黒龍顕現

 覚悟の黒と、勇気の紅。

 その両方の炎を武神刀と魂に灯した燈が煙々羅となった龍興を睨む。


 その威圧感に気圧され、心を鷲掴みにされたような錯覚に震えた龍興であったが、相対する敵が纏った籠手から憎き守り神の気配を感知した瞬間、怒りの感情が恐怖を上回った。


「おの、れ……! おのれおのれおのれっ!! 貴様か! またしても貴様は私の前に立ち塞がるのか!? どうあっても……私の邪魔をするつもりかぁぁっ!!」


 五百年前のあの日、自分の悲願を潰された時のことを思い返した龍興が、怒りと憎しみに塗り潰された心のままに攻撃を繰り出す。

 煙で構成された腕を伸ばし、守り神の気配を感じさせる籠手を纏った燈の胸を貫こうとした彼は、狂気に満ちた叫びを口にして、鋭い一撃を放った。


「死ねっ! 消えろっ!! 私の前からいなくなれぇっ!!」


 早く、強靭な一撃だった。

 並の剣士ならば防ぐことは叶わず、腕利きの剣士であっても煙で出来た肉体を利用しての龍興の攻撃を完全に防ぐことは出来なかっただろう。


 しかし、今、彼と立ち会っている男は並の剣士でも、腕利きの剣士でもない。

 玄武の力を授けられ、その力を更に増させた百鬼斬りの紅龍……否、『百鬼斬りの黒龍』虎藤燈だ。


「黒炎龍皇・守の型――」


 迫る攻撃の軌道を見極め、冷静にそれに対処する燈。

 籠手を嵌めた左腕を前に出し、真っ直ぐに突っ込んで来る煙の腕と位置を合わせた彼は、黒炎龍皇に気力を注ぎ込み、その力を解放した。


「――【玄武炎壁げんぶえんへき】!!」


「ぬぅっ!?」


 籠手から発せられた炎が、盾の形を成すようにして広がっていく。

 燈目掛けて繰り出された煙は炎の盾に触れた瞬間に消滅し、その腕を伝って体へと昇ってきた黒炎の様子に恐れをなした龍興は、自ら右腕を中程から斬り落とし、肉体への被害を抑える。


「お、おぉ……!? これは、これは――っ!?」


「妖の腕が再生していない!! 効いている、効いているぞっ!!」


 幾ら斬り落とされようと、気力によって吹き飛ばされようと、その直後から再生を始めていたはずの煙々羅の肉体が、燈の炎に焼かれた腕が、修復されない様を見て取った栞桜が興奮気味に叫んだ。

 逆に、自ら斬り落とした腕が、燈の黒炎に焼かれ、燃え尽きる様子を目にしている龍興はというと、無敵を誇っていた煙々羅の能力を貫通してくる相手の出現に、久しく忘れていた死の恐怖を思い出す。


「守り神の、呪いの炎か……!? 私をこんな醜悪な姿に変えた、憎きあの黒炎かっ!?」


「半分正解だぜ、龍興。こいつはあんたを妖に変えちまった切っ掛けとなった炎だが、呪いの炎なんかじゃねえ。あんたと鷺宮真白を救ってみせるっていう、覚悟の燈火ともしびだ」


 黒炎の盾を消し、龍興へと姿を晒しながら静かに燈が語る。

 爛々と輝く紅い瞳を細めた彼は、深呼吸を一つ付くと……龍興へと静かな口調でこう言った。


「悪いがあんまり余裕がねえんだ。次で終わらせるぜ」


「!?!?!?」


 増幅、膨張、からの、収束。

 信じられない量の気力を発し、それを左腕の籠手と右手の『紅龍』へと集中させた燈の姿が、龍興の視界から消える。


 神速……文字通り神の速さに至った彼の体捌きを視線で終えていたのは、蒼と涼音のただ二人だけであった。


(速い、なんてもんじゃない! 瞬間移動でもしたのか!?)


 敵の動きを見極め、そこから後の先を取る戦い方を得意とする蒼は、相手の攻撃を捌くための動体視力を徹底的に鍛え上げている。

 修練を重ね、人知を超えた領域まで至った彼のそれをもってしても、今の燈の動きは目で追うのがやっとという有様だ。


 同じく、剣術の天才にして機動力を活かした戦い方を得意とする涼音も、自分の速度を凌駕した燈の機敏さに言葉を失っていた。

 圧倒的な才覚を厳しい修行と鬼たちとの激しい戦いで得た実戦経験で開花させた燈の実力に、守り神の力が加わった今、まともに戦って彼と立ち会える者など存在していないのだろう。


 それは人も妖も同じことで、燈の動きを見極めることすら叶わなかった龍興は、気が付いた時には彼の接近どころか攻撃態勢を整えさせることまでをも許してしまっていた。


「黒炎龍皇・攻の型――」


「しま……っ!?」


 一目見て理解する、これをまともに喰らってはならないと。

 渦巻く黒炎を纏った『紅龍』を目にした龍興は、それがまるで神の力を有する蛇であるかのような錯覚を覚えていた。


 斬られたら、あの炎に焼かれたら、全てが終わる。

 そんな確信と共に、防御ではなく回避を選択した龍興へと燈は目にも止まらぬ動きで武神刀での一撃を繰り出した。


「――【黒蛇炎葬こくじゃえんそう】!!」


「ぬおおおおおっっ!?」


 それは究極まで速度を突き詰めた一撃であった。

 一度着火すれば最後、対象を焼き尽くすまで決して消えはしない黒炎を纏っている以上、斬撃でトドメを刺す必要はどこにもない。

 確実に相手の体を斬り付け、その炎を燃え移らせられればそれでいいのだ。


 防御、回避、そのどちらも許さない超高速の一撃は、是が非でもその一撃を避けようとしていた龍興の肉体へと燃え移り、煙で出来たそれを瞬く間に焼き尽くしていく。

 五百年間感じることのなかった肉体の痛みと、死の瞬間に味わった苦しみを思い返して苦悶に呻く龍興であったが……真白と生への執着により気力を振り絞った彼は、全身に黒炎が燃え広がる前に肉体の僅か一部を切り離すことに成功する。


「し、死ねんっ! まだ私は、終われんのだっ!! こんなところで、私は――っ!!」


 おそらくは掌の中に納まってしまう程の量しか残っていない煙。

 もう、肉体を構築することも叶わず、立ち上る煙として漂うことしか出来ないくらいの力しか残ってはいない。


 勝てない、あの男には。敵わない、あの力には。

 だが……時間さえあれば、人間である燈が死ぬまでの間、息を潜めて耐え忍ぶことさえ出来れば、また機会はやって来るはずだ。


 ここは逃げる。そして、身を隠す。

 燈が死に、今度こそ自分を倒すことが出来る存在が潰えた後、それまで必死に蓄えてきた力を以て、鷺宮領を破壊し尽くす。


 憎しみよりも、怒りよりも、目の前に迫った死という概念への怖れに飲み込まれた心のままに、空中で霧散する煙として逃亡を開始した龍興は、この場での実質的な勝利を確信していた。


 この闇の中、ほんのわずかな肉体しか有していない自分を見つけ出し、炎で焼くだなんてことは不可能だ。

 真っ向勝負では敵わずとも、寿命という概念が存在していない自分は、ただ逃げ続けるだけで最終的な勝利を得ることが出来る。


 逃げろ、逃げろ、逃げろ。逃げ切れれば、自分の勝ちなのだ。

 勝算は十分にある、ただの煙と化してしまった自分を見つけ出すことなど、不可能に決まって――


「……え?」


 ――そこまで考えたところで、龍興は自分の考えの甘さに気が付いた。

 いや、確かに途中まで彼の考えは正しかったのだ。だが、そこから先は甘いとしか言いようがない。


 確かにこの闇の中、ただの煙となって宙を舞う龍興の姿を燈を見つけることは不可能だ。

 逃げの一手を取る彼を見つけ出し、追い詰めることなど出来はしないだろう。


 しかし……だからといって、燈に打つ手がないわけではない。

 見つけることが出来ないのなら、ピンポイントで龍興を斬ることが出来ないというのなら……のだ。


「は、はは、ははは……!?」


 視界に映る、黒い炎。夜の闇を黒く照らす、尋常ではない勢いの炎。

 炎の壁、なんて生易しいものではない。あれは、炎の世界だ。

 武神刀に込められた莫大な気力が辺り一帯に伸びる程の炎となり、今それが燈の武器となって、最後の一撃が龍興へと見舞われようとしている。


 まだ燈がまともな技も習得出来ていない頃、狒々との戦で初めて披露した極大の炎の剣。

 そこに神の力を加え、これまでの修練で身に着けた技量を加え、一つの技へと昇華させた彼は、両の手で『紅龍』の柄を強く握り締めると、それを大きく振りかぶった。


「黒炎龍皇・極の型――!!」


 闇を塗り潰す黒い炎が、徐々に自分へと迫ってくる。

 避けることも、防ぐことも叶わないと悟った龍興は乾いた笑いを上げながら、憎々し気な悪態を吐いてみせた。


「は、はは……! まったく、どっちが化け物だよ……!?」


 守り神である明里より、その力を受けて生み出された妖である自分より、圧倒的な強さを持つ人間がいる。

 自分の五百年間を打ち砕くその一撃を繰り出した燈へと、怨嗟とも賞賛とも取れる言葉を口にした龍興は、次の瞬間には彼が生み出した炎の海に飲まれていた。


「――【炎皇龍・天地灰刃えんりゅうおう・てんちかいじん】!!」


「う、が、あぁああああああぁああああああっっ!?」

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