燈、THE・勘違い


 もう燈の心の中には栞桜が恐ろしいという感情以外のものが存在していない。

 わざわざ自分の部屋までやって来た上で半裸状態になって待ち伏せしてきたかと思えば、唐突に殺せだのなんだの言い出す始末。

 話の流れもへったくれもなく、何もかもがいきなり過ぎる彼女の言動には、流石の燈も困惑を通り越して恐怖を感じざるを得なかった。


 よもや、これが噂のヤンデレという奴かと、先のこころや涼音の様子を思い返しながら栞桜の言動に異常を感じた燈が思う。

 考えてみれば、先程から目にしてきた女性陣の様子は明らかにおかしく、どう考えても普段の彼女たちとはかけ離れている。


 まさかまさかの展開ではあるが……本当に、何らかの要因があって、彼女たちはヤンデレ状態になっているのかもしれない。

 そんな予感を覚えてしまった燈の脳内では、先程目撃したこころたち三人娘の言動にバイアスがかかった妄想が繰り広げられていた。


『ふ、ふふふ……! か、隠し味に私の血を入れて、髪の毛も混ぜて……! これを食べてもらえれば、私は燈くんの肉体の一部になれる……! うふふふふふ……!』


 料理をしていたこころの姿は、自身の血液や毛髪を食事に混入させ、それを燈に接種させようとする危ない人間の姿に変わり――


『この薬を使えば、燈もイチコロ……! 他の誰にも、渡さない。燈は、私の物……!!』


 自分の私物入れを漁り、何かを仕込んでいた涼音の不審な行動は、燈の命を奪うための罠を仕掛けているというこの上なく恐ろしいものへと変換され――


『わ、私を抱かないということは、私なんかどうだっていいんだな!? こんな武骨な獣のような女などお呼びじゃないと、お前は言いたいんだな!? ならいっそ、私を殺せっ! お前の手で殺して、お前の記憶の中にこびりつく存在になってやるんだっ!』


 そして、今現在の情緒が迷子どころか行方不明状態の栞桜の言動は、半ば自棄になった彼女の思い込みが激しい半自傷行為とも呼べる意思から来るものだと、そんな想像が繰り広げられている。


 いったい、どうしてこんな風になってしまったのか? おかしくなってしまったのは三人娘だけで、やよいや師匠たちは無事なのだろうか?

 もしや、師匠たちの部屋から聞こえる騒がしい物音は、この事件に何か関係しているのでは……? と、疑念を抱く燈であったが、今はおかしくなってしまった栞桜をどうにかすることの方が先決だと、彼は思い直したようだ。


 これ以上、相手を刺激するような真似をしてはいけない。

 心の琴線に触れた結果、「お前が私を殺さないのなら、私がお前を殺してやる!」といった展開になることだけは避けなければならない。


 出来る限り穏やかに、相手を落ち着かせるようにして……燈は、一種の思い込みと共に栞桜へと優しく声をかけた。


「な、なあ、栞桜? お前きっと、疲れてるんだよ。今日はゆっくり休んだ方がいいって。布団用意してやるから、今日はもう寝ろよ。なんだったら、お前が眠るまで子守唄でも歌ってやるからさ」


「んくっ……!?」


 このまま部屋に帰れと言えば、間違いなく栞桜は暴走する。

 そう判断した燈は、彼女が寝静まるまで監視する意味も込めてそんな発言をしたのだが……当の栞桜は、その言葉を曲解してしまったようだ。


(き、来たか……! 布団を用意するということは、まぐわいの準備をするということ。ようやく燈をその気にさせられたようだな……!)


 、という言葉の意味をそのまま伝えている燈と、意味深な言葉として受け取ってしまっている栞桜。

 両者の乖離はどんどんと進み、最早取り返しのつかないところまで突き進んでしまっている。


 問題は、その状態でも会話が通じてしまうという、ある意味では奇跡的な現象が起きてしまっているということだ。

 燈を欲情させるために行動している栞桜と、ヤンデレと化した彼女を宥めるために全てを受け入れている燈は、お互いにお互いの現状を勘違いしながら、やり取りを続けていた。


「い、いいだろう。しかし忘れるな! 私の体を好きに出来ても、心は屈しないぞ!」


「ああ、そうだな。うんうん、偉い偉い」


 こいつ、どうしてこんな妙なことを言ってるんだ……? と、疑問を感じながらも布団の用意をする燈。

 残念なことに、オタク文化やエロゲーといったものに詳しくない彼は、所謂『くっころ』と呼ばれる彼女の言動がどういったものであるかを理解出来ていないようだ。


 もしかしたら、多少はそういった情報を耳にしたことはあるのかもしれないが、この逼迫した状況でそんなものが頭の中に浮かび上がるはずもない。

 とまあ、そんなわけで……徹底的に話が噛み合わないまま、この二人のやり取りは次の展開を迎えようとしているのであった。

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