黒炎龍皇

 燈の指摘に耐え切れなくなったように、その苦しみから逃れるように……龍興が痛々しい叫びを上げた。

 それは先程の欲望と恩讐を燃やしたような咆哮ではなく、それとは真逆の自分の中の苦しみと向き合った際に発した痛みを感じたが故の悲鳴であり、その反応が燈の言葉が正しいことを証明している。


「……ああ、そうさ。お前の言う通りだ。真白はこんなこと望んじゃいない。これは全部、醜い僕自身の恨みの結晶だってことは……!!」


 そうして、汚泥のような自分の心の醜さと向き合った龍興が、搾り出すようにして声を発する。

 表情を歪め、苦しみに悶え、それでも、煙で出来ている肉体では涙を流すことが出来ず、それがまた自分が人外の存在に堕ちてしまったという実感と共に更なる苦しみを味わわせることになると理解している龍興は、五百年間溜め続けた本音を燈へとぶちまけた。


「本当はわかってたんだ、ずっとずっと前から……! 真白はこんなこと望んじゃいないって。争いの果てにある幸せなんて、本当の幸せじゃあないって。でも、怖かった……! 僕が弱いせいで、彼女が愛したこの地が、夢が、幸せが、何者かに壊されるんじゃないかと思うと怖くて仕方がなかった! ……守りたかっただけなんだ。力さえあれば、強くなりさえすれば、彼女の全てを守れると、そう信じていたから! だから……彼女の思い描く未来と違ったとしても、彼女を悲しませたとしても、強く在ろうとしたんだ」


 一人称が私から僕に変わった龍興が、素の自分を曝け出して本音を吐露する。

 鷺宮真白の夢を叶えるために、必死に強くなろうとして作り上げた偽りの自分という名の鎧を脱ぎ捨てた今の彼の姿こそが、彼女が愛した一人の黛龍興という男の本性なのかもしれない。

 自分の中の醜さを認め、その弱さを吐き出す彼の姿は確かに情けなくもあったが、彼は、その弱さを認められる強さもまた有しているのだ。


「羨ましかった、あの守り神が……! 守るための強さを得るために非情になっていく僕の姿を見て、真白が苦しんでいることは知っていたさ。あの日、あの場所で彼女と守り神との密会に遭遇した時、僕は全てを理解した。真白はその苦しみをあの亀に吐き出すことで、心を落ち着かせていたんだろう。だとしたら、とんでもなく残酷なことじゃないか。僕が痛みや苦しみに耐え、歯を食いしばって強くなろうとしてもがいている中、誰よりも強い存在が彼女の心の受け皿になっていただなんて! 彼女が真に頼りにしていた相手が僕じゃなくて、あの守り神だったなんて! ……だとしたら、何のために僕はもがいていたんだ? そう考えた瞬間、あの守り神が憎くて憎くてしょうがなくなった!」


 握り締めた拳を振り上げ、しかして、それを振り下ろす相手も見つけられないまま、龍興がだらりと腕を下ろす。

 自嘲気味に、己の行いを悔いるように、全てに絶望した表情を浮かべながら、彼は一人、呟く。


「……わかっているさ。全ては僕の自業自得だ。下らない嫉妬心のままに動いた結果、僕はこの手で真白を殺めてしまった……!! 他の誰でもない僕自身が、彼女の夢を終わらせてしまったんだ! そして、その苦しみから逃れるために守り神に全ての罪を押し付けた結果、死ぬことも出来ない無様な妖という存在に成り果ててしまった!! わかっているんだ、こんなことを真白は望んじゃいない。こんなことしても、彼女をまた悲しませるだけだって……でも、もう止まれないんだよ」


「そんなことありません! きっと、今からでもやり直しは――」


「ああ、……!! 君は、子供の頃の真白にそっくりだ。見た目だけじゃない。誰かの心を明るく照らすその温もりは、真白と本当に瓜二つだよ。……こんな、君を苦しませ続けた男にもその温もりを感じさせてくれるところなんて、本当に真白のようだ。すまない。すまなかった……だが、どうしようもないんだ。全ての罪を受け入れても、君が真白とは別の存在だと理解はしていても、もう僕は止まれない……!! 心を突き動かす憎しみの感情を、抑えることは出来やしないんだよっ!!」


「っっ!! 姫さま、下がって!!」


 膨れ上がる妖気を感じた蒼が百合姫を引き寄せ、その小さな体を庇うように立つ。

 彼女の目の前で、一瞬だけ泣きそうな表情を浮かべた後……龍興は、自らの内面で渦巻く怨嗟と恩讐に全てを委ね、再び煙々羅としての姿に変貌してしまった。


「龍興さまっ!! もう、もう――っ!!」


「止められないと言っているんだ!! 私の怨念は、もう誰にも止められない!! この鷺宮領を破壊し尽くすまで、私は呪いとして脅威を振り撒き続けるしかないんだ!!」


「そんな……!?」


 もう龍興は自分を止めることが出来ない。

 妖に堕ちた時の憎しみを、五百年間煮立たせた恨みを、吐き出し続ける化け物として在り続けるしかない。


 自分の過ちを認め、目の前にいる百合姫が真白ではないことを理解しても尚、彼は止まることが出来ないでいる。

 であるならば……もう、道は一つしか存在していなかった。


「……燈、さま……どうか、この百合姫の身勝手な頼みをお聞きください……!!」


 泣き出しそうになる心を奮い立たせ、これまで自分を守り続けてくれた玄武のために強くあろうと自分を叱咤した百合姫が、震える声を必死に搾り出して燈に言う。

 『紅龍』を引き抜き、ゆっくりと戦いの構えを取る彼の背に語りかける百合姫は、怨念を爆発させる龍興を一瞥してから、胸に感じる痛みを吐き出すようにして叫んだ。


「救ってあげてください、龍興さまを……! 守り神さまも、真白さまも、それを望んでおられます。彼を斬り、その魂を憎しみの黒煙から解き放つことで、五百年に渡るこの悲しみに終止符を打ってください!!」


「……その依頼、確かに請け負った」


 必死に叫ぶ百合姫へと、静かな声で返事をする燈。

 鞘から引き抜いた『紅龍』の柄を右手で掴んだ彼は、深く息を吐きながら左腕を前へと伸ばす。

 そうやって、気力を解放した彼は……大きく目を開くと、玄武と同じ赤い瞳を光らせて呟いた。


「さあ、行くぜ……!」


 下に向けていた掌を返し、上へ。そのまま拳を握り、何かを握り締めるように強く力を込める。

 玄武から送られた、授けられた、この悲しみを終わらせるための力を想起した燈がその力を引き寄せるようにして左腕を曲げてみせれば、黒く鈍い光を放つ装甲がその腕を鎧っていった。


「あれが、燈が守り神から与えられた力か!?」


「なんていう、気力……! 神の力が込められた、具足……!?」


 左腕を覆うその手甲に込められた気力を感じ取った栞桜と涼音が感想を漏らす。

 腕一本という限定された部分だけとはいえ、四神の一角として祀られる玄武の力が込められたその手甲は纏う側の人間にも相当の負担を強いる、言葉通りの神器とでもいうべき存在だ。


 神の力を流し込まれても崩壊しないだけの肉体の頑健さと、神器を覚醒させられるだけの量の気力。

 そして、玄武と自身の魂を調和させられるだけの相性の良さが必要となるその装備を纏った燈の周囲で、黒い炎が燃え広がり始めた。


「だ、大丈夫なのですか!? 燈殿は、あの力に耐えられるのですか!?」


「……大丈夫。絶対、大丈夫です。守り神さまは、燈さまを信じてその力を託してくださった。燈さまならば、その信頼に応えられるはずです!」


 この世のものとは思えない程の絶大な量の気力の奔流を目の当たりにしても、一切の気後れを見せない百合姫。

 これまでこの領地を守り続けてくれた玄武と、依頼や損得勘定を抜きにして自分のことを守ってくれた燈を信じる彼女の祈りを受ける燈の心は、周囲の状況とは真逆に落ち着き払っていた。


(……ああ、わかってるよ。なんであんたが俺を選んだのか? その理由も、ちゃんと理解してる。ほんと、笑っちまうような単純な話だったんだな)


 心の中で、自分に力をくれた玄武へと語り掛ける燈。

 燃え盛る炎と、激しい気力の奔流に晒されながらも、その表情には小さな笑みが浮かんですらいる。


 最後にして最大の謎、どうして玄武が自分を選んだのか……?

 その答えを理解した彼は、喜びと共感が入り混じった、どこか誇らしい感情を抱いていた。


 単純にこの力を扱える人間というのなら、候補者は燈だけではなかっただろう。

 蒼天武士団の他の面々もそうだし、気力の量というのならタクトたちだって基準値に達しているかもしれない。

 玄武の黒炎の力を使うには、同じく火属性の気力を持つ燈が適役だったのかもしれないが……真の理由は、そこにはなかった。


 魂の同調、それこそが玄武が燈を選んだ最大の理由だ。

 自分に最も似通った存在を選んだといえば、判りやすいかもしれない。


 玄武への嫉妬と真白への愛憎入り混じった感情を抱く龍興が、同じく嫉妬と女性への欲求を抱いていたタクトを選び、その精神を乗っ取ったように、人ならざる存在である玄武もまた、自分と似たような人間に己の力を託した。

 有している属性も、どこかぶっきらぼうで人付き合いが得意ではないという性格も、確かに似ているといえば似ている。

 だが、玄武と燈の相違点は、もっと根幹の部分に存在していた。


(……わかるぜ、その気持ち。あんたはあの瞬間から、ただの神様じゃなくなったんだ。この世界で唯一無二の存在になれたのは、鷺宮真白のお陰だったんだよな?)


 玄武の記憶の中、真白との出会いの場面。

 守り神である玄武に名前を問い、その答えが存在していないだった時、真白が何かを彼に提案していたあの場面の続き。

 他の誰もが見ることが叶わなかったその光景を、燈だけが目にすることが出来ていた。


『う~ん……わかったわ! なら、こうしましょう! 将来この地を治めることになる当主として、私は――! 遠慮は要らないわ! 未来の領主として、守り神を称えるのは当然のことだもの!!』


 得意気に胸を張った真白は、迷惑そうな玄武をよそに彼に相応しい名前を付けるべくうんうんと唸っていた。

 これから長い付き合いになる守り神に、偶然が重なり合った末に縁を結ぶに至ったこの友人に、相応しい名前を考え続けた真白は……やがて、輝くような笑顔を浮かべるとその名を玄武へと告げる。


『そうだわ! あなたにぴったりの名前を思い付いた!! あなたは守り神! 私たちを守り、この鷺宮の里の未来を照らす者! だから――』


 自信満々、といった様子でその名を告げた真白は、新しく出来た友人の反応を伺う。

 くだらなそうに視線を背けた玄武であったが……その口元に小さな笑みが浮かんでいることに気が付いた真白は、嬉しそうに飛び跳ねると彼へと言った。


『気に入ってくれたのね! それじゃあ、今日からそれがあなたの名前よ! いつか私がこの里を治めて、あなたがみんなに崇められる存在になったら、その名前が里中に広まるわ! その日を楽しみにしていてちょうだい!!』


 何を馬鹿なことを、と最初は思った。

 こんな子供が将来、里を治める領主になるだなんてのも夢物語で、よしんばそれが叶ったとして、大した広さでもない領地で祀られる神になったところで恩恵なんてたかが知れているではないか。


 だが……ほんの少しばかり、心が踊ってしまったことも確かだった。


 として爪弾きにされ、辺鄙な土地のとして、誰からも必要とされずに時間を過ごすだけだと思っていた彼は、この瞬間に生を得た。

 玄武でも、守り神でもない、唯一の存在である証である、名前を得たのだ。


 その他大勢の玄武ではない、他のどの土地に住まう守り神でもない、この地の守り神であり、真白の親友。

 ただ眠り、時間を無為に過ごし、存在しているだけの置物と変わらなかった彼は、この日に自分という存在を得た。得ることが出来た。


 種族でも、役職でもない、自分自身を手にすることが出来たのだ。


 自分の名を呼び、その存在を必要としてくれる人がいることが、どれだけ心に光を与えてくれるか。

 その名に込められた強い想いと共に自分の将来を期待し、未来を夢見てもらえることがどれだけ心に温もりを与えてくれるか。


 真白はきっと、本気で信じてくれていた。自分の名が、守り神として鷺宮領の人々の間に広まることを。

 たくさんの人々に感謝され、満足気に笑う自分の姿を想像して、彼女も笑ってくれていた。


 それを思うと、自分の胸にはこそばゆい感覚が走る。

 幸せという名のその感覚が走ると共に、彼はいつだって、その時のことを思い出すのだろう。

 自分という存在を手に入れた、真白から名前を与えられたあの日のことを……。


『あなたの名前は、明里あかり! この里の未来を明るく照らすと書いて明里よ!! いい名前でしょう!?』


 弾けるような笑顔と共に与えられたその名と、同じ名前を持っていた。

 その名前と、そこに込められた想いを何よりも大事に思っていた。


 不器用なりに真っ直ぐで、百合姫を守るために四苦八苦しながらも彼女の命と約束を守り抜き、彼女のために心から怒ったり悲しんだり出来るこの男ならば、間違いない。


 本当に……笑ってしまうほど単純で、馬鹿らしくて、拍子抜けするようで。

 明里が五百年間待ち続けた、奇跡だった。


 その想いを、未来を、燈は託された。

 ならば恐れる必要などない、迷いもない。


 自分と、明里との力で、未来を照らすために力を振るうまでだ。


「ふぅぅぅ……っ!!」


 湧き上がっていた気力を鎮め、左腕に収束させた燈が長い呼吸と共に顔を上げる。

 黒鉄の手甲に紅蓮の龍紋が刻まれた籠手を身に着けた彼は、『紅龍』に明里の黒炎を纏わせ、吼えた。


「『神器一体・黒炎龍皇』……! こいつで、あんたの怨念を断ち切ってみせる!!」


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