挑発

「……落ち着き給え、黒岩くん。側室とはいえ、新婚の夫が目の前で別の女性を口説く姿を見て、不快に思わない女性はいないぞ」


「あ、ああ……そうですね。ふ、ふふ、考えが足りませんでしたよ。ただ、やっぱりあの子たちも可愛いから、ついつい、ね……」


 やんわりと、自身の行き過ぎた言動を匡史に注意されたタクトは、引き攣った笑い声を出しながら弁明とも言い訳とも取れる言葉を口にする。

 少し……というより、かなりの情緒不安定さを見せる彼の様子に、流石の燈も若干の薄気味悪さを感じていた。


(どう思う? 彼の様子は、以前に顔を合わせた時と似ているようで異なってる。磐木の時にもああいったきらいはあったけど、今はそれに磨きがかかった上に不安定だ)


(あたしに惨敗して壊れちゃったのかな……? それで、また活躍の場を与えられて色々とはっちゃけちゃったみたいな?)


(……どん底から息を吹き返したことと、八岐大蛇の討伐を果たしたことによる一時的な興奮の結果だと?)


(そうだと思いたいってのが本音かな。流石にあんなに危ない奴にはちゃめちゃな理由で嫁入りさせられる百合姫ちゃんが可哀想じゃん)


 他の誰にも聞こえないような小声で、視線での交信も含めて蒼とやよいがタクトの変調について意見を交換する。

 磐木にて、自身の慢心と心の弱さをやよいに付け入れられた結果、失禁するまでの惨敗を喫した彼の奇妙な状況の悪化に違和感を抱きながらも、それが彼自身の素質であったと言われればそこで納得してしまうような部分がタクトにはある。


 下手をすれば、カッとなった勢いで自分に非礼を働いた相手を斬り殺してしまいそうになる危うさを見せるタクトに側室として迎えられる百合姫を不憫に思うやよいの意見に小さく頷いて同意した蒼は、これ以上はタクトを刺激することを避けるべきだと判断した。


 万が一ということもある。自分たちに対する憤りが、後々に百合姫に向けられることになっては彼女が危険だ。

 あくまで、自分たちは雇われの武士であり、鷺宮家とタクトの婚姻に口出しする権利はない。

 この数日間の旅の中で百合姫に対しては情が移った部分もあるが、正当な権利や理由も無しにタクトとの結婚を止めることは自分たちには不可能なのだ。


 百合姫が結婚に納得している以上、蒼天武士団に出来ることは彼女の幸せを願うことと、タクトの機嫌を損ねぬようにすることだけ。

 彼の暴力的な狂気が時間と共に鎮まり、それまでの間に百合姫に向けられぬようにすることだけだと判断した蒼に向け、笑顔のタクトが近付いていく。


「やあやあ、確か蒼……だったよね? 磐木では色々あったけどさ、お互いに水に流そうよ。君たちとは今後とも仲良くしていきたいし、今回は僕の妻となる女の子を守ってくれた恩もあることだしさ」


「……ええ、そうですね」


 あまり感情を込めず、蒼へと視線を向けながら彼のことを瞳に映していないタクトへと返事をする。


 彼の目に映っているのは自分ではなく、やよいをはじめとした蒼天武士団の女性陣であることも、自分たちと懇意になりたい理由も彼女たちと親密な関係を築きたいからだということを理解している蒼は、タクトの身勝手な言葉を曖昧にはぐらかすようにして答えた。


 そもそも、磐木での一件を振り返ってみても、責任の比重はあちら側に傾いているはずだ。

 こちらが水に流すことは多々あれど、タクトたちに許されるような罪状が自分たちにあるとは思えないのだが……と思いつつも、それを口に出してもこの場の雰囲気が悪くなるだけだと理解している蒼は、敢えてその言葉に噛み付くことなく、大人の振る舞いを見せる。


 そんな蒼に対して、タクトは……ニタリと何か悪いことを思いついたような笑みを浮かべると、懐から小判の詰まった巾着袋を取り出して、口を開いた。


「さて、八岐大蛇の驚異が去り、呪いの大元が消えた以上、百合姫を対象とした君たちの護衛はもう必要ないということだ。つまりは依頼は無事に達成。君たちの仕事は、見事に完了された……依頼人として、この作戦を考えた者の一人として、百合姫の夫となる男として……君たちには、謝礼を支払わないといけないな」


 じゃりん、じゃりんと重い金属音を鳴らすようにして袋を振るタクト。

 随分と大量の小判が収められているその袋を蒼へと見せびらかすように揺すった彼は、ふんっと目の前の男を嘲笑うように鼻を鳴らすと――


「ほら、これが謝礼金だ。受け取れよ」


 ――手にしていた袋を逆さまにして、その中身を畳の上にぶちまけた。


 じゃらり、どさりと音を立て、畳の上に散らばる小判たち。

 金ぴかに輝くそれを一枚残さず袋の中から放ったタクトは、自分を見つめる蒼へと言い聞かせるようにして言葉を発する。


「さあ、拾えよ。僕の前に這い蹲って、一枚一枚丁寧にこの金を拾え。報酬に色を付けてやった僕の寛大さに感謝しながら、施しを受けるんだ」


「黒岩、てめぇ……っ!!」


「燈! ……止せ。彼に手を出すな」


 不遜、ここに極まれり。

 危険かつ困難な仕事をやり遂げ、自分たちの作戦が潤滑に達成するための予定変更にも応じてみせた蒼天武士団に対して、自らの前に這い蹲って報酬を受け取れと言い放ったタクトの傍若無人な態度に怒りの限界を振り切った燈が殴り掛かろうとするも、鋭い視線を向けながらの叱責で蒼がそれを制止した。


 同じく、拳を強く握り締めている栞桜と、今にも刀を抜きそうになっている涼音を視線で制したやよいは、この無礼極まりないタクトの態度を咎めないどころか薄ら笑いを浮かべている匡史の姿を見て、彼らの思惑を理解する。


(こっちを挑発して、手を出させることが目的か。それで、でっち上げの悪評を言いふらすつもりだね)


 燈でも、栞桜でも、他の誰でも構わない。

 匡史が望んでいるのは、蒼天武士団の誰かが、依頼人であるタクトに手を出したという事実だ。


 たとえそれまでの流れがどんなものであろうとも、この場にいるのは鷺宮家の人々と大和国聖徒会の面々のみ。

 つまりは、彼らがその気になればどんな事実だってでっち上げることが出来る。


 匡史は、全くの嘘を広めるのではなく、その中に加える一つまみの真実を求めているであろう。

 加えて、自分に辛酸を舐めさせた蒼が這い蹲る姿を見ることを純粋に望んでいる部分もあるに違いない。


 無論、武士として自身の名誉を守るためならば金など惜しくはないし、向こうがお望みならばここで一戦交えるのもやぶさかではないだろう。

 しかして、国中に広まった蒼天武士団の評判がそのまま悪評とならぬようにするためには、ここから打つ一手一手を慎重に考える必要があった。


「……どうしたんだよ? さっさと拾えって、蒼。聞けば、これが君たちの初仕事なんだろう? 僕たちからの恵みをありがたく頂戴して、祝いの酒宴でも開けばいい。まあ、ここで開かれた宴とは幾分がグレードダウンするだろうけどね。く、くく……っ!!」


 殴るなら、殴るでいいとやよいは思っていた。

 ここまで粘着質に、悪意のある挑発を行なわれているのだ。このまま黙って無抵抗のままでは、団員の士気にも武士団の威厳にも関わる。


 ただし、その火ぶたを切るのは燈や栞桜では駄目だ。

 団長である蒼が、団員たちの総意の下に拳を振るわなければ、憤慨した部下の暴走という形で抑え込まれかねない。

 タクトらの侮辱に対して、決闘でも戦争でも受けてやると……そう、意思表示するために必要な行為がそれだからこそ、自分たちは怒りに震える仲間を抑えたのだ。


 燈も、栞桜も、涼音も、全員がタクトの行いに激怒しているのは蒼も感じ取っているだろう。

 残すは、やよいとこころのみ。二人の許可を得た瞬間、蒼は堂々と売られた喧嘩を買うはずだ。


 ちらり、とこちらに視線を向けた蒼に判るようにして頷いたやよいは、彼もまた自分に対して頷く様を目にした。

 そして、続いて蒼がこころの方へと振り向こうとした時……予想だにしていなかった人物が、動きを見せる。

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