脱出戦

「オウゥゥゥ……オウゥゥゥゥゥゥ……!」


「マシロ……マシロォ……ッ!!」


 鷺宮邸を囲む、黒き妖たちの群れ。

 呻きと真白を呼ぶ声だけを口にし続ける彼らの姿は、パニック映画に出てくるゾンビそのものだ。


 緩慢な動きに知性を感じさせぬ挙動を見せ続けていることがその思いを更に強めているが、何よりもそれらしいのはその数だろう。


 百か、二百か、あるいはそれ以上。

 正確な数など調べることも出来ず、ただただ辺り一面を埋め尽くすほどの頭数を揃えている妖たちの姿は、単純な数の暴力であるが故に見る者に脅威を感じさせる。


 敵の動きは鈍い。知性も感じられない。個々の実力でいえば、決して恐れるような相手ではない。

 しかし、無限にも感じられる量の敵が、五百年間煮詰め続けた執念を滾らせて百合姫へと殺到してくるとなれば、話は別だった。


「マシロ、マシロ、マシロ、ォォ……!?」


 じりじりと、鷺宮邸を囲む妖たちの輪が縮まっていく。

 その数で、怨念で、屋敷を飲み込んでしまえと、緩慢な動きながらも着実に包囲の輪を狭めていく彼らの目に、煌々とした光が映った。


 影を照らすような日なたの白ではなく、全ての闇を払わんとする紅の輝き。

 妖たちがその輝きを希薄な思考能力で感じ取った時には、既にその肉体は燃え盛る炎によって塵と化していた。


 おそらく、彼らにまともな思考回路と感情があったのならば、何よりもまず驚愕が先に飛び出していただろう。

 今、自分たちが取り囲んでいる屋敷の中から闇夜を貫くような紅蓮の炎が燃え上がると共に、それが自分たちを一直線に焼き払ったとくれば、誰だって驚く。


 真っ直ぐ、一直線に伸びる炎に焼かれて消滅した妖たち。

 そのおかげで、ほんの数秒前まで妖たちがひしめき合っていた場所に僅かながらも突破口が出来た。


 途端、固く閉ざされていた屋敷の門が開き、その中から勢いよく駕籠を引く二頭の馬が飛び出す。

 御車を務める涼音の手綱捌きによって全速力で駆ける馬たちは、出来上がった道を懸命に突き進んでいった。


「……来る! 援護、お願いっ!!」


「栞桜ちゃん、右は任せたよっ! あたしは左を頑張るからっ!!」


「わかった! 転げ落ちるなよ、やよいっ!!」


 がたがたと揺れる駕籠の上には、各々の武器を構えた栞桜とやよいの姿がある。

 それぞれが左右で待機し、遠距離攻撃の準備を整えていた彼女たちは、駕籠の中に鷺宮真白の気配を感じて殺到する妖たちへと、容赦なく力を振るい始めた。


「なんて数だ! 撃っても撃っても、きりがないぞ!!」


「それだけ敵も本気ってことでしょ! 守り神が消えたこの好機を見逃すはずがないって!」


「お喋りしてる暇があったら、一体でも多く敵を倒して。こっちも、余裕が、ない……!!」


 気力で作られた桜色の矢が敵を貫き、けん玉の球が妖の頭を砕く。

 忍具や爆薬による範囲攻撃や、御者を務めながらも【薫風】を振るう涼音の攻撃によって妖は打ち倒されているが、消滅したすぐそばからそれ以上の数の敵が駕籠へと殺到してきていた。


「これが、全力を出した妖の力なのか……!? これだけの敵の侵入をたった一人で防ぎ続けていたとは……!!」


「守り神さまは、こんなにも苦しい戦いを五百年も続けていらっしゃったのですね……」


 東平京への旅路での戦闘とは比べ物にならない敵の数。

 それを今、蒼天武士団だけで対処しながら切り抜けようとしている状況に怯える百合姫が、不安を紛らわせるように御神体を強く握り締める。


 同じく、駕籠の中で不安に駆られながらも、仲間たちを信じて自分に出来ることを成そうと考えたこころは、そんな百合姫を元気付けるようにして笑顔で言った。


「大丈夫ですよ! 燈くんたちが、絶対に姫さまを守ってくれますから! それに、今回はご家族の皆さんも一緒だから、心細くはないでしょう?」


「……はい。その通りです。今、蒼天武士団の皆さまは私たちや領民たちのために必死に戦ってくれています。私たちが彼らを信じずして、どうするのだという話ですね」


 不安を、怯えを、飲みこむようにして顔を上げた百合姫が、自分たちの行く先を強く見つめる。

 そして、必死に戦う蒼天武士団の面々と、これまで自分を守り続けてくれた武士の姿を思い、小さな声で呟いた。


「信じております、燈さま……! あなたは、絶対に負けないと。百合姫は心の底から信じておりますよ……!」


 強い信頼を感じさせるその言葉に、こころと鷺宮家の人々も大きく頷く。


 そんな風に、絶対の信頼を寄せられている燈が、今現在なにをしているのかというと――


「……よし。やっぱ降りよう。走った方が早い!」


 ――妖の大軍の中を駆ける駕籠の、遥か後方……鷺宮家の門の真下で、未だに一歩も動かずにいた。

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