一方その頃、弟弟子の部屋では……


「ね~むれ~、ね~むれ~、そのまま起~きる~な~」


 蒼とやよいが一線を超えそうになる頃より少し時間を戻して、ここは燈の部屋。

 室内には決して心地よい耳障りだとはいえない不気味な子守唄を歌う燈の声が響き渡っていた。


 敷いた布団の中に栞桜を放り込み、自身はその枕元に座して、母親が我が子を寝かしつける……にしては、やや物騒な絵面を見せている燈は、どうにか今晩を無事に乗り切ることだけを考え続けている。

 このまま栞桜を寝かしつかせたら、蒼の部屋に避難して保護してもらおう。取り合えず、それまではどうにかして栞桜を落ち着かせ続けなければならない。


 ふざけているように見えて割と本気で栞桜が寝てくれることを祈る燈であったが、そんな彼とのやり取りを行う彼女の方もまた、自分の想像とはまったく違う方向に話が進んでいることに違和感を抱いていた。


(お、おかしい……男女が二人きりになり、布団に入ったのだぞ? どうして燈は手を出そうとしない……?)


 自分はこれっぽっちも男女の交わりについての知識はないが、大方の予想としてはこんな夜に女が無防備な姿を晒して布団の中に潜り込んだのだから、男としては手を出してくるだろうと栞桜は思っていたようだ。

 だがしかし、そんな気配を全く見せずに謎の子守唄を口ずさみ続ける燈の様子に、流石の彼女も違和感を覚え始めたらしい。


 そもそも、どうして布団に入っているのは自分だけなのだろうか?

 まぐわいをするのであれば、男女が同じ布団に入って然るべきなのではないだろうか?


「ね~むれ~、ね~むれ~、頼むからそのまま眠ってく~れ~」


(みょ、妙だ……明らかに状況が奇天烈過ぎる……!)


 何かがおかしい……鈍い栞桜も、この状況の不自然さに感付き始めた。

 桔梗曰く、男はみんな狼なので決して無防備な姿を晒すでないとのことであったが、刀も持たずに寝間着でやって来た自分に対して手を出そうとしない燈は、本当に桔梗が言うような男なのかが甚だ疑問である。


 やはり、燈は最後の踏ん切りをつけられずにまごついているのだろうか?

 仲間である自分とそういう関係になることを迷っているのか、あるいはこのことがこころや涼音にバレた時のことを考えて恐怖しているという可能性もある。


 だが……彼に全くもってその気がないのであれば、そもそも自分を部屋に残して布団の用意までしたりはしないだろう。

 こうして自分を部屋の中に留めている以上は、燈には多少なりとも自分のことを抱くつもりはある、ということのはずだ。


 なら、どうして手を出さない? どうしてこの謎の子守唄を歌い続けている。

 暫しの間、そんな疑問をループさせ続け、答えの出ない思考を繰り返していた栞桜であったが……そこで一つ、思考の変化を行うことにしたようだ。


 即ち、燈が自分に手を出さない理由を考えるのではなく、彼に手を出してもらう方法を考える。

 要するに、彼に踏ん切りを付けさせる方法を思案することにしたということだ。


 考えてみれば、燈の思考を読もうとしたところで男のことなどまるで判らない自分が正しい答えに辿り着けるはずもないのだ、自分なりに工夫して彼に迫った方が有意義というものだろう。

 ここまで自分に世話を焼かせるとは、まったく面倒な奴め……と、自分がかなり面倒な人間であることを自覚していない栞桜は、自分の中にある数少ない男女知識を振り絞って、男が女に手を出したくなるような状況を考えていく。


 まあ、そんな彼女が思い付くシチュエーションなど、裸で迫るくらいのものしかないのであるが……やはりこれが単純明快な方法であると、勝手に納得したようだ。

 早速、寝間着を脱いで下着姿にでもなるかと羞恥を覚えながらそんな大胆な行動を取ろうとした栞桜であったが、そこではたととあることに気が付き、動きを止める。


(服を、脱ぐ? この状況で? いったい、どうやってだ?)


 現在、彼女は布団の中に寝転がって燈の謎子守唄を聞いているという状況だ。

 ここから服を脱ぐとすれば、一度起きて布団を剥した上で寝間着を脱ぐが、布団の中でもぞもぞと蠢いてこっそりと脱ぎ捨てるかの二択しかない。


 前者の場合、どうにか布団を敷いて何だかんだでちょっとずついい雰囲気になっている(と栞桜は思っている)この状況をぶち壊すことになるのではないかと考えてしまうし、後者の場合は掛布団があるせいで栞桜が着物を脱いだことが燈には判らないままだ。


 どうやら自分は、脱衣のタイミングを逃してしまっていたようだ……そのことに気が付いた栞桜が愕然とした感情を抱く中、彼女の勝手な妄想力が再び暴走を始め、よろしくない考えが頭の中で駆け巡り始めた。

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