エピローグ・新しい頭痛の種


「にしても蒼くんも大変だね。部屋、壁も天井も襖も壊れちゃったんでしょう?」


「あ、ああ……うん。お陰で随分と解放的な部屋になったよ」


「にゃははっ! ちょっと面白いね! でも、住みにくそ~!」


 他人事のように(実際他人事なのだが)自分の不幸を笑うやよいに、ちょっとだけむっとした表情を浮かべる蒼。

 だがまあ、今回の一件に関してはやよいには一切の非はなく、彼女を恨むことは筋違いだと理解している彼は、小さく溜息を零すと愚痴を聞いてもらう方向に考えを切り替えたようだ。


「住みにくいなんてもんじゃないよ。無理、住めない。今日から僕はどこで寝泊まりすればいいってのさ……」


「あ~、可哀想だね~……でもさ、宗正さんが屋敷を追い出されて、庭に建てられた小屋で生活することになったんでしょ? 部屋の修理が終わるまでの間は、そこで暮らせば――」


「無理。師匠の部屋も僕の部屋と大差ない状況だから」


 やよいの提案を否定た蒼が、昨日の騒動のその後を思い返す。

 適度に宗正を折檻し、多少の落ち着きを取り戻した自分たちは、そのまま宗正を引き摺って彼の部屋へと踏み込んだ。

 そして、ありとあらゆる物を破壊し、その内部を確かめ、彼が隠し持っていた春画全てを発見し……そこでようやく、昨晩の騒ぎはひと段落を迎えたのである。


 春画捜索の際、ちょっとばかし気合が入り過ぎてついつい壁やら何やらを壊し過ぎてしまったと反省する蒼。

 それも師匠である宗正が自分に罪を擦り付けようとした上に、やよいとの関係性を揶揄ったことが原因だと憤慨しつつ、どうも彼女が関わると自分が冷静でいられなくなってしまうことを自覚した彼が大きく咳払いをしてその感情を振り払う。


 とにかく、この件に関してはこれ以上考えないようにしよう。

 昨日の自分は完全に冷静じゃあなかった。やよいに春画の件をどう誤魔化すかを必死になって考えていたせいで動揺していたから、ああなってしまったのだ。


 普段の自分なら、あんな妙な雰囲気にはならない。

 ああなったのは一時の気の迷いというやつで、冷静になれば何事もなくやよいと接することが出来るはずだ……と、自分自身に言い訳がましい言い聞かせを行っていた蒼の耳に、自分でもやよいでもない、第三者の声が届いた。


「やよい、入るよ。ここに蒼の坊やはいるかい?」


「あ、おばば様! どしたの? なにか用? お酒を持ち出したことへのおしおきは今は勘弁してよ。頭が割れるみたいに痛いんだからさ~」


「そいつに関しては勘弁してやるよ。あんたも十分に災難な目に遭ったしね……用があるのはあんたじゃなくって、蒼坊やの方さ」


「僕にですか? もしかして、壊れた部屋についての話でしょうか?」


「ああ、そうさね。部屋の修復が終わるまでの間、あんたを何処に住まわせようかって話なんだけどさ――」


 蒼を探してやよいの部屋まで訪れた桔梗は、彼と対面すると当然といえば当然の話を切り出した。


 なんだかんだで桔梗も彼の部屋の破壊活動に一役買ってしまったわけだし、暴れるだけ暴れて後は放置だなんてのは流石に蒼が可哀想過ぎる。

 しっかりと、その後の補填もすべきだという家主の判断に感謝する蒼であったが……次の瞬間、彼は自分の目の前で訳の判らない事態が起きたことに目を細めて首を傾げる羽目になった。


 がちょん、がちょん、という音を立てて、桔梗の背後から数体のからくり人形が姿を現す。

 彼らは手にしていた大きな荷物をやよいの部屋に下ろすと、適当にそれを彼女の部屋に設置していった。


「……あの、桔梗さん? つかぬことをお聞きしますが、あのからくり人形が持って来た物って、僕の部屋にあった私物ですよね?」


「そうだよ。執務用の机に武士団関連の書類が収められてる箱、衣類をしまう棚に布団に武神刀の手入れに必要な道具と、生活と仕事に必要な物は大体持って来たはずさ」


「えっと、その……どうして僕の部屋にあった物を、やよいさんの部屋に持ち運んでいるのでしょうか?」


 何か、ものすごく……嫌な予感がする。

 ひたひたと自分へと迫る不吉な予感に怯える蒼が、粛々と丁寧に仕事をこなすからくり人形たちの仕事っぷりを見守っている桔梗へと震える声で質問を投げかけてみれば、彼女はさも当然といった様子で、その質問に対する答えをさらりと言ってのけた。


「どうしてって、坊やには今日から暫くここで生活してもらうからに決まってるじゃないかい」


「……はい? はいぃぃぃぃっ!?」


 桔梗の答えを聞き、その言葉の意味を理解するまで数秒の時間を必要とした蒼は、彼女が何を言っているかを完全に理解すると共に大きな声で叫ぶ。

 つまり桔梗は、部屋が直るまでの間、自分にやよいと共にこの部屋で寝泊まりしろと言っているのだ。


 うら若き乙女であるやよいと、健全な一般青年である自分を、一つの部屋の中で共に過ごせと言うだなんて、何を馬鹿な……と、驚愕に言葉を失う蒼へと、一切の迷いを感じさせない顔をした桔梗が声をかける。


「悪いけど空き部屋がなくってね、誰かと相部屋してもらうことは確定なんだ。宗正の部屋は昨日ぶっ壊しちまったし、百元の部屋は研究道具やら発明品やら危険な薬物やらがいっぱいで誰かを受け入れる隙間はない。燈坊やの部屋にあんたを住まわせたら、それをダシにしてこころや涼音の嬢ちゃんが入り浸って、新しい騒動の種になるのは目に見えてるからね……というわけでやよいの部屋に住んでもらうことになった。そこんとこ、よろしく頼むよ」


「い、いやいやいや! どうしてそこでやよいさんが出てくるんですか!? もっとこう、他に選択肢があるでしょう?」


「と言われてもねえ……こころや涼音の嬢ちゃんの部屋や、栞桜の奴との相部屋じゃあ流石に無理があるし、私の部屋も針仕事に使うから住まわせてやるのは難しいしねぇ……でも、やよいなら左程問題はないだろう? 少なくとも、この屋敷に住まう女性の中であんたと相部屋をさせるなら、やよい一択になると私は思うがね」


「それはそうかもしれませんけど、だからといって本当に相部屋にさせます!? 僕も一応、男ですよ? 若い男女を同じ部屋に住まわせて、万が一にも間違いがあったらどうするんですか!?」


 ややぶっ飛んだ、というよりも無理がある桔梗の弁に強硬に反対しつつ、彼女にこの相部屋の危険性を熱く語る蒼。

 どうにかしてこの危ない状況を回避しようと全力を尽くす彼であったが……次の瞬間、最早そんなことをしても無駄だということが理解出来る一言が、桔梗の口から発せられた。


。手を出したきゃ、出せばいい」


「……は?」


「坊やが望むなら、やよいを抱いても良いって言ってんのさ。あんたなら中途半端なことにはならないだろうし、そうなったらそうなったできちんと責任を果たそうとするだろうからね。言うなればこれは、やよいの育ての親である私が公認した同棲ってやつだ。そこで何があろうとも、別にわたしゃ蒼坊やを責めたりなんかしないよ」


「は、はぁ……!?」


「そういうわけだから、気を楽にして過ごしな。一週間もあれば部屋も直るだろうから、それまでの期間をどう過ごすかは坊やの自由にしていいよ。それじゃあね」


 ぽん、と蒼の肩を叩いて、無責任にも程がある言葉を口にした桔梗がからくり人形たちと共に部屋を出て行く。

 公認だとか、何をしたっていいだとか、そんな言葉がぐるぐると回る頭の中に浮かび上がってきたのは、外堀を埋められたという感覚だった。


 あの様子から察するに、本当に桔梗は蒼がやよいに手を出しても構わないと思っているどころか、手を出してくれたら万々歳だとでも考えているようだ。

 恐らく、探せば空き部屋はあるだろうし、頑張れば男性陣の部屋に蒼を同居させることも可能なのだろうが、敢えて彼女はそうしなかった。

 この屋敷の主という立場を利用して、娘のあれやこれやを応援するつもりなのだ。


 桔梗の思惑と自分の現状を理解した蒼は、そこまで考えを巡らせた後に首を捻って背後へと振り向く。

 そうして、自分と親代わりの女性との会話を聞いていたやよいへと視線を向けてみれば……彼女はほんのりと頬を紅く染めながら、少しだけぎこちない笑みを浮かべてこんなことを言ってきた。


「あ、あはははは……!! いや~、男の見せどころだね、蒼くん! 据え膳食わぬは男の恥っていうし、ここはがばっといっちゃおうよ! あ、でも今日は止めてほしいな。頭痛いし、可愛い下着もつけてないから、さ……」


「ぐぅ……っ!!」


 最悪と最高、こういう時にどちらの表現を使うべきか、蒼には判断がつかなかった。

 考え方によればこれは物凄い不幸であり、とんでもない幸運でもあるのだから。


 やよいと、この部屋で、一週間共に過ごす? 手を出しても良いと親からの許可を得た上で、そのことを意識させられた上で、彼女と幾日も夜を過ごせと?

 考えただけで気が遠くなるような状況に眩暈を覚えながらその場にへたり込んだ蒼は、頭を抱えながら小さな声で呟いた。


「あ、頭が……僕も頭痛がしてきた……誰か、助けて……!!」


 二日酔いの痛みより、大きなたんこぶをこさえた頭痛より、この心労で覚える頭の痛みの方が強い。間違いなく、断言出来る。

 折角、春画による騒動が終息を迎えようとしているというのに、どうして自分の身にはこうも次から次へと厄介な出来事がやって来るのかと、これからの日々に思いを馳せた蒼は、頭をガンガンと揺さぶる痛みに顔を顰め、大きな溜息を吐くのであった。

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