壮大なる誤解は師匠たちすら巻き込む

「お話のところ、失礼します。少し、よろしいでしょうか?」


 淡々とした静かな声が桔梗によって蹴り飛ばされた襖があった廊下の向こう側から響き、その声に反応した宗正たちが首を捻り、そちらへと視線を向ける。

 そうすれば、そこに普段通りの雰囲気の涼音が、師匠たちのどったんばったんの大騒ぎを目にしながらも平然そのものといった様子で起立している姿が目に映った。


「す、涼音! 丁度いいところに。頼むからこいつらをどうにかし、むぐっ」


「やあ涼音、どうかしたのかい? 普段の君なら、部屋で寝る準備をする時間じゃないか」


 降って湧いた幸運に縋れとばかりに涼音へと助けを求めようとした宗正の口を桔梗が塞ぐ。

 同時に、部屋に散らばる春画に彼女の目がいかぬようにそっと位置を移動して視線を通らなくした百元が、先程までの怒気を引っ込めた優し気な口調でそう問いかける。


 熟練の連携で粗相を隠し、うら若き乙女の目に触れてはマズい物を隠した桔梗と百元であったが……そもそも最初から表情一つ変えていない涼音は、そんな二人の動きをそこまで気にも留めず、用件を口にしてみせた。


「先程、この屋敷に小包が届きませんでしたか? 桔梗さんがそれらしき物を持って先生の部屋に来たと、栞桜が言ってましたので……」


「小包? 涼音、それってもしかして――」


「こ、こいつのことか!?」


「あっ、こら! 勝手な真似をするんじゃ――」


 愛弟子が口にした気になる一言を百元が追及する前に、桔梗の手を振りほどいた宗正が散らばった春画とそれを包んでいた風呂敷を見せる。

 れっきとした乙女である涼音になんてものを見せるんだと怒りの形相を浮かべた桔梗は、宗正を叱責しつつ彼女に嫌な気持ちをさせたのではないかと心配していたのだが……


「はい、それです。代わりに受け取ってもらって、申し訳ありません」


「は……?」


 あっさりと、届けられた春画を注文したのは自分だということを認めた涼音の態度に、一瞬にして浮かべていた怒りの表情を引っ込める羽目になってしまった。


 明らかに男性向けであるはずの春画を、少女である涼音が注文したという情報に桔梗が困惑する中、これで疑いが晴れたとばかりに大喜びする宗正が得意顔で友人たちへと言う。


「どうだ!? 本当にわしじゃなかっただろう!? この春画を頼んだのは涼音、お前さんなんじゃな?」


「はい、そうです。ですがまさか中身を見られてしまうとは、予想外でした」


「あ、ああ、す、すまないねえ。私はてっきり、この馬鹿がまた馬鹿をやったものかと……」


 濡れ衣が晴れた宗正がそれみたことかと腹の立つ表情でこちらを見やる中、そんなものに反応している余裕のない桔梗が涼音と彼の姿を交互に見比べながら謝罪する。

 予想外にも程がある犯人の登場に驚きつつも、間違いなく自分より驚愕しているであろう百元の様子を恐る恐る伺う彼女の目の前で、涼音の師である百元が思ったよりも冷静な口調で弟子へと質問を投げかけていった。


「……涼音、もう一度確認させてもらうよ。この春画は、君が注文したものなのかい?」


「そうです。私が昼間に本屋に行き、大急ぎで取り寄せてもらいました」


「君は、これがどういった物なのか理解した上で購入したのかな?」


「はい、勿論です。男性が己の性欲を発散する際に使用する助平なものであることは、私も理解しています」


「……嫌なら答えなくても構わないが、一応聞かせてくれ。どうして、こんなものを買ったんだい?」


「そう、ですね……敢えてその理由を答えるとすれば……、でしょうか」


 百元からの質問に対して非常に真っ直ぐな眼差しを向けながら一つ一つの答えを返す涼音の瞳は、この上ない程に澄み切っていた。

 何の迷いもなく、最後の質問に対しても意味深な答えを口にした彼女の姿に小さく何度も頷いた後、百元は部屋に散らばった春画を己の手で広い、涼音へと手渡す。


「……すまなかったね。君の個人的な事情を勝手に覗いてしまって。僕たちは何も見なかったことにするよ。以降、この件については触れることはないから、安心してくれ」


「お気遣い、ありがとうございます。では、これにて失礼……おやすみなさい、先生」


「ああ、おやすみ、涼音……」


 数冊の本を大事そうに平坦な胸に抱え、すたすたと歩み去っていく涼音。

 その背を見送った後、静寂が戻った部屋の中をごそごそと探り始めた百元は、疑いが晴れて一安心といった様子の宗正へと謝罪の言葉を口にする。


「疑って悪かったね、宗正。僕の弟子が面倒をかけたようだ」


「ああ、気にしなくていいぞ。わしは自分の容疑が晴れただけで十分だからな」


「そう言ってもらえて助かるよ。しかし、本当に僕は駄目な奴だな。むやみに親友を疑い、弟子の一人もまともに育てられず……君たちとは月とすっぽんだよ」


「がっはっは! そう落ち込むな、百元よ! あのくらいの女子なら、多少は性に興味を持って当然じゃろうて! むしろ、あの積極性をうちの蒼と燈に分けてやってほしいとこ、ろ……?」


 これにて騒動は終了したと、自分に降りかかる危機を回避したことで安堵して百元と会話していた宗正であったが、その途中で友人の様子がおかしいことに気が付いた。

 私物を入れている箱の中から丈夫なしめ縄を取り出し、その長さを確認してから部屋の内部……というより、頭上を確認する彼の姿に何か嫌な予感を覚えた宗正に代わって、先程から緊張感を絶えず抱き続けていた桔梗が口を開く。


「な、なあ、百元? お前さん、何してるんだい……?」


「ああ、ちょっと首を吊るのにいい場所はないか探してたんだ。君たちに迷惑を掛けずにさくっと逝くから、気にしないでくれ」


 そう言いながらこちらへと振り向いた百元は、生気のない虚ろな目をしていた。

 その様子と彼の雰囲気から本気度を感じ取った宗正と桔梗は、同時に飛びつくと死に場所を探そうとしている百元を止めるために必死の説得を行っていく。


「馬鹿馬鹿馬鹿!! おまっ、なにこんなことで死のうとしてるんだ!?」


「放してくれ。預かった弟子の内、弟は妖刀の魔力に魅せられることを止められずにむざむざと命を散らせ、姉の方はおかしな趣味を持つようになってしまった。どれもこれも僕の育て方が悪かったんだ。天国の嵐に詫びるためにも、僕を逝かせてくれ」


「落ち着きなって! 何か理由があるのかもしれないだろう!? 頼むから馬鹿な真似は止めなよ!!」


「むしろ僕は涼音の口から理由を聞くことが怖いよ。その恐怖から逃れるためにも、僕を楽にさせてくれ……」


 自分に縋り付く友人二人を引き摺ったまま、廊下を歩いて行く百元。

 小柄な彼の何処にこんな力があるのかと、こんなことで死を覚悟して力を発揮しないでほしいと、そんな思いを抱きながらも宗正と桔梗は必死の説得を続ける。


「落ち着け! 落ち着いてくれ、百元!! わしらも同席するから、一緒にこの困難に立ち向かっていこう! わしら、同じ境遇の仲間じゃろう!? な? なっ!?」


「宗正の言う通りだよ! 大丈夫、三人寄ればなんとやらだ! だから死に急ぐような真似は止めて、涼音のお嬢ちゃんと向き合おうじゃないか!」


「ふ、ふふっ……! 僕は、本当にいい友人を持ったなぁ……! 宗正、桔梗。君たちは僕の人生で得た、最高の宝物だよ……!!」


 完全に自暴自棄になっている百元と、そんな彼を止めようとする宗正と桔梗。

 数冊の春画から端を発したこの騒動は師匠である彼らまで巻き込み、着々と面倒な騒動として育ち続けている。


 取り合えず、エロ本が原因で仲間の一人が死ぬことになるなんて冗談じゃないと、宗正と桔梗は必死に死の覚悟を固めてしまった友人を止めるために、彼へと説得の言葉を投げかけ続けるのであった。

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