玄白の異変


「お父様、どうかしましたか? 先程からずっと落ち着きがないようですが……?」


「ん? あ、ああ……分身体とはいえ、あの八岐大蛇が倒される様を目の前で見たからな、気が昂って仕方はないんだよ」


「ふふ、そうですか……私も、燈さまや皆々様が無事で安心しております。あれだけの窮地に陥って尚、誰一人として犠牲が出なかったのも蒼天武士団の皆さまのお陰ですわね」


 一方その頃、宿の最も上質な客室では、どこかそわそわと落ち着きがない玄白が娘である百合姫と会話をしていた。

 少し可愛らしい所がある父親の様子に頬笑みを浮かべた百合姫は、燈たちを褒め称えながら夜空を見上げる。


「……本当に、燈さまたちを頼って良かった……! お父様もそう思いませんか?」


「あ、ああ……そう、だな……お前の言う通りだよ、百合姫……」


「……?」


 どこかぎこちない父親の反応に首を傾げつつも、先の言葉通りに彼もまた八岐大蛇を撃退出来たことに気が昂っているのだろうと納得する百合姫。

 今日の戦いは厳しいものであったが、それを切り抜けられたことでぐっと生存率は上がった。


 もう、東平京は目の前だ。

 あれだけの敗北を喫した八岐大蛇が復活するには数日は必要だろうし、少なくとも自分たちが東平京に辿り着くまでは安全な旅路を送れるだろう。


 燈をはじめとした蒼天武士団の面々や、ここまで自分を守ってくれた武士たち、更にはこの危険な旅に同行してくれた父に、領内で自分の身を案じてくれている兄と母にも、百合姫は感謝の気持ちを抱く。

 そして、自分の心の支えとなり、一度は八岐大蛇を退けてくれた御神体と、そこに宿る鷺宮真白の魂にも感謝の気持ちを捧げた彼女は、目を瞑って深い安堵の息を吐いた。


「……百合姫、私は少し宿屋の主人に会ってくるよ。一人でも大丈夫だな?」


「え……? 大丈夫ですが、いったいどうして……?」


「う、うむ、それは、その――」


 そうして、一時の平穏を存分に堪能していた百合姫であったが、父が不意に発した一言を耳にしたことでその表情が一気に疑念の色に染まった。

 これまでずっと自分から離れることを拒んでいた父親が、部屋の中に自分を一人残して人に会おうとするという行為に違和感を感じたからだ。


 確かに、八岐大蛇が撃退されたことによる安心感もあるのだろう。ここからの襲撃は、ほぼあり得ないといえる。

 しかし、万が一の可能性もあるだろうし、この状況で護衛を付けることなく百合姫の傍から離れるというのは些か妙なことに思えた。


 何か大事な要件かもしれないが、それならば燈たちが夜の番に来てくれてからでもいいだろうにと考えた百合姫が父親にどうしてそんなことをするのかと尋ねてみれば、彼はしどろもどろの口調でどう誤魔化すべきかといわんばかりの狼狽を見せる。

 何か妙だ……と、百合姫が父親の不自然な態度に首を傾げる中、部屋の外から全てを見透かしたような声が響いてきた。


「自分宛の手紙が届いていないか尋ねるため、ですよね? 玄白さん」


「うっ……!?」


 図星を突かれた玄白が呻き、顔を蒼白に染める。

 親子揃って視線を声の響いた方向へと向ければ、部屋の扉が開き、蒼を先頭とした蒼天武士団の面々が室内に入ってきた。


「あなたがお探しの物はこちらにございます。雪之丞さんからの急ぎの便り……こんな時間に送られてくるだなんて、何か火急の用件ですかな?」


「い、いや、あはは……大したことではありませんよ。ただ、八岐大蛇を撃退したことを伝えたので、それに関する祝辞でも記されているのでしょう。何せ、長年我々を苦しめてきた妖に一杯食わせたのです。息子が喜ぶのも当然の話――」


「……本当に、一杯食わせたのは八岐大蛇だけですか? 他にもまだ、計略に嵌めた相手がいるんじゃないですか?」


「ぐっ……!?」


「お父、様……?」


 蒼の追及を笑って誤魔化そうとした玄白が、彼からの鋭い指摘に再び呻きを漏らした。

 明らかに様子がおかしい父の姿に百合姫が嫌な予感を覚える中、蒼は静かに、悲し気な表情を浮かべて、玄白へと語り掛ける。


「玄白さん……我々蒼天武士団は、あなたと百合姫さまを守るために全身全霊でこの護衛任務に挑んできました。それは、あなたが呼び寄せた武士たちも同じです。全員が全力を出し、依頼人のために命を懸ける……それこそが武士の義であると、あなたを信じてここまで戦いを繰り広げてきました。だからこそ、こうなってしまったことが本当に悲しい」


「な、な、な、何を仰います? な、何をそこまで悲しんでおられるのですか……?」


 玄白の中では、全てを見透かされているという確信とまだ誤魔化せるのではないかという期待がぶつかり合っていた。

 事がここまで進んでいる以上、蒼たちを言いくるめることなど到底不可能なことではあるのだが、彼はまだそれを諦めたくないようだ。


 蒼は、大きく溜息を吐いた後、真っ直ぐに彼の瞳を見つめると、その心を射抜くための言葉を口にする。


「玄白さん、あなたは我々に何かを隠している。もっと言うならば、のではないですか?」


「っっ……!?」


 蒼の鋭い指摘に、遂に玄白が言葉を失った。

 既に血の気が引いていた顔からは残っていた色味が完全に消え失せ、先程までの興奮が嘘であるかのように真っ白になっている。


 しん、と静まり返った部屋の中には、ぜぇぜぇという荒い玄白の呼吸音しか響いていない。

 その中で、殆どの事情を見透かしているであろう蒼が口を開けば、その音は更に荒く、落ち着かないものになっていった。


「僕の予想が正しければ、雪之丞さんからの手紙にはとある作戦の成功報告が記されているはずです。万事上手くいった、もう心配はない、と……」


「う、ううぅ……」


 呻き、悶え、視線を泳がせる玄白の反応が、蒼の言っていることが正しいということを証明している。

 完全に狼狽し、これまでとは全く違う様子を見せる玄白の姿を目の当たりにした燈は、未だに事情を理解出来ないでいる困惑を団長である蒼へとぶつけ、疑問を投げかけた。


「蒼、俺にはまだ、何が何だかわからねえよ。玄白さんが何を隠してて、雪之丞さんが何を成功させたのかもてんで予想がつかねえ。俺たちにもわかるように、一から説明してくれ」


「……わかった。無論、僕の予想が間違っている可能性も十分にあるから、その点に関しては留意してほしい。玄白さんも、僕の考えが間違っているというのなら、口を挟んでいただいて構いません」


「う、うっ……」


 そろそろ、全てを語る頃合いだろうと、玄白の反応から確信を得た蒼が燈へと答える。

 そこから一呼吸置き、僅かに俯いた蒼は……この場に集った全員へと、全ての疑問を払拭するための解説を始める。


「最初に結論から言ってしまおう。八岐大蛇の襲撃を退け、百合姫さまを守りながら東平京を目指すというこの護衛任務は、全て妖の目を僕たちに惹き付けるための陽動……つまり、んだよ」

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