全ては彼女の掌の上


 その申し訳なさそうな声色に、涙を湛えた表情に、声を詰まらせる燈。


 確かに彼の非はとても小さいし、こころの言っていることは正しい。彼女は燈のことを責めてもいないわけで、反省の弁を述べているだけだ。

 だかしかし、その反応こそが燈にとって最も効く行為だったのである。


 実に滑稽な話だが……男とは、大概にして女の涙に弱い生き物である。

 特に燈のような、実直で女の扱いに慣れていない青年はその特徴が顕著で、自分に非はないと判っていても女の子を泣かせたという事実のみでとても強い罪悪感を抱いてしまうくらいに彼は単純なのだ。


「い、いや、別に……俺はお前たちを責めてるってわけじゃなくて、だな……その、ただおしおきだけは勘弁してもらえないかな~って……」


「気を遣う必要はないよ。こっちこそごめんね。勝手に燈くんがえっちな本を持ってると思い込んじゃってさ……恥ずかしかった、よね? 本当にごめん、ごめんね……」


 申し訳なさそうに謝罪の言葉を連呼するこころの姿を見ていると、どうしてだか胸が苦しくなる。

 栞桜のように怒りを前面に押し出して詰め寄られても困るが、今のこころのように申し訳なさを全開にしての謝罪の連発もまたそれを受ける燈にとっては困る反応なのだ。


 そうやって、燈がちょっとずつ自己嫌悪に陥っていけば、段々と自分も悪かったんじゃないかな~という想いが深まってしまう。

 勘違いしたはしたが、栞桜や涼音と違ってこころには家事をするという正当な理由があって自分の部屋に入ったわけだし、彼女が宗正から預かった春画を見つけてしまったのも、自分の管理が甘かったという点は否定出来ない。


 そうなると責任を彼女たちに擦り付けるような真似をするのは気が引けてくるし、こうしてこころを泣かせることも自分の本懐でもないしで、燈はほとほと困りながら自分の僅かな罪を何倍にも拡大させて感じるようになってしまっていた。


(考えてみりゃあ、元々の原因は師匠だとしても、それを安請け合いしちまったのは俺の責任だからなあ……きっちりその部分に関しては謝っておかなきゃ駄目だよな……)


 俗に言う、「あ~、○○くんが××ちゃんを泣かせた~」という、小学生くらいの年齢の男子と女子とのいざこざを想像してもらえばいい。

 仮に男子の側に非がなかろうとも、自分よりか弱い女の子を泣かせたという罪悪感が強まれば強まるほど、どうしてだか謝罪しなければならない気持ちになってしまう。


 そこにクラスメイトの女子たちによる圧力が加わったり、先生の「喧嘩両成敗だからどっちも謝ろうよ、ね?」のような事を丸く収めるための方便が加わったりすると、非の大小に関わらず男子の方も頭を下げることになるなんてのは珍しくない話だ。


 そんな風に、過去の経験というべき振り返りの果てに一応はきっちりと自分の非をこころたちに謝っておこうと判断した燈は、深々と頭を下げると三人娘に向けて謝罪の言葉を口にした。


「その、悪かったよ。師匠の頼みとはいえ、ああいう本を女子が出入りする部屋に置いておいたのは俺の失態だ。騒動の片棒を担いだ者として、そこはきっちりと謝る。ごめんなさい!」


「いやいや、いいよ。燈くんは悪くないわけだし、私たちに迷惑をかけられた側だしさ」


「いやいやいや、俺にも悪い部分はあったんだ。責任逃れみたいな感じでお前らに罪を擦り付けて、ごめんな」


「いやいやいやいや、私たちの方こそなんの罪もない燈くんにこうして詰め寄っちゃったりして……本当に、ごめんなさい」


「いやいやいやいやいや、別に俺だって無罪ってわけじゃあないし――」


「いやいやいやいやいや、いやいやいやいやいや――」


 ……なんとも、見るだけならば滑稽な謝罪合戦が、こころと燈の間で繰り広げられていく。

 よく言えば美徳、悪く言えば謙遜が過ぎるやり取りを繰り広げる二人のことを、涼音と栞桜は少し戸惑いながら見つめていたのだが……。


「本当、俺が悪かったよ。誤解させた点に関しては言い訳のしようがない俺の失態だ。きちんと、その辺については椿たちにもを見せてだな――」


 ぴくりと、燈がそんな言葉を口にした瞬間、こころの両肩が震えた。

 おそらく、燈が普段通りの鋭さを有していたならば、彼女の雰囲気が変わったことにも気付けていたに違いない。


 ゆらりと異様なオーラを纏い、今も尚自身に対する謝罪の言葉を述べ続けている燈の目を真っ直ぐに見つめたこころは……小さな笑みを浮かべながら、こう言ってのけた。


「燈くん今、……って、言ったよね?」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る