ただ一つだけ確かなのは……その人物は、やよいの夫となる人物であるということだ。


 聡い彼女が選んだ男性だ、きっと優しく、強く、彼女のことを大切に想ってくれる立派な人間なのだろう。

 必ず、彼女のことを幸せにしてくれる。心配など、何もする必要なんてない。


 そう、頭では理解しているのに……どうしてだろうか、心臓を鷲掴みにされたような苦しい気分になってしまうのは。


 幸せそうに微笑みながら、夫婦の契りを行おうとするやよいの姿を見ていると、どうしてだか胸が苦しくなる。

 手放しで祝福すべき場面なのに、彼女が女性としての幸せを掴もうとしている晴れ舞台だというのに、それを心の底から喜ぶことが出来ない。


 何故だろうか? どうしてだろうか? 自分はそんな、仲間の幸せを喜べない酷い人間だったのだろうか?

 自問自答と自己嫌悪を繰り返して、自分から離れていくやよいの姿に物悲しさを感じた蒼が、その背に思わず手を伸ばした時、敬愛する師匠の声が響いた。


『そうか、そうなんだな? なら、別に構わん。そのまま手出しをせずにいれば良い。ただし、その結果どんなことになったとしても、後悔はするなよ?』







「はっ……!?」


 跳ね上がるように目を覚ました蒼は、周囲の光景が賑やかな祝言から物音一つしない寝室に移り変わっていることに気が付くと共に、自分が今まで夢を見ていたことを理解する。

 少し離れている位置ですやすやと寝息を立てているやよいの姿を確認した蒼は、彼女を起こさずに済んだことに安堵しつつ、胸に込み上げる恐れのような感情に口元を覆った。


 どうして自分は、あんな夢を見てしまったのだろう?

 やはり、昼に聞いた話が原因なのだろうか?


 やよいは今日も昨日と同じくらいの時間に帰ってきて、楽しそうに笑っていた。

 逢引の最中、相手の男性とどこまで関係を進展させたのかは判らないが、夜伽まではいっていないことは確かだろう。


 だが、抱擁だとか、接吻だとか、そういったある程度まで関係を深めた男女が行う行為に手を出していないかどうかまでは、蒼には判らない。

 やよいが相手の男性のことをどう思っているのかも判らないが……少なくとも、連日顔を合わせたいと思うくらいには好感を抱いているようだ。


 また明日も、彼女は朝から出掛けると言っていた。

 多分、逢引の相手である男性に会いに行くのだろう。


 今日彼女は、どこに行ったのだろうか? どんなことを話したのだろうか? どんな思い出を作ったのだろうか?

 逢引の最中、彼女がどんなことを考えたのか……知りたいようで知りたくない、複雑な気持ちを抱えた蒼が、すっかり冴えてしまった目で夢の世界に旅立っているやよいを見やる。


 もしかしたら……あの夢は、遠からず現実のものになるのかもしれない。

 自分と彼女の心地良い関係は永遠のものではないと、そう説教された昼間の会議の記憶を振り返りながら、蒼は思う。


 このままやよいが彼女に想いを寄せる若旦那とくっついて、順当に関係を深めて、夫婦の契りを交わして……そうやって、自分から離れていく未来だって、当たり前のように存在している。

 そうなった時、自分はやよいのことを祝福出来るだろうか? 彼女が幸せを掴んだことを、心から喜べるだろうか?


 そしてなにより……のだろうか?


 師匠の、親友の言葉が、鉛のような重さを持ちながら心に圧し掛かってくる。

 彼らの言葉の意味を理解した蒼は、深い溜息を吐くと共に布団から出て、やよいの部屋からも出ていった。


「………」


 その寸前、振り返って三度眠りこけるやよいの姿を見つめる蒼。

 可愛らしく寝息を立てる彼女の姿に胸の奥がかき乱されるような感情を覚えた彼は、ゆっくりと首を振ると後ろ手に襖を閉め、廊下を歩んで行く。


 このままでは駄目だ。今の自分は正常な状態ではない。

 こんな状態では、蒼天武士団の団長として相応しい働きをすることなど、到底出来はしない。


 振り払わなくては、この迷いを。がむしゃらに、懸命に、この理解出来ない感情を霧散させなくては駄目だ。

 だがしかし、その方法などまるで見当もつかないままに、蒼はその答えを模索するように暗闇の先に延びる廊下を歩んでいくのであった。


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