タクト襲来

「やあ、百合姫。今宵は月が綺麗ですね」


 そんな、きざったらしい台詞に振り向いた燈は、こちらへと歩いてくるタクトと二名の取り巻きの姿に心底面倒臭そうな表情を浮かべる。

 今は御神体の件を急いで蒼に報告したいのに、どうしてこんな奴の相手をしなければならないのかと……そんな、彼の心の中の思いがそのまま出た表情を目にしたタクトは、ふんっと鼻を鳴らして燈を威嚇した後、偉そうに彼へとこう告げた。


「態度を改めろよ、虎藤。僕は君たちの雇い主、いわばご主人様だ。学校のクラスメイトって関係よりも先にそっちが来ることを忘れないでくれよ」


「へっ、そうかい。んで、そのご主人様が何の用ですかねぇ?」 


「百合姫に謝りにきたんだよ。さっきはカッとなって酷いことをしちゃってごめん、ってね」


 そう、燈に告げたタクトは、瞳に怯えの色を浮かばせる百合姫へと歩み寄るとその手を取った。

 そして、何処か寒気を覚えるような声色で……彼女へと、優しい雰囲気で語り掛ける。


「ごめんよ、百合姫。でも、あれは僕の本心じゃないんだ。少し気が昂っていただけで、君のことを大切に思っているのは本当なんだよ。……優しくて賢い君なら、わかってくれるよね?」


「は、はい……大丈夫です、タクトさま。私はあのような些細なことは気にしておりませんので、ご安心ください」


「そうか、よかった! やっぱり君は優しい娘だね、百合姫……!!」


 包み込むように、逃がしはしないとでもいうように、百合姫の小さな手を両手で握り締めるタクト。

 その眼差し、声、そして表情には、何処かねっとりとした薄気味の悪さが感じられる。


 言葉自体は素直な謝罪ではあるが、その節々に見える傲慢さと百合姫に言い聞かせるような物言いが彼の本心を物語っていた。

 自分の失態をそのままにしておくことは良くないという、打算的な考えで百合姫の機嫌を取り、一応は和解したという形を取りたいだけなのだろうなという考えが透けて見えるタクトの行動に吐き気を催す燈であったが、タクトはその斜め上を行く暴走っぷりを見せる。


「それじゃあ百合姫。折角の機会だし、今夜は僕と二人で過ごそうか? 夫婦として、お互いの理解を深めるのは大事なことだろう?」


「っっ……!?」


 ゾクリと、薄気味の悪い寒気が背中を走った。

 年端もいかぬ少女である百合姫と二人きりで夜を明かそうとするタクトの眼差しには、ギラギラとした欲情の炎が灯っている。


 まさか、とは思いたいが……彼ならばそういった行動を取りかねないという危険性があることを理解している燈は、最悪の事態に備えていつでも二人の話し合いに割って入る体勢を整えていった。


「も、申し訳ありません。今夜は、蒼天武士団の皆さまと一緒に過ごすという先約がありますので……」


「へえ、そうなんだ? それは楽しそうだねぇ! ……僕たちも、混ぜてもらえないかな?」


「えっ……!? そ、それは難しいと思います。蒼天武士団には、私以外にも女性はいらっしゃいますし……」


「そんなに難しく考えないでよ、百合姫ちゃん! 俺たち大和国聖徒会と蒼天武士団が仲良くなるチャンスじゃない!」


「そうそう! 俺たちもタクトさんと百合姫ちゃんみたく、蒼天武士団の子たちと仲良くなりたいだけなんだよ~!」


 タクトの提案を真っ当に拒絶しようとした百合姫に対して、取り巻きの男子たちの浮ついた声が飛ぶ。

 タクトと同じか、それ以上の情欲を灯すその目は、話しかけている百合姫でも、顔見知りである燈でもなく、やよいの膨らんだ胸元と艶めかしい生足へと向けられていた。


 結局、そういうことかと燈は思う。

 多少の処罰程度では狂ってしまった人間の思考は変わらない。欲望を満たすためだけに人を殺めようとした彼らは、既に理性を失った獣も同然だ。


 考えることは以前と全く同じ。違うのは、寄生する対象が順平からタクトや匡史に変わったことのみ。

 甘い汁を啜るためだけに誰かを利用し、その尻馬に乗っかることだけを考えている彼らは、やよいたち蒼天武士団の女子を標的にしているのだろう。


 多少は腕が立つ相手なのだろうが、人数さえあればどうとでも出来る。

 タクトを利用することで上手いこと燈と蒼を排除して、自分たちと女子たちだけの状況を作り出したら……お楽しみの時間というわけだ。


 まあ、自分たちが彼らの思惑通りに動くはずがない。

 燈も蒼も簡単に排除されるような玉ではないし、仮に自分たちが離れたとしてもこの程度の相手ならば女子たちだけで十分に対処出来るだろう。


 彼我の実力差を理解していない彼らは、もしかしたら蒼天武士団に対するタクトや匡史の愚痴交じりの評価を信じ込んでいるのかもしれない。

 運が良かっただけ~、だとか、まともにやれば自分たちが勝つ~、だとか……自分たちの敗北を認められず、ぐだぐだと情けない言い訳を口にしている二人の姿が容易に想像出来た燈は、うんざりとした表情で彼らを止めに入った。


「おい、そこまでにしとけよ。うちの団員は遊女じゃねえんだ。お前らの下種の相手なんてするわけねえだろ」


「はっ! 何言ってんだか……? いるじゃねえかよ、一人。元遊女の女がよぉ……!!」


「……あぁ?」


 人数差でいえば三対二。それもこちらには腕利きのタクトが居て、向こうは女子であるやよいを含めた数だ。

 だから、強気に出ることが出来た取り巻きの男子は、燈を恐れることなく彼に食ってかかる。


 明らかに喧嘩を売りにきたその男子の言葉に怒気を荒げた燈は、彼を射抜くような鋭い視線を向け、恫喝の唸りを上げた。


「……悪いな、ちょっと聞き逃しちまったよ。誰が、何だって? もう一度言ってくれるか? うん?」


「つ、椿こころがいるだろって言ってんだよ! あいつが遊郭に売り飛ばされたことは知ってるんだ! どうせ、お前たちと会う前に汚いおっさんたちに抱か、ぶべらぁっ!?」


 はっきりとした燈の威圧にも負けず、尚もこころへの侮蔑の言葉を吐きかけた男子であったが……その行動は、間違いなく彼のためにならなかった。

 言葉の途中で叩き付けられた鉄拳が鼻の骨を砕き、数本の歯すらもへし折って顔面にめり込む。

 一瞬の間に、目にも止まらぬ速度で、こころを嘲笑った男子を殴り飛ばした燈は、怒りを込めた獰猛な笑みを浮かべながら残るタクトともう一人の男子へと低い声で唸った。


「てめえらが、言うか? 椿を売り飛ばしやがった竹元に協力した、お前らがそれを言うのか?」


「ひっ!? ひぃぃっ!?」


 彼が言ったことは事実無根のデマだ。こころは身綺麗であるし、実際には遊女として働いた経験が無いといっても過言ではない。

 そも、彼女がそんな状況に陥った元凶は誰で、その元凶に協力していた奴らがそれを言うのかと……煮え滾る怒りを爆発させた燈は、鉄拳制裁で黙らされた仲間の姿を見て、完全に怯えたもう一人の男子へと恫喝の言葉を口にする。


「俺は優しいからよ、今の話は忘れてやる。でも、同じことを椿の目の前で口にしてみろ、そん時は……ただじゃ済まさねえぞ」


 ガクガクと、壊れた赤べこのように首を上下に振る男子は、完全に燈の気迫に押されてしまっていた。

 最初の調子の良さは何処へやら、あっという間に潮をかけられたナメクジのように小さくなった彼は、大急ぎで吹き飛ばされた男子を担ぐとこの場から逃げ出してしまった。


「……部下の躾がなってねえんじゃねえのか? お前ん所のクソの役にも立たない会長さまにそう伝えとけ」


「きひひっ! 聖人ぶっちゃってさあ……ヤンキーの癖になにいい人のふりしてんの?」


「あ? どういう意味だ?」


「お前だって、味見くらいはしたんでしょ? って言ってるんだよ。わからないふりしないでよね」


 ニタリと、タクトが下品な笑みを浮かべて言う。

 その言葉の意味と、彼が何を考えているのかを悟った燈は、先程までよりも鋭い眼差しでタクトを睨んだ。

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