対面する自分の感情


「……言った、のか? 僕が? 君のことを、そんな風に?」


 がくがくと、首の座っていない赤ん坊のように頭を上下させて蒼の呟きをやよいが肯定する。

 酔い以外の要因で赤く染まっていく彼女の顔を目にしながら、自分自身が信じられないというような表情を浮かべながら……蒼は、今しがた自分が口にしてしまった自分自身の心情に対して、愕然としていた。


(何を言っているんだ、僕は? というより、何を考えているんだ?)


 理解が及ばなかった。自分が口にした、自分自身の感情なのに、それが全く自分でも考えもしなかったものだった。

 大切に想っている? 自分が、やよいのことを? ……同時に、女性としての魅力も感じているだって?

 そんな、予想外にも程がある感情と対面した蒼は、ごくりと息を飲むと共に自分自身の身に起きた変化のようなものに気が付き、両目を閉じて唸った。


 色恋だなんて、恋愛だなんて、そんなもの自分には必要ないと思っていた。

 興味がないとか、女性が苦手とか、どんな域の話ではない。

 蒼にとっては、誰かを好きになるという行為そのものが忌避すべき感情なのである。


 男性相手ならば、好感を抱くことに躊躇いはない。

 女性が相手だとしても、恋愛感情に繋がらない好意ならば幾らでも抱くことが出来る。

 だが、そこから先に一歩進んだ感情……つまりは、恋愛感情を抱くことだけは、無意識の内に避けるようになっていた。


 それがどうしてかは、今は敢えて説明はしない。

 強いて理由を上げるのならば、彼自身の過去にその秘密があると述べさせてもらおう。


 大切な存在を、誰かの命令によって奪われた……その経験が、蒼の心から誰かを愛するという感情を封じ込めている。

 それは恐怖であり、嫌悪感であり、怒りにも近い感情。

 愛など、恋など、何の意味も為さないと……そう、深くまで刻み込まれた思いが仇となって、彼はずっと他者を愛することを避け続けてきた。


 周囲に女性がいない環境も、彼の心に起きた異変を察知させないことに一役買っていたのかもしれない。

 恋愛の対象となる女性がいなければそもそも誰かを愛することもなく、思春期という多感な時期であるにも関わらず、そういった女性との関わりを避けようとする彼の姿を、ただ免疫がないだけだと判断させるにうってつけの環境が整ってしまっていたのだから。


 しかして、宗正と過ごした山奥の住まいから出て、燈をはじめとした同世代の仲間と出会った蒼は、そこで運命的な出会いをしてしまった。

 自分を気に掛け、高く評価し、面白半分、本気が半分のちょっかいをかけてくる少女、やよいがそれだ。


 自分にはない奔放さと、その裏に哀しみを背負う彼女の姿に、蒼は自分でも気付かない内に惹かれていたのかもしれない。

 その感情は自分を支え、背中を押してくれる彼女の存在を意識するにつれて大きくなっていき、遂には彼の中で無視出来ない感情にまで成長を果たした。


 だが、彼は知らなかったのだ。その感情はどんなものであるかを、どんな意味を持つものなのかを。

 正しくは、認めようとしなかったという方が正しいかもしれない。

 ここでもまた無意識の内に、蒼は生まれて初めて抱いた感情を封じ込めてしまっていたのである。


 最近の彼の言動に見られた、やよいに関しての不自然さはその無意識さが原因だ。

 彼女に何か手出しをされる度に不機嫌になるくせに、絶対にそのことを認めようとしないその言動は、彼が自身の内にあるやよいへの想いを認めようとしないことが起因となって発生していたということだ。


 愛を忌避し、恐怖し、遠ざけ続けてきた蒼であったが……これもまた無意識下で、彼の人間らしさが仕事をしていたようだ。

 多大なる信頼と、抑えきれなくなってきた好意。限界まで蓄えられたそれが、想い人が自分自身を卑下する姿を見て遂に爆発の時を迎えた。

 要するに……好きな人が悲しんでいる姿を見て、ぷっつんきてしまったということである。


 そうして、自分でも理解出来ていない感情をそのままに吐露し、やよいへと彼女を大切に想っていることを告白してしまった蒼は、事ここに至ってようやく信じ難いその事実と直面するに至った。

 それは絶対にあり得ないことで、認めたくもないことで、どう足掻いたって信じられないことなのではあるが……こうして自分自身と改めて向き直ってしまえば、その現実から目を逸らすことは出来ない。


 あまりにも単純で、平常で、それでいて認め難い事実。

 ばくん、ばくんと荒れる心臓の鼓動を感じながら、蒼は心の中でその想いを反芻する。


(愛しているのか、僕は? やよいさんのことを、女性として……?)


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