鷺宮領への帰還

 玄白の口から真実を伝えられた一行は、そのまま東平京に向かうことなく、とんぼ返りで鷺宮領へと帰還することとなった。

 百合姫の婚約者がいるのは、これまで目指してきた東平京ではなく鷺宮領。であるならば、無理にこの旅を続ける必要もないからだ。


 囮としての役目も終え、八岐大蛇の討伐も成った今、彼らが帰還することを拒む者は誰もいない。

 結局、玄白やその相談相手である匡史に利用されたといういまいち納得のいかない気分を抱えたまま、蒼天武士団をはじめとした百合姫護衛隊は、行く時と同じ五日の時間をかけ、出発地点である鷺宮領へと戻ってきた。


 唯一の朗報は、八岐大蛇が倒されたお陰か新たな襲撃が行われなかったことで、安心して旅が出来るというのは百合姫の精神に負担をかけずに済む。

 必要以上の警戒を払う必要もなく、圧倒的な驚異を感じずにいられるというのは、これまで敏感に妖の気配に怯えてきた百合姫や玄白にとっては、喜ばしいものではあった。


 ただ、父が自分を騙して、危険に晒していたことへのショックや、その逆に娘を利用していた罪悪感によって、また別の問題が生まれていたことで、結局は差し引き零どころかマイナスといった具合になってしまってはいる。


 宿敵は倒されたというのにどこか浮かない表情を浮かべながら領地へと帰還した一同の中は、そんな自分たちとは真逆に大賑わいを見せている鷺宮家の邸宅の様子に若干の苛立ちを感じる者もいた。


「八岐大蛇の討伐を果たした祝いの酒宴の真っ最中か。あれから五日も経っているのに、よくもまあ飽きないものだ」


 そんな栞桜の一言に無言ながらも護衛隊の全員が同意する。

 自分たちを利用して大物を仕留めたまではいいが、そこからずっと浮足立っている八岐大蛇討伐隊の様子には、彼らのやり口も相まって到底好感を抱くことは出来ない。


 だが、兎にも角にも帰還したのであれば、その報告を行わなくてはならないのが常識というものだ。

 百合姫、玄白と共に、護衛隊の代表として鷺宮家の邸宅に足を踏み入れた蒼天武士団の面々であったが、彼らが目にしたのは自分たちの予想を超えた騒ぎを見せる若者たちの姿であった。


「……ひどいな。浮足立つにも限度ってものがあるだろうに」


「五日も馬鹿騒ぎしてる連中だよ? その辺を期待するのがお門違いってものでしょ」


 酒に酔い、呼び寄せた女と遊び、美食を貪る。

 そんな、この世の贅を尽くした欲に塗れる若者たちの姿に呆れた様子で呟きを漏らす蒼とやよい。


 まず間違いなく、これらの贅沢品は鷺宮家が八岐大蛇の討伐を果たしてくれた彼らをもてなすために用意したのだろうが、それだけの金があるならば百合姫の護衛のために使ってほしかったというのが本音だ。


 まあ、もしかしたら婚約者殿の援助がある程度はあるのかもしれないが……と、考えていた蒼は、乱痴気騒ぎを繰り広げる若者たちを見る燈とこころの表情が、みるみるうちに強張っていくことに気が付いて眉をひそめた。


「……燈? どうかしたのかい?」


「……あの、馬鹿生徒会長……!! やりやがったな……!!」


 ぎりり、と歯を食いしばって怒りの形相を浮かべる燈が、その憤怒を色濃く表した声を漏らす。

 その様子から、何か尋常ではないことが起きていると察した蒼に対して、彼と同じように怒りを滲ませた声で、こころが説明を行った。


「蒼さん、あの人たちは元下働き組……気力が低いと判断されて、戦力として数えられなかった人たちです。その全員がこの場にいるわけではありませんが、私も知ってる人が何人かいます」


「下働き組? それって、確か……!?」


「はい……かつて、燈くんを殺すための計画を立て、それを知った私を売り飛ばした竹元くんに協力していた人たちです」


 磐木での戦い以降、その行方が知れなくなっていた竹元順平の名を久しく口にしたこころは、思い出したくもない記憶に身震いする。

 よもや、こんなところで再びその名を思い返すことになるだなんて……と、予想外の出来事の連発に動揺を隠せないでいる彼女に対して、蒼もまた信じられないといった様子でこう尋ねた。


「だが、彼に協力していた生徒たちは、二人の友人である神賀くんが処罰し、投獄されているという話だったじゃないか。それが、どうして……?」


「決まってんだろ。あの馬鹿野郎が自由の身にしちまったんだよ。神賀の苦労を全部無にして、厄介な奴らを解き放っちまったんだ」


 王毅が自分の立場を棒に振ってまで通した燈へのケジメを、匡史はすべて無に帰してしまった。

 自分たちの利益のために人を殺そうとする人間たちを野に放ってしまった生徒会長に向け、激しい怒りを滾らせていた燈であったが、更にその怒りに油を注ぐ出来事が起きる。


「おぉ? 新しい女の追加が来たのかぁ!? うひょ~! イイ女ばっかりだぜ~!」


「さあさあ、こっち来てお酌してよ! それとも、いきなりお布団行っちゃおうか!?」


「ぐへへへへ……! 顔も、体も、抜群じゃん……!! やべ、涎垂れてきちゃった!」


 ぎゃはははは、と酒に酔った男子生徒たちの下品な笑い声が広間に響く。

 どうやら、彼らはこころや栞桜たちの姿を見て、自分たちの相手をする芸者の追加が来たと勘違いしているようだ。


 酔っぱらっている彼らの目には、百合姫や玄白はおろか、燈たちの姿も映っていないらしい。

 というよりも、捕食対象である女子たちの顔や、膨らんだ胸と尻にしか目が行っていない様子であった。


「剣士のコスプレなんかしちゃってさ~! 勇ましくて可愛いね~! でも、俺たちってばすげー強いんだぜ~!」


「そうそう! なにせあの八岐大蛇をやっつけちゃったんだからさぁ!」


「凄腕の剣士、って奴? お望みなら稽古つけてあげるから、一緒に布団でいいことしようよ~!」


 再び、下品な笑い声。

 下心しか感じさせない台詞を口にする男子たちの様子にさしもの玄白も渋い顔を見せ、悪影響にしかならない彼らの言葉を聞かないようにやよいに耳を塞がれている百合姫もまた、何か嫌なものを感じ取っているようだ。


 そうして、彼らから性の対象として見られていることに女性陣が不快な表情を浮かべる中、一人の男子がふらふらと酒に酔った足取りで栞桜へと近付き、酒臭い息を彼女に吐きかけながら言う。


「へ、へへ……!! でっかいおっぱいだなぁ……! いったい、どれだけ揉まれたらこんな風になるんだよ? ちょっと触らせろって」


「……先に言っておく。私に触れようとしたら、その腕をへし折るぞ」


「おお、怖い怖い! そんなケチケチすんなよ! これからたっぷり揉まれる乳なんだか……ぶへっ!?」


 警告を無視して、栞桜の胸に手を伸ばしたその男子の顔面に硬く握り締められた拳が叩き込まれる。

 情けない悲鳴を上げ、文字通り吹き飛んだ彼が襖を破って隣の広間まで殴り飛ばされる様を見た生徒たちは、これまでの馬鹿騒ぎが嘘であるかのように一気に静まり返ってしまった。


「お、お前! なにしやが、る……!?」


 その中で、困惑よりも怒りが先に来た男子が仲間を殴り飛ばした武士に食って掛かろうとして、はたとその正体に気が付いたようだ。

 怒髪冠を衝く勢いで怒りの炎を燃え上がらせる彼の姿をようやく認識した他の男子たちも、みるみるうちに顔面を蒼白に染めていく。


「……ようやく、気が付いたか? 俺が、誰かってことによ……!!」


「と、と、ととと、虎藤、燈……!?」


「おう、そうだ。久しぶりだな……! お前たちが相も変わらず糞野郎で俺は嬉しいよ。神賀に処罰されてちったあ反省してるかと思ったら、前より悪化してるじゃねえか」


 お互いにとって、絶対に起きてほしくなかった再会が実現してしまった。

 ただし、その理由については真逆のものがあり、燈がただ純粋に嫌いな連中に会いたくないという嫌悪感からの拒否であるとすれば、元下働き組の面々は命の危険があるから会いたくないという心の底からの恐怖が理由だ。


 かつてその殺害計画に加担し、自分たちの利益のために彼を見殺しにした過去を持つ下働き組の面々は今にも失神しそうなくらいに顔を青くしているし、中にはこの場から逃走しようとしている者もいる。

 そんな彼らをひと睨みで震え上がらせ、反省どころか以前よりも横暴さに磨きがかかっている彼らの様子に呆れと怒りを混在させた感情を抱いた燈は、よく通る声で叫びを上げる。


「今、てめえらに構ってる暇はねえ。あの馬鹿生徒会長を出しな。俺たちが用があるのは、あいつだ」


 その声から発される威圧感に身震いしつつも、標的が自分たちではないことに一旦安堵する男子たち。

 しかして、久々の再会を果たした燈の心証が最悪であることに変わりはないのだと、怯えながら彼の反応を伺っていた彼らの背後にある襖が開き、そこからよく見知った顔が姿を現す。


「これはこれは……! 予想以上に早いお戻りだ。玄白殿、百合姫さま、そして蒼天武士団の皆さま……長旅、ご苦労様でした」


「聖川……っ!!」


 依頼人やその護衛を果たした燈たちへの労いの言葉を白々しく口にしてはいるが、その表情には明らかな嘲りの色が浮かんでいる。

 自分たちを利用し、王毅の行動すらも無に帰してしまった匡史との再会に、燈は憤りを隠さないまま彼へと食って掛かった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る