裁判開始



 食事という絶対的なライフラインを人質に取り、脅迫としか取れない発言で一同を追い込むこころ。

 完全に巻き込まれ損な蒼も表情を強張らせているが、ここで下手に彼女の機嫌を損ねれば言葉通りに明日からの食事がとんでもないことになりそうなので黙っておくことにした。


 そうした後、ヒキガエルのような呻き声を漏らしながら苦し気に顔を顰める燈をようやく解放したこころは、畳にへたり込む彼の顔を覗き込みながら極寒の笑みを見せつけ、質問を口にする。

 

「それで? 燈くんは栞桜ちゃんと何をしてたのかな?」


「うぐぅ……!?」


 物理的な圧迫からようやく解放されたと思ったら、今度は精神的な追い込みがやって来た。

 首を絞められていた時以上の息苦しさを感じる燈は、妙な圧を放つこころの眼差しから逃れるようにして視線を逸らした後……覚悟を決めたようにして、彼女の質問に答える。


「いや、あの……ヤろうとしてました。俺が、あいつに、手を出そうとしてました」


「っっ……!?」


 びくん、と燈の答えを聞いた栞桜の体が震えた。

 彼の回答は半分が正しくて、半分は嘘だ。自分と燈が交わろうとしていたことは確かだが、手を出そうとしたのは栞桜の側であり、燈は受動的な立場であったはずなのだから。


 その答えから察するに、燈は栞桜を庇おうとしているのだろう。

 自分一人が泥を被り、こころの怒りを一身に背負うことでこの場を収めようとしている彼の心遣いに感謝とときめきを覚える栞桜であったが、彼女の真横に居る空気を読めない女が、びしっと手を挙げると共に燈の意見を否定した。


「お奉行、異議ありです。手を出そうとしていたのは栞桜の方であり、燈は被害者だと思われます」


「おまっ、馬鹿……っ!?」


「……へぇ、そうなんだ? って、涼音ちゃんは言ってるけど……本当のところはどうなの? 燈くん?」


「うぐぉぉぉ……!?」


 完全に怯え切っている涼音が燈の嘘を訂正し、真実をこころへと伝えてしまう。

 栞桜が彼女の口を塞ごうとしても時すでに遅し、燈の意見とは異なる情報が出たことで彼に対する追い込みを強めたこころは、更に威圧感を強めてしまっていた。


「どっちなの? 燈くんが手を出したの? 栞桜ちゃんが誘ったの? 本当のことを教えてよ。ねえ、ねえねえねえ?」


「つ、椿、頼むから落ち着いてくれ。め、滅茶苦茶怖いんだが……!」


 ……事ここに至ってしまっては仕方がない。隠し事はせず、真実を告げた方が良さそうだ。

 こころとの友情にひびが入ってしまう可能性はあるが、そうしなければならない責任が自分にはある。

 自分の尻は自分で拭くべきだ、と……そう考えた栞桜は、深く息を吸い、そして吐くと、燈を詰めるこころへと声をかけた。


「すまない、こころ。涼音の言う通りだ。私が燈を夜伽に誘い、契りを結ぼうとした。悪いのは私であって、燈はただ巻き込まれただけなんだ」


 ぴくりと、栞桜の声に肩を震わせて反応を見せたこころがゆっくりと彼女の方へと振り向く。

 互いに視線を交わらせ、暫し無言で見つめ合った後、こころの方が口を開いた。


「……どうしてそんなことをしたの? 栞桜ちゃん、あんまりそういうことをするような女の子には思えないけど」


「そ、それは、だな……ええっと、その……」


 少しだけ……こころからの質問に対して、栞桜が返答に悩む。

 事の発端は燈が隠していた(とまだ彼女は誤解している)春画を自分が見つけたことだ。

 その春画の内容から彼の性欲を溜めた原因が自分にあると判断し、その責任を取ろうと動いたことが大まかな原因であると報告するのは簡単だが、それでは燈に大恥を掻かせることにならないだろうか?

 かといって、嘘を吐いて誤魔化そうとしてもそういったことが苦手な自分のことだからすぐに見抜かれてしまうだろうし、そうなったら状況は更に悪化するに決まっている。


 というわけで、暫し考えを経た後で栞桜が出した結論としては、上手いことその辺の事情を隠しながらも決して嘘ではない回答を口にすることであった。


「や、やよいと露天風呂で話をしてな。その、なんだ……やはり燈も、こういった状況下で性欲を持て余しているのではないかということになったんだ。それで、その……わ、私も心当たりがあったから、責任を取ろうとして、だな……」


「……抜け駆けしようとしたと? なるほどねぇ……」


「め、面目次第もない。だが、その、なんだ。恋愛とは基本的に戦争であり、相手を攻略するのに手段は問わないと涼音も言っていただろう?」


「私を、巻き込まないで。私は何も悪くありません。だから怒らないでください……」


「……ごめん、一つ突っ込ませてもらっていい? 君たち、お風呂でなんて会話をしてるのさ……?」


 不意に責任の一端を押し付けられた涼音が怯え、露天風呂で繰り広げられたとんでもない会話の内容に蒼が突っ込む。

 段々と明らかになってきた状況を加味し、小さく頷いて大体判ったとばかりの表情を浮かべたこころは……大きな大きな溜息を吐いた後、張り詰めた雰囲気を解除して、こう言った。


「うん、わかった。なら、そこまで怒ることでもないかな……」


「ほ、本当か?」


「まあ、そういった行為に手を染めても構わないって雰囲気をこの間の露天風呂での戦争で作っちゃった私にも原因はあるしね。燈くんのことを心配しての行動だっていうのなら、そこまで責めるつもりにもなれないよ」


「こ、こころ……!」


「……ねえ、この間の露天風呂での戦争ってなに? 君たち、僕の知らないところでなにをしてるの!?」


 この屋敷で唯一以前の露天風呂での動乱を知らない蒼の悲鳴にも近しい声が響く中、三人娘と燈はそんな蒼を完全に無視して話を進めていた。


 こころが異様に物分かりがいいことと、一瞬にして怒りを引っ込めたことに驚く一同だが、それには大きな理由がある。

 彼女もまた、燈の部屋で彼の私物(だとまたこころも思い込んでいる)である春画を発見していたからだ。


 燈だって健全な青少年、そういったえっちな本に手を出すことは妙な話ではない。

 彼がこれまでそのような卑猥な本に手を出さなかった理由としては、そもそもそんなことにかまけている余裕がなかったという部分も大きいが、偏に燈が女性に対する欲情というものを意識していなかったことが原因であろう。


 毎日訓練に明け暮れ、蒼天武士団としての活動に精を出し、師匠の名に恥じぬ武士として研鑽を続ける彼は、性欲というものと無縁の生活を送っていた。

 しかし、そんな中で自分たちが彼に裸で迫り、女の肌の感触と温もりを教えてしまったからこそ、燈も性欲というものを抱いてしまったのである。


 あの春画も、そういった性欲を秘密裏に処理するために手を出した、燈なりの苦肉の策なのだろう。

 万が一にも自分が性欲を持て余していることを三人娘に知られたら、彼女たち(特に涼音とこころ)が何をするか判らない。

 彼女たちにバレず、自分だけで情欲を処理するために春画を購入した彼のことを、こころは責める気にはなれなかった。


「ただし、燈くんの部屋に乗り込むのは駄目だよ。連れ込まれたならまだしも、自分から乗り込むのは駄目。それを許したら、燈くんの安全領域が完全になくなっちゃうじゃない」


「う、うむ、それもそうだな……」


「……ねえ、僕の安全領域が完全に消滅してることは気にしてくれないの? 巻き添えで壁に穴が空いて、しかも仲間たち全員が乗り込んできてるんだけど?」


 やっぱり蒼の悲痛な声は無視された。彼の意見はご尤もなのだが、反応している余裕はないのだ。


 燈の部屋に自ら乗り込むというのは完全なる反則であると、燈自身のことを案じたこころの意見に同意した栞桜もまた、申し訳なさそうな表情を浮かべている。

 その隣の涼音は怯えながらも心の中ではここで釘を刺されたことを残念がっており、この発言がなければ彼女も栞桜と同じような行為をしていたことは明らかだったであった。


 正に危機一髪、色んな意味で危険を回避した燈が安堵の溜息を漏らして事態の収束を察知する。

 これでもう、大体の事案は片付いたのではないか……と、安心していた彼であったが、ふと顔を上げた栞桜が、どうでもいいようでそうでもないことに気が付き、そのことについてこの場に居る全員へと尋ねてみせたことでまたしても事態は一変してしまう。


「待て。どうして蒼の部屋にやよいがいる? この時間に、何をしていた?」

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